小林慎一 16年3月20日放送
特別と平凡篇
少女ナディアがサヴァンの中でも
特に有名なのは次のエピソードによると言える。
彼女は、母親の笑顔に反応することもなかったが
3才でダ・ヴィンチのような線描画をかくことができた。
自閉症専門のクラスで教育を受け
ひとつづつ、言葉を話すようになった。
しかし、言葉を覚えるたびに
絵の才能が失われていってしまった。
ナディアは天才芸術家から、ごく普通の、
重い障害を抱えた少女になった。
世界を驚かす才能と
気の利いた冗談を言えること。
あなたはどちらが欲しいだろうか?
天才的才能のある子供と
笑いかけると笑い返してくれる子供。
自分の子供はどうなって欲しいだろうか?
私たちはこのような選択をしながら
日々生きているとは言えないだろうか。
ナディアほど極端ではないけれど。
厚焼玉子 16年3月19日放送
Jeff.C
もう会えないひと。 夏目漱石
日陰町というから、いまの新橋あたりだった。
夏目漱石は人力車に乗った美しい人を目にする。
雨のなか、漱石はその人から目を離すことができずに
見惚れていると
その人はすれ違うときに丁寧な会釈をした。
ああ、大塚楠緒子(おおつかくすおこ)さんだ。
漱石はそのとき初めて、
その美しい人が、かつての失恋の相手であり
大学時代からの友人、大塚保治の妻になっている
大塚楠緒子と気づく。
その人が若くして亡くなったとき
漱石はこんな句でその死を悼んでいる。
あるほどの 菊投げ入れよ 棺の中
漱石の永遠のマドンナだった大塚楠緒子。
失恋と死別、二度の悲しみを漱石に与えた。
三島邦彦 16年3月19日放送
Xanadrew
もう会えないひと。 ヘンリー・デイヴィッド・ソロー
人生の中で、ふと、会わなくなってしまう友達がいる。
急に連絡がとれなくなったり、突然この世を去ってしまったり。
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー。
19世紀のアメリカで産業社会に嫌気がさし、
森の中に建てた丸太小屋で2年2ヶ月、
一人きりで自給自足の生活をした思想家。
その暮らしの記録をまとめた本、
『森の生活』はエコロジー思想の先駆けとして、
今なお多くの人に読み継がれ、
ガンディーやキング牧師にも影響を与えたと言われる。
人との関わりを避け、孤独を愛した彼はしかし、
友情についてこう語っている。
友人のために僕ができることは、ただ彼の友達でいることである。
もう会えない友達にも、いつまでも友達でいることはできる。
今いる友達に、何か特別なことをしなくても、友達でいることはできる。
一人で暮らしていた時にも、
ソローは一人ではなかったのかもしれません。
三國菜恵 16年3月19日放送
もう会えないひと。 森田一義
今年は赤塚不二夫の生誕80周年。
「生誕何年」という文字は、その人がもうこの世にいないことを色濃くする。
赤塚に見いだされ、芸人となった
森田一義ことタモリ。
人生で一番最初に読んだ弔辞は、
よりにもよって、赤塚に向けてだった。
森田は仏壇の前に立ち、はじめてお礼を言った。
言う機会はいくらでもあったけれど、
こんな気持ちがいつも邪魔をしていた。
肉親以上の存在にお礼を言うのは気がひける
そのことをふと人に漏らしたら、
赤塚も同じことを言っていたと知らされた。
三國菜恵 16年3月19日放送
nixang
もう会えないひと。 いくえみ綾(りょう)
かなしい別れをどう乗り越えるか。それは永遠の命題だ。
少女漫画家・いくえみ綾。
人間の魂のゆくえについて描いた作品がある。
タイトルは『潔く柔く(きよくやわく)』。
中学生のある日、ハルタという男の子が突然交通事故で逝ってしまう。
