飯國なつき 15年12月13日放送
笑いのはなし マルセル・パニョル
風刺喜劇で知られるフランスの劇作家、
マルセル・パニョル。
徹底的に「笑い」を分析していた彼は、
著書でこんな言葉を残している。
何を笑うかによって、その人の人柄がわかる
軽蔑する笑い、共感の笑い、喜びの笑い、
いろいろある「笑い」の中で、
何を笑うかによって人柄がわかる、というのだ。
ちょっとシニカルで、冷静なマルセルの言葉は、
なんとなく、自分の笑う姿を気にさせる。
福宿桃香 15年12月12日放送
ケーキの話 ドリー・バードン・ケーキ
イギリスの国民的作家、チャールズ・ディケンズ。
彼の著書『バーナビー・ラッジ』がきっかけで、
19世紀、ひとつのケーキが誕生した。
それが、ドリー・バードン。
砂糖漬けのドライフルーツを散りばめた、
カラフルで、大きなケーキ。
『バーナビー・ラッジ』に登場する
華やかなドレスを着た女の子、
その名もドリー・バードンに触発された読者が
考案したそうだ。
ドリー・バードンはその後ひとりでに広まり、
今では、ドレスを着た人形の形のバースデーケーキは
総じて「ドリー・バードン・ケーキ」と呼ばれている。
「笑いと上機嫌ほどうつりやすいものもこの世にない。」
そう語っていたディケンズがこのことを知ったら、
とても喜んだに違いない。
村山覚 15年12月12日放送
Akane86
ケーキの話 ザッハトルテ
今から200年ほど前、オーストリア・ウィーンのお話。
16歳のフランツ・ザッハーは宮廷料理人の下で働いていた。
料理長が不在のある日、彼に転機が訪れる。
晩餐会のデザート担当という大役を任されたのだ。
16歳の若き料理人は、見事チャンスをものにする。
パリッとしたチョコレートにふんわりとしたスポンジ。
隠し味のアプリコットジャム。
ザッハーが考案したこのケーキは「ザッハトルテ」と呼ばれ
今や世界中で愛されるケーキになった。
オーストリアにはこんな諺がある。
「幸福は、小鳥のようなものだ」
ホリデーシーズン。あなたとあなたの大切な人が
小さくかわいい幸せに出会えますように。
福宿桃香 15年12月12日放送
mezzoblue
ケーキの話 ピエスモンテ
アメリカやイギリスにおいて、
ケーキは昔から、特別な日の家庭料理だ。
母親が自己流のアレンジを加え、
家ごとにそれぞれのケーキが出来上がる。
フランスのケーキは違う。
ケーキ作りは専門職であり、
味、形、飾りつけの果物の数まで、
決められたレシピに従って仕上げることが
最も重要とされている。
レシピのほとんどは、
18世紀・19世紀の菓子職人達によって生み出された。
彼らの頂点にいたのが、アントナン・カレーム。
エクレアやムースなど、彼が考案したケーキは数えきれない。
カレームの最大の功績は、
ピエスモンテと呼ばれるデコレーションケーキ。
クリームやアイシングを建築物のように高く積み上げる、
いまや結婚式に欠かせない、あのケーキである。
類まれなる創造性でケーキを創り続けた彼は、
生前こう語っていた。
「芸術には五種類ある。絵画、彫刻、詩、音楽、建築。
そこから分かれた大きな枝が菓子だ。」
上遠野茜 15年12月12日放送
Tomomarusan
ケーキの話 藤井林右衛門
クリスマスにはやっぱりイチゴのショートケーキ。
実はそれ、日本だけの文化だと知っていますか?
不二家の創始者、藤井林右衛門。
アメリカで出会ったショートケーキを、
日本人好みの味に改良してクリスマスシーズンに売り出した。
それが、ジャパニーズ・クリスマスケーキの始まりだと言われている。
そもそもアメリカのショートケーキは、
サクサクのビスケット地を土台にした、全くの別物。
ふわふわのスポンジと生クリームが層になり、
イチゴがのったあの形は、日本発祥なのだそうだ。
しかも、なんでクリスマスに?
