佐藤延夫 16年2月6日放送
与謝野晶子と温泉 三朝温泉
歌人、与謝野晶子は、日本中の温泉を巡った。
ただし優雅な温泉旅行ではない。
家計を支えるため、そして雑誌を発行する資金集めのために、
全国各地で講演や揮毫(きごう)を重ねた。
その合間に立ち寄ったのが温泉だった。
鳥取県の三朝温泉(みささおんせん)には、夫の鉄幹とともに訪れている。
日本でも珍しいラジウム泉のひとつだ。
水と灯の 作る夜色の めでたきを 見んは都と 渓あひの湯場
この歌を聞くだけで、名湯だということがわかる。
佐藤延夫 16年2月6日放送
turnerw82
与謝野晶子と温泉 指宿温泉
温泉好きの人にはおなじみなのが、
温泉地に佇む歌碑だ。
与謝野晶子は、際立って歌碑の多い文人のひとりだろう。
一カ所に逗留して執筆をするのではなく、
定宿を持たずに全国を旅していたことには驚かされる。
九州にだって何度も足を運んだ。
しら波の 下に熱沙の隠さるる 不思議に逢へり 揖宿に来て
指宿の砂むし温泉。
砂に埋もれてご満悦の表情が目に浮かぶ。
佐藤延夫 16年2月6日放送
さちどん
与謝野晶子と温泉 五色温泉
歌人、与謝野晶子は、
全国で100を超える温泉に赴いたという。
有名な温泉だけでなく、山間の秘湯にも足を伸ばしている。
信州の五色温泉もそのひとつだろう。
山深い松川渓谷に、彼女は紅葉の時期に訪れたようだ。
湧き出すときは無色透明だが、
天候や時間帯によってさまざまな色に変化する。
歌の中にも色のイメージが溢れている。
五色の湯 板のかこひの 内側に うす墨となる 秋の夕ぐれ
雪景色となった風景も、ぜひ歌にしていただきたい。
佐藤延夫 16年2月6日放送
チャコ
与謝野晶子と温泉 伊豆・箱根の温泉
歌人、与謝野晶子には苦労が絶えない。
11人の子を養いながら借家を転々とし、
25年の間に8回も引っ越している。
だが50歳を越え、子どもが少しずつ巣立っていくと
湯宿に赴く回数も増えていった。
なかでも箱根や湯河原には毎年のように足を運んでいる。
それほど、このあたりの温泉が気に入っていたのだろう。
堂ヶ島温泉では、こんな歌を詠んだ。
夕まぐれ 樋の湯烈しく 落ち来り 浴槽あはれに 揺れもこそすれ
箱根には有名な温泉が七湯あると言われており、
彼女は、20回以上も訪れたという。
山荘へ 玉簾の瀧 流れ入り 客房の灯を もてあそぶかな
癒されたくなったら、のんびり湯浴みにでかけませんか。
佐藤延夫 16年2月6日放送
与謝野晶子と温泉 有馬温泉
歌人、与謝野晶子は
61歳のとき脳溢血で倒れた。
昭和15年5月のことだった。
ひと月前に吟行(ぎんこう)の旅をしており、
京阪神方面へ向かっている。
六甲から須磨へ。鞍馬山の九十九折は駕籠で登り、
天橋立などを見物するルートだった。
このとき立ち寄ったのが、有馬温泉だ。
長い歴史を持ち、日本三古湯(にほんさんことう)にも選ばれているが
彼女が湯浴みをした最後の温泉になってしまった。
残念ながら、このときの歌は残されていない。
高阪まどか 16年1月31日放送
人生を変える塾講師 藤岡克義
静かな街の、小さな学習塾。
ここには、道にはぐれてしまった若者が集まる。
高校で落ちこぼれた者。
一度は就職したけれどすぐに辞めてしまった者。
騒ぎを起こして少年院にお世話になった者までいる。
塾長は、藤岡克義。
彼が、教壇にたつのは週にたった一度だけ。
しかも、その授業はホームルームだ。
「お前は何のために大学にいくのか?」と塾生に問い、考えさせる。
英語でも数学でもない。藤岡が教えるのは、勉強する理由だけだ。
その方法で落ちこぼれだった子供たちが有名大学に次々と合格していく。
「人生はやり直せる。」
自身も十代の頃筋金入りのワルだった藤岡はそれを一番よくわかっている。
