阿部友紀 15年12月26日放送
山川登美子 薄命の歌人
薄命の歌人、山川登美子。
思い人・鉄幹をライバルの与謝野晶子に譲り、歌の世界からも離れていたが、
夫の死を期に、また歌を詠むようになった。
合同詩歌集「恋衣」の刊行も果たしている。
しかし、歌人として生きて行こうとした矢先、またしても登美子を不幸が襲う。
死別した夫からうつされた結核を発症したのだ。
そして明治42年、
登美子は、29歳で孤独に人生の幕を閉じる。
をみなにて またも来む世ぞ生まれまし 花もなつかし 月もなつかし
病床で読んだ歌には、また女に生まれたいという願いが切に込められている。
志半ばで遂げられなかった歌の世界への思いを、
そして叶わなかった恋を
来世では成就させたいと思っていたのかもしれない。
松岡康 15年12月20日放送
Jyo81
家のような記念館
今日12月20日は伊丹十三の命日。
十三の父で映画監督の伊丹万作の出身地であり、
十三が高校時代を過ごした松山に、
伊丹十三記念館がある。
設計にあたって、十三の妻、宮本信子は
「伊丹の家みたいにしてほしい」と依頼した。
床は木で作られ、中庭の庇は低く、
記念館全体に家のような温かみがある。
信子は、記念館についてこう語っている。
隅々まで伊丹十三が感じられる、あたたかくて、
気さくで、見ごたえのある記念館になると思います
家のようなその記念館には、
今も伊丹十三という人間が住んでいるのだ。
澁江俊一 15年12月20日放送
抱きしめる手引き
青春時代を
伊丹十三と共に過ごした作家、大江健三郎。
大江より2つ年上だった十三は、
大江の一歩先で、常に彼の人生を導いた。
デビュー小説「奇妙な仕事」も
当時商業デザイナーだった十三を
喜ばせるために書いた戯曲が元になっている。
そんな大江はある日十三から
「女性を抱きしめる方法」を教わった。
尾てい骨から三つ上の関節を
押さえて抱きしめなさい、と。
あるとき大江は、それを妻で試そうとした。
抱きしめながら尾てい骨を探り、心の中で「一、二」と
数えた瞬間、妻が「三!」と言ったそうだ。
大江の妻ゆかりは、十三の妹でもある。
兄の手口を、見抜いていたのかもしれない。
澁江俊一 15年12月20日放送
エッセイの先駆け
「なんですよ」「あるわけね」「なのだな」
と、すぐそばにいる誰かに
話しかけるように語る文章が、
エッセイスト伊丹十三の最大の特徴。
今では当たり前だが
60年代から70年代にかけて
このような文体のエッセイは、
ほぼ十三の独壇場だった。
映画に出演するために訪れた
当時まだ日本人に縁遠いヨーロッパを描いた
「ヨーロッパ退屈日記」は、
多くの読者を獲得。
スパゲティのアル・デンテを
日本で最初に紹介したのもこのエッセイである。
本の惹句を書いたのは作家、山口瞳。
それはこんな一文だった。
この本を読んでニヤッと笑ったら,
あなたは本格派で,しかもちょっと変なヒトです
礒部建多 15年12月20日放送
pellaea
十三と音楽
音楽がわからない、という状態が
ずいぶん永く続いたように思う。
あるエッセイを、伊丹十三はこのような書き出しで始める。
その理由は幼少期の環境にあった。
小中学生の頃、伊丹の周りには、
音楽的教養の高い子どもばかりだった。
自分だけ例外なことに、コンプレックスを抱いていた。
21歳の時、伊丹は初めてヴァイオリンと出会う。
独学で練習を始めると、ひたすらのめり込んでいった。
そして後にこんな言葉を残す。
楽器とはその人の終生の友である。
決して裏切ることのない友である。
好きになれる天才。
それが、伊丹の多彩な才能の原点かもしれない。
澁江俊一 15年12月20日放送
Zanpei
タンポポの味
死ぬことをテーマにした映画「お葬式」で
監督として高く評価された伊丹十三。
続く「タンポポ」では
食べることを徹底的に描いてみせた。
ラーメン、スパゲティ、
味噌汁、北京ダック、チャーハン・・・
食べるという
人間に欠かせない欲望を、
ユーモラスに、そしてエロティックに表現。
日本よりアメリカで高く評価され、
独自の食文化を知らしめた作品となった。
日本橋のたいめいけんでは
映画に出てくるオムライスが今でも食べられる。
ふわふわのオムレツをナイフで切ってライスにかける
そのスタイルに十三のこだわりが生きている。
礒部建多 15年12月20日放送
脚本の書き方
伊丹十三は、何者か。
多彩な才能を持っていたが、
やはり映画監督・脚本家の顔が有名だ。
とある番組で、
伊丹は脚本を考える際のテクニックを説明した。
「絶対にクライマックスを設定して書くこと。」
「クライマックスを主人公が乗り切って終わること。」
「セリフは最後に書くこと。」
それは意外にも、
教科書に載っているような平凡な内容だった。
しかし伊丹は、こう付け加える。
まあ、脚本というのはゴールではなくて、
そこからどこまで飛ぶかというスタート台だからね。
伊丹十三は、何者だったのか。
誰も真似のできない天才でしかなかったのか。
奥村広乃 15年12月20日放送
Jith JR
十三の職業
伊丹十三。
彼の職業は、1つではない。
俳優、タレントとして活躍後、
映画監督として時代を築いた。
映画だけではなく、CMも、
ドキュメンタリー映像もつくった。
すぐれたエッセイストでありながら、
雑誌の編集長をつとめ、
商業デザイナーや、
イラストレーターでもあった。
そんな彼は名刺の肩書きに、
こんな1項目を増やしてもいいと考えていたという。
「強風下におけるマッチの正しい使い方評論家。」
独自の鋭い感性とこだわりを持つ、
彼らしい職業である。
奥村広乃 15年12月20日放送
kylehase
男女の関係
空気が凛と冷え、
イルミネーションで街が眩しく彩られるクリスマス。
恋人とすごす人も多いのではないだろうか。
伊丹十三は、エッセイ『女たちよ!』の中で
男女の関係についてこう記している。
「男と女の関係は、一種の放電現象であって、
両極間の距離がゼロになった時には、
放電現象も消滅する。」
誰だって、相手に飽きたくない。
好きな人をいつまでも好きでいたいと思っている。
だから相手に飽きてほしくないと思った時は、
少し身をひいてみる。
そんな小技が、
2人の関係を熱く、長く、保つコツかもしれない。
坂本弥光 15年12月19日放送
リーヴァイ・ストラウスとジーンズ ゴールドラッシュ
1829年、ドイツのバイエルン地方で、
ひとりの男が生まれた。
彼は、父親の死をきっかけにニューヨークへと移住。
24歳にて念願のアメリカ市民となる。
その頃のアメリカ西海岸と言えば、ゴールドラッシュのまっただ中。
男と一家はこの時流に着目し、
鉱山労働者を相手にテントや荷馬車用の幌を売る行商をはじめる。
しかしながら、テントは全く売れない。
そこで、テントや幌の材料であったキャンバス帆布を使った、
耐久性のある作業用ズボンを製造。
金鉱石や採鉱道具をしまうために、大きなポケットも付けたことで、
ズボンは街中で大評判になっていった。
その男こそが、リーヴァイ・ストラウス、
リーバイス社の創始者となる男だ。