たしかに生クリームは白い雪を、イチゴは赤いサンタを
イメージしているようにも見えるが、
「あのおめでたい色合いがウケたのだ」と言う人もいる。
クリスマスに紅白を取り入れるなんて、
なんとも日本らしいアイデアだ。
「不二家」の名前には、3つの由来がある。
創業者・藤井家。2つとない、不二の店。
そして最後は日本のシンボル、そう、富士山。
うーん、日本人にウケるもの、
やっぱりわかっていますね、藤井さん。
藤本宗将 15年12月12日放送
ケーキの話 サヴァラン
「新しい星を発見するよりも、
新しい料理を発見するほうが人間を幸せにするものだ」
ブリア=サヴァランは、
著作『美味礼讃』でこんな言葉を残した。
フランス革命前後の激動の時代を
法律家・政治家として生きながら、
一方で食に対する興味を探求し続けた彼。
食べることの楽しみについて語る
蘊蓄たっぷりの表現は、いまも人々を魅了する。
そんな稀代の美食家としての彼に
敬意を表して名付けられたケーキが、
「サヴァラン」。
バターと卵をたっぷりと使ったブリオッシュを切って
ラム酒やシロップを染みこませ、
生クリームやフルーツで飾り付けた
おなじみのあのケーキだ。
もしもサヴァラン自身が
このケーキの味を試したら、いったいどんな言葉で
その幸福を表現するだろう。
大友美有紀 15年12月6日放送
「作家の犬」いわさきちひろのチロ
絵本作家いわさきちひろの愛犬は、チロ。
「ちひろ」から「ひ」をぬいて名付けた。
ちひろはチロを溺愛し、家の中で飼っていた。
チロは甘いものが大好き。
自宅にやってくる編集者に出されたお菓子を欲しがって、
つぶらな黒い瞳でじっと見つめる。
お客のヒザに前足をかけてしまうこともある。
ちひろは、たしなめようとするが、
つい遊んでしまう。
いくら犬でも、たたいていうことをきくように
しつけるのが、私にははじめっからできなかったのです。
絵本「ぽちのきたうみ」は、
チロを思いながら描いた少女と犬のお話。
子どもにも犬にも、やさしい視線を向けている。
大友美有紀 15年12月6日放送
lybian
「作家の犬」坂口安吾の手紙
私の友人の檀一雄君が、
ぜひ最高級の秋田犬が飼いたいと申し、
しきりに最高級、日本一をたのんでくれと
日夜哀願いたす。
坂口安吾が秋田犬保存会会長に送った手紙。
しきりと哀願した秋田犬は、
はたして壇のもとに届けられた。
壇は礼状を書いた。
名はドンと名付けました。
日本一の花嫁を迎えたく、
今からお願い申し上げておきます。
ちゃっかりしたものだ。
無頼派と言われる作家たちも、
大好きな犬の前では尻尾をまるめるのだ。
大友美有紀 15年12月6日放送
「作家の犬」坂口安吾のコリー
坂口安吾は晩年を過ごした家で、たくさんの犬を飼った。
なかでもコリー犬のラモーが一番のお気に入りだった。
私は飼主の友でしかない普通の犬はキライだ。
コリーは人間全体に親愛を表す。
少なくとも彼らの素性が知れさえすれば。
日本犬は「イヤらしいほどに主人に忠義」で気に入らなかった。
その考えをくつがえす犬に出会いたいと秋田を訪ねた。
が、秋田犬もラモーの魅力にはかなわなかった。
容姿が雄大で美しいから、
御婦人がこれを連れて歩くと、
御婦人の方が見劣りする。
たくさんいた犬の中で、
ラモーだけが座敷にあがることを許されていた。
猫かわいがりされた、犬だった。
大友美有紀 15年12月6日放送
「作家の犬」壇一雄の言葉の無用な家来
坂口安吾のつてで檀一雄のもとに来た秋田犬ドン。
あんなに哀願したのに、飼い方は人畜雑居。
ドンの喰い落としをフミが拾えば、
ドンもまたフミの喰い落としを拾う。
絶え間なく犬がいた家だった。
しかし主が「絶え間なく」家にいた、とは言いがたい。
壇が帰ってくると、犬たちは狂喜して駆けつけ、とびつく。
壇は、犬たちを叱らない。
愉快そうに笑いながら、背中を叩いて
わかった、わかった、お前さんは、エライよと言う。
子どもたちも、言葉が達者になる前は、
同じように言われていた。
「火宅の人」に
私は、言葉の無用な家来共が大勢いる
という一節がある。
子どもも犬も、言葉は無用。
この家来共に大勢囲まれていた時期が、
壇にとって、いちばん幸せだったのではないかと、
娘のフミは、振り返る。