高阪まどか 16年1月31日放送
ハリウッド女優、タルラ・バンクヘッド1
「そんな役はお断りよ。私に合うもの持ってきて。」
清純で、健気で、王子様と結ばれるヒロイン。
女優なら誰でも欲しがるそんな主役の座を頑なに拒み、
悪女やアバズレばかり演じたハリウッド女優がいた。
名はタルラ・バンクヘッド。
幼い頃、両親に愛してもらえなかった彼女は、
寂しさを埋めるように、次々と恋人をつくり、
恋の相手は、男性だけでなく、女性にまでおよんでしまう。
レズビアンに目覚めた彼女を、当時の世間は決して受け入れなかった。
タルラはそんな世の中にうんざりし、
社会の強制する女らしさというものに反発していったのだ。
そんな中、彼女が自分の進む道と思い定めたのは、
1920年代の女性に
唯一開かれた職業であった映画女優。
ありのままの自分を認めてほしい。
こうして、「社会の求める女性を演じない女優」が誕生した。
高阪まどか 16年1月31日放送
ハリウッド女優、タルラ・バンクヘッド2
関係をもった男性は数百人。
おまけに大酒飲みで、人の悪口を言ったらとまらない。
彼女が銀幕の中で見せる役柄は、悪女・魔女・アバズレ。
それはまさにタルラ・バンクヘッドそのものだった。
あくまで自分に正直に生きるタンラに対し、
世間の人々は「決して嘘をつかない女優」として、
尊敬の念さえ抱きはじめていた。
その人気は当時の大統領の目にも留まり、タルラはホワイトハウスに招待される。
パーティーの当日、彼女が自分に同行させたのは黒人の乳母。
「まさかこのホワイトハウスに黒人を。」
会場は驚き、どよめいた。
しかし周りのそんな反応に驚いたのは、むしろタルラの方だった。
早くになくなった実の母親のかわりに乳母を連れて行っただけなのだ。
それはアメリカの歴史上はじめて
黒人がホワイトハウスに入った瞬間だった。
アメリカの黒人差別の撤廃に一役買ったのは、
政治家でも、人権活動家でもなく、
どんな時でも貪欲に、自由奔放に生きた一人の女優なのだ。
1968年66歳でこの世を去ったタルラの最後の言葉は
「バーボンをちょうだい」だった。
高阪まどか 16年1月31日放送
アメリカ合衆国皇帝、ジョシュア・ノートン
「私、ジョシュア・ノートンはここにアメリカ皇帝となったことを宣言する。」
新聞社に押し掛けたノートンは堂々と宣言してみせた。
しかし、コロンブスの新大陸発見から、現在に至るまで、
アメリカには大統領はいても、皇帝などいたことがない。
それは、自己破産で狂気に陥った実業家、
ジョシュア・ノートンの妄想だった。
勝手に皇帝を名乗り、
これまた勝手に毎日勅令を発表したノートン。
しかし、その勅令は意外と的を得ていて、
瞬く間に自称皇帝は人気者になったという。
今では当たり前になった、クリスマスイルミネーション。
これも、ノートンの「クリスマスに街路樹を飾り付けるべし。」
という勅令から始まったことなのだ。
「思えばそれは真になる。」というのは、意外と本当かもしれない。
檀上真里奈 16年1月31日放送
junsuzu
その日の天使 中島らも
ひとりの人間の一日には、
必ずひとり「その日の天使」がついている。
絶望的な状況でしか、その日の天使には気づけない。
わかりやすく言えば、
自殺しようとした時に思いがけない友人から電話がかかってきたら、
その人がその日の天使。
これは中島らもの考え。
体調は悪い。仕事は山積み。家庭はもめている。
そんな状況でヨロヨロと帰宅していたとき、
夜更けの街で見つけた、彼のその日の天使はこれだった。
「おいも〜おいも。ふっかふかのおいも。」
何が解決した訳でもない。
しかしこの声に笑ってしまった。
そして、笑いは人をリラックスさせるのだ。