残された幼なじみの女の子、カンナは迷う。
彼を忘れて生きていいものか。
彼を忘れて恋していいものか。
作者はその問いかけを包むように、
最後、こんなモノローグを入れている。
魂は
きっといろんなことを
忘れないでいてくれてるんだと思います
たとえ人間の頭が忘れるようにできていても、
魂がおぼえてくれている。
だから前へ、進んでいい。
三國菜恵 16年3月19日放送
kiki
もう会えないひと。 いとうせいこう
文筆家、いとうせいこう。
彼はもともと、友人と頻繁に会ったりしない。
だから、その人に「もう会えない」と知った時も、
ちょっと連絡が取れなくなった、
ぐらいにしか思えなかった。
その人、というのは
テレビ評論家のナンシー関。
タレントの顔を風刺した「消しゴムはんこ」で有名だ。
いとうにとって、文筆家としての彼女の存在は偉大すぎた。
世界が彼女を失ったという事実を飲み込めず、
いとうはただ、ペンを走らせつづった。
彼女の身に起こったのは「死」だ。
だが、彼女はあきらかに僕の中に存在しており、
それをひとつの名詞で片づけるわけにはいかないのだ。
澁江俊一 16年3月13日放送
トンネルを構想した男
今日、3月13日は
青函トンネル開通記念日。
青函連絡船が運行を開始した明治41年に
石川県で生まれた桑原弥寿雄(くわはらやすお)。
初めて青函トンネルを構想した男である。
鉄道マンだった桑原は戦前、
津軽海峡だけでなく、
日本と大陸をトンネルでつなぎ、
ヨーロッパまで鉄道を走らせるという
壮大な夢を見た。
戦争で夢は潰えるが、
心の炎は消えなかった。
バラバラになった日本をつなぐため
桑原は再び、青函トンネルを発案する。
完成を待たずに世を去った桑原。
しかしその思いが、トンネルをうがつ
エネルギーになったことは間違いない。
田中真輝 16年3月13日放送
扁額
今日、3月13日は
青函トンネル開通記念日。
このトンネルの北海道側、本州側二つの入り口には
「扁額(へんがく)」と呼ばれる横長の額がかけられており、
そこには「青函隧道」という文字が記されている。
北海道側の文字を書いたのは
当時の内閣総理大臣、中曽根康弘。
本州側は運輸大臣、橋本龍太郎である。
青函トンネルが開通した1988年の1年前に
国鉄は民営化されているが、
この民営化計画を強力に推進し、実質的に
国鉄に引導を渡したのが、実は、この二人。
青函トンネルの両側に
この二人の文字が掲げられたとき、
旧国鉄の職員達は
新しい時代の到来を強く感じたことだろう。
澁江俊一 16年3月13日放送
飢餓海峡
今日、3月13日は
青函トンネル開通記念日。
1965年、
トンネル工事が進み始めた頃
津軽海峡を舞台にした、
ある映画が公開された。
内田吐夢監督「飢餓海峡」。
トンネル着工のきっかけになった
洞爺丸事故をモチーフにした
サスペンス超大作である。
戦後の貧困を生きた男と女の運命を
3時間を超えるストーリーにして
フィルムに焼き付けた。
上映時間が長すぎる、と
配給会社と騒動になったが映画は大ヒット。
日本映画史に輝く傑作となった。
津軽海峡には、
愛憎渦巻く人間模様がよく似合う。
澁江俊一 16年3月13日放送
ミスター海底トンネル
今日、3月13日は
青函トンネル開通記念日。
「ミスター海底トンネル」と
呼ばれた男がいる。
持田豊(もちだ ゆたか)。
映画「海峡」で高倉健が演じた
主人公のモデルと言われている。
海峡の底を掘って、
何年もかけてトンネルをつくる。
前例のない仕事をやり遂げるために
最も必要だったものは?と聞かれ
彼はこう語る。
トンネルを掘るのは機械ではなく、人間。
エラーをどれだけ許せる範囲で進めるか、
その懐の深さがもっとも重要。