伊豆原浩太 15年11月29日放送
MIT-Libraries
パット・マクグラス 「化粧品売り場に通う女の子」
世界のメゾンが認めるトップメイクアップアーティスト、
パット・マクグラス。
クリエイティビティのルーツは
何よりもファッションに夢中な母・ジーンにあった。
パットが幼い頃、ジーンは決まって金曜日に、
彼女を連れて化粧品売り場へ出かけた。
当時珍しかった、黒人の肌に合うアイテムを探すためだ。
手元の化粧品を混ぜ合わせ、
肌の色になじむクリームをつくるのも日課だった。
パットは当時を振り返って言う。
「あの時は本当に金曜日が嫌いだったわ。化粧品売り場でいつも泣いていた。
でも不思議よね。当時の体験が、今のわたしをつくっているんだから。」
伊豆原浩太 15年11月29日放送
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パット・マクグラス 「運命を変える出会い」
世界のメゾンが認めるトップメイクアップアーティスト、
パット・マクグラス。
地元の大学で、アートの基礎コースを終えた彼女は、
運命的な出会いを果たす。
イギリスを代表するファッションマガジン『i-D』のスタイリスト、
キム・ボウエンとだ。
「本当にメイクに興味があるなら、手伝ってみない?
キムは、自らのアシスタントとしてパットを誘った。
床掃除やお茶汲みから機材運びまで。
パットは出来ることから何でもこなした。
『i-D』の仕事で徐々に頭角を表した彼女は、
『VOGUE』の作業に参加するチャンスを得る。
以前、一緒に仕事をしたモデルのひとりが、パットを売り込んでくれたのだ。
「美しい洋服を、メイクで台無しにはできない」
当時、まだ保守的だったコスメ業界で、
パットは、大胆かつ前衛的な「魅せる」メイクに挑戦した。
やがて、ジルサンダーやジョンガリアーノのコレクションで、
エナメルの花びらを顔に貼付ける、独特なメイクを発表。
一躍世界中の注目を集めた彼女は、
遂にトップメイクアップアーティストの仲間入りを果たすのだ。
伊豆原浩太 15年11月29日放送
パット・マクグラス 「ファッションは、あらゆる人のもの。」
世界のメゾンが認めるトップメイクアップアーティスト、
パット・マクグラス。
ファッション業界での功績を認められ、
2013年に大英帝国勲章を受勲した。
彼女が、常に胸に秘める想い。
それは「ファッションは、あらゆる人のものである
ということ。
幼いパットを女手ひとつで育てあげた母親の信念でもある。
「この業界は、まだまだ白人中心の世界。
私が活躍することで、少しでも状況を変えていきたい。」
人種を超えてファッションを楽しめる、開かれた世界を夢見て。
パットは今日も、世界中のコレクションを渡り歩く。
大瀧篤 15年11月29日放送
zitsubutsu
テオ・ヤンセン 「心の境界線」
「エンジアリングとアートとを隔てる境界線は、われわれの心の中にしか存在しない。」
オランダの芸術家、テオ・ヤンセンの言葉だ。
彼のつくる作品「ストランド ビースト」は、
風のみを動力源に生物のように動きまわる。
身体はポリ塩化ビニルのパイプで構成され、
コンピューターや電気、モーターといったものは一切つかっていない。
海辺の水を察知すれば、濡れないように方向転換をする。
突風が吹くと、飛ばされないように自分の身体を抑え込む杭を浜辺に打ち込む。
それらの姿は、アーティスティックであり、
新種の生命体のようにも見える。
「タンパク質からなる生物ではなく、ポリ塩化ビニルからなる生物形態なのです。」
ヤンセンの展示会を開いたキュレーター、トレヴァー・スミスはそう言う。
ヤンセンはあらゆるものに枠を規定していない。
だから、イノベーションを起こせるのだ。
大瀧篤 15年11月29日放送
Marcin Wichary
アラン・ケイ 「未来を予測する方法」
「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」
パーソナルコンピュータの父と呼ばれる、
計算機科学者アラン・ケイの有名な言葉だ。
彼はイノベーディブなアイデアを数多く打ち出した。
たとえば片手で持てるくらい小さくて直観的に操作ができ、
