渋谷三紀 16年1月16日放送
sabamiso
内田百間 ノラや
幸せだった。
ある日、庭に現れた野良猫ノラと
暮らしはじめた、随筆の神様、内田百間。
ノラへの愛情をてれくさく感じ、
お得意の屁理屈を並べるものの、
いまいち切れが悪い。
突然、ノラが失踪。
百間は新聞に迷い猫の広告を出し、
近所にビラも配った。
ノラやノラや、お前はもう帰って来ないのか。
風呂にも入らず顔も洗わず、泣き暮らした。
その涙が乾いた頃、百間の傍らには新しい猫がいた。
名はクルツ。
ドイツ語で「短い」という意味。
しっぽが短いという理由だが、
自分の心変わりと、ひとのこころの短さを、
皮肉っているのかもと勘ぐりたくなる。
渋谷三紀 16年1月16日放送
内田百間 七体百鬼園
随筆の神様、内田百間は、大の甘党。
なかでもシュークリームには、目がなかった。
「七体百鬼園」には、
やれ皮が好きだ、やれクリームが好きだと、
シュークリームの魅力を語り合う場面がある。
百間のシュークリーム原体験は、
18歳にさかのぼる。
ある夜、「シュークリームが食べたい」と
わがままを言い出した百間。
百間を溺愛していた祖母は、
いやな顔ひとつせず、買いに走ってくれたという。
祖母の手から受け取り、
すすったクリームの美味しかったこと。
シュークリームに秘められた、
シュークリームよりも甘やかな記憶。
渋谷三紀 16年1月16日放送
内田百間 阿呆列車
何カノキッカケガアレバ
汽車ノコトヲ一生懸命ニ記述シテイル。
随筆の神様、内田百間は、
まちがいなく元祖鉄道オタク。
鉄道に乗るためだけの旅に出ては、
「阿呆列車」をつづった。
鉄道に乗る以外の目的はあってはならない。
行きと違い、帰りは「帰る」という目的があるから、
「阿呆列車」ではないと言い張るのだから、
こだわりをこえた頑固なオタク、ここにありだ。
ついには、東京駅の一日駅長をつとめた百間。
大好きな列車「はと」の展望車に乗れたことが、
よほどうれしかったのだろう。
普段は決して見せない、満面の笑みをうかべた
百間の写真が残されている。
澁江俊一 16年1月10日放送
織田幹雄の記録
今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。
今も数々のスポーツで、
ライバル関係にある早稲田と慶應だが、
日本初のオリンピック金メダリスト
という栄光は、早稲田のものとなる。
1928年、アムステルダムオリンピック。
早稲田競争部の織田幹雄が三段跳びで見事優勝。
日本人の勝利など誰も予想しておらず
表彰式に掲げる日の丸がなかったという。
織田の記録15m21cmは、
国立競技場のメインポールの高さになり、
新国立競技場にも、移設が決まっている。
澁江俊一 16年1月10日放送
Idhren
川久保玲の哲学
今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。
70年代から現在まで
第一線で活躍するファッションデザイナー、
川久保玲は、慶應義塾で哲学を学んだ。
他の人と同じ服を着て、
そのことに何の疑問も抱かない。
現状を打ち破ろうという意欲が
弱まってきた風潮に危惧を感じます。
そう語る彼女の服づくりは
安易な正解にとどまることなく
常にまだ見ぬ世界を探し続ける。
まさに、哲学そのものだ。
澁江俊一 16年1月10日放送
Junkyardsparkle
井深大の発明
今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。
トランジスタラジオやウォークマンなど
時代を変える製品を次々と世に送り出した
ソニーの創業者、井深大は、
早稲田大学の理工学部出身。
学生時代すでに、
ネオン管に高周波電流を流して
周波数を変えると、
光が伸び縮みすることを発見。
後に「走るネオン」として特許を取得し、
パリ万国博覧会で金賞を受賞した。
革新は、実は、たわいのない夢を、
大切にすることから生まれる。
そう語った井深の学生時代は、
たわいのない夢にあふれていた。
澁江俊一 16年1月10日放送
Rubber Soul
つかこうへいの自由
今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。
「熱海殺人事件」「蒲田行進曲」
などで一斉を風靡した演出家、つかこうへい。
慶應の学生でありながら
早稲田の劇団で活躍した、つかの演出方法は、
稽古中に新たなセリフを次々生み出し、
役者に伝える「口立て」。
初日と楽日でセリフが変わる。
その自由さに、観客は酔いしれた。
いつか、こうへいに
という世の中への願いを込めた
彼の名前。
自由で情熱的なつか演出は、
今も多くの俳優たちの演技の中に生きている。
澁江俊一 16年1月10日放送
山頭火の孤独
今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。
まっすぐな道でさみしい
また見ることもない山が遠ざかる
など、5・7・5に捉われない、
自由律俳句で知られる種田山頭火。
20歳で早稲田の文学部に入学したが、
神経を病み、2年後に中退。
故郷の山口に帰るも、事業に失敗。
妻子とも別れてしまう。
どうしようもないわたしが歩いている
酔うてこうろぎと寝ていたよ
もし山頭火が何事もなく早稲田を卒業していたら…
こんなにもさみしく美しい句の数々が、
生まれていただろうか?
澁江俊一 16年1月10日放送
塾生 (talk)
遠藤周作の失敗
今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。
「沈黙」「深い河」など
日本人のキリスト信仰を描いた重厚な作品で
ノーベル文学賞候補とも言われた遠藤周作。
その青春時代は不遇だった。
ことごとく受験に失敗し
慶應の文学部予科に補欠で合格。
医学部を受けると思っていた父に、
勘当を言い渡される。
ちょうど終戦の頃である。
人生も、日本も、先が見えないまま、
遠藤はカトリック文学に傾倒し、
自らの文学のテーマを見出していく。
すべてが望み通りにいかない
学生時代の遠藤に、
神は何を語りかけていたのだろう?
澁江俊一 16年1月10日放送
Dick Thomas Johnson
今村昌平のリアリズム
今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。
「楢山節考」、「うなぎ」で
日本人で唯一、カンヌ映画祭の最高賞パルムドールに
2度も輝いた映画監督、今村昌平。
実は今村、早稲田の学生時代は演劇部だった。
しかし黒澤明の「酔いどれ天使」に感動し、
映画の道へと転向する。
徹底的な取材。
現場での同時録音へのこだわり。
今村映画のリアリズムは、
確かに演劇と、つながっている。