子供もスケッチブックのように自由に扱えるコンピューター。
1972年にその構想は発表され、iPadの元になっているとも言われる。
「天才の前を歩いていた天才」とも見える彼だが、こんな言葉も残している。
「少なくとも90パーセントの時間を失敗に費やしていなかったとしたら、
あなたは高みを目指していないことになる。」
おびただしい失敗の積み重ねの上に、一握りの成功があるのだ。
大瀧篤 15年11月29日放送
カール・グスタフ・ユング 「創造の病」
「集合的無意識があるからこそ、
人は自分自身とも他者とも対話・理解し合えるのだ」
分析心理学を創始したカール・グルタス・ユングは言った。
この「集合的無意識」の概念は、世界中の研究者に大きな影響を与えた。
20代の頃から、ユングは多くの患者の精神病と向き合い、研究を続けていた。
ところが、彼自身が、師であるフロイトとの決別の後に心を病んでしまう。
ユングは、統合失調症に長く苦しみ、幻覚を見る経験をする。
しかし、自身の危機から脱するために研究を続けたことが、
分析心理学を体系づくることにつながった。
創造的な思想や真理を発見した人の多くは、
神経症的状態を経験している。
精神医学者エレンベルガーは、こう呼んでいる。
「創造の病」と。
大瀧篤 15年11月29日放送
ReneSpitz
スタンリー・キューブリック 「暗黒の光」
「暗黒がいかに広大であろうと、われわれはそこに光を投げかけるべきだろう。」
映画界の鬼才、スタンリー・キューブリックの言葉だ。
未知の地に挑戦すべきというメッセージは、
彼自身が、映画制作で最も大切にしていることだ。
言語中心の映画が殆どだった時代に、キューブリックは
「2001年宇宙の旅」で、台詞があるシーンを40分たらずにした。
「時計じかけのオレンジ」では
ノイズリダクションシステムをはじめて使用し、ステレオ録音を試みた。
彼が行った新たな取り組み、撮影手法の開発には枚挙にいとまがない。
キューブリックは、こうも言った。
「世の中に、馬鹿げた考えなどというものはない。」
この言葉に近しいことを、アインシュタインも言っている。
「一見して馬鹿げていないアイデアは、見込みがない。」
と。
三島邦彦 15年11月28日放送
Yuya Sekiguchi
編み物のはなし 御手洗瑞子(みたらいたまこ)
編み物と港町は縁が深い。
遠い昔、
魚を捕まえるための網づくりから編み物は発達し、
セーターは漁師たちの仕事着として編まれてきた。
遠洋漁業の港町、
宮城県の気仙沼。
ここに、気仙沼ニッティングという会社がある。
この町の人々が昔から親しんできた手編み物を
世界に誇れる商品にすることで
復興の途上にある気仙沼の人々に
確かな希望を作り出した。
気仙沼ニッティングの若き社長、
御手洗瑞子はこう語る。
働くひとが「誇り」を感じられる仕事をつくりたい。
お客様が「大切にされている」とうれしく感じられる商品をお届けしたい。
そして世界中の人から素敵だと思われるものをつくっていきたい。
世界とつながる海を眺めながら、気仙沼ニッティングは進んで行く。
三島邦彦 15年11月28日放送
編み物のはなし 御手洗瑞子(みたらいたまこ)
気仙沼ニッティングは、手編み物の会社。
一着15万円のカーディガンに
全国から注文が集まる。
社長の御手洗瑞子が書いた
「気仙沼ニッティング物語」という本に、
こんな一節がある。
気仙沼ニッティングではこれまで使ったすべてのロットの毛糸を、
補修用にとっておいてあります。
お客様と一生をともにする物をつくること。
そのための準備をしておくこと。
その誇りと責任感が、さらに人を引きつける。
中村直史 15年11月28日放送
music2020
編み物のはなし グレン・グールド
極度の潔癖症でしられたピアニスト、
グレン・グールド。
彼は、極度の寒がりでもあった。
夏でも暖かいセーターにマフラー。
毛糸の帽子をかぶることもあった。
からだの感覚も、精神の感覚も、
ふつうの人とはちがっていたのか。
でも、そんなグールドの演奏するピアノ曲が、
人類を代表する音の一つとして
今日も宇宙を旅している。
いつの日か、グールドを聴いた宇宙生命体は、
人類をどんな生き物だと想像するだろう?