渋谷三紀 20年4月11日放送
スープについて 恋愛スープ
恋愛中のコックのスープは飲むな。
ヨーロッパにあることわざ。
恋愛というから甘くなるのかと思いきや、
逆に塩辛くなるらしい。
恋愛中は中枢神経が刺激されて
ホルモンバランスが崩れる。
すると味覚が麻痺して、
塩を余計に加えてしまうのだそうだ。
奥さまのつくるスープが塩辛いとしたら、
恋愛気分がまだつづいているのかもしれない。
渋谷三紀 20年4月11日放送
スープについて 羊肉のスープがけ
1765年のこと。
ブーランジェという店がパリにオープンした。
名物はスープを煮詰めて羊の肉にかけた料理。
「うちの料理はお客様の元気を回復するためにある」
と店主が言ったことから、
回復するという意味の“レストレ”が
レストランの語源になった。
元気な時はもちろん、
元気がない時ふいに訪れたくなる店こそが、
本当にいいレストランなのかもしれない。
渋谷三紀 20年4月11日放送
スープについて ブイヤベース
魚介類たっぷりの鍋、ブイヤベース。
南フランスのマルセイユには、
「ブイヤベース憲章」なるものがある。
カサゴ、白カサゴ、赤アサゴ、アシナガガニ、
ホウボウ、マトウダイ、アンコウ、西洋アナゴのうち
4種類を入れなくてはならない。
鯛、ヒラメ、オマール海老、ムール貝、タコ、イカは
入れてはいけない。
そのほか、使っていい野菜や調味料、
小魚でだしをとることまで細かく決められている。
とはいえ、各家庭やレストランには独自のレシピがあり、
それぞれが正統派を主張しているのだから、
それはもう、煮えたぎるようなブイヤベース愛だ。
渋谷三紀 20年4月11日放送
スープについて 豚骨スープ
福岡が発祥。
ラーメンでおなじみの豚骨スープ。
実は失敗作から生まれた。
母親に火の番を頼んで外出したラーメン屋の店主。
帰宅すると鍋はぐつぐつと煮えたぎり、
透明なはずのスープが
すっかり白濁していたのだそうだ。
肩を落とした店主が
試しにラーメンをつくってみたところ
食べたことのない濃厚な味に驚き、
豚骨ラーメンは店の看板メニューになった。
ラーメン好きとしては、
失敗を失敗で終わらせなかった店主に感謝しかない。
渋谷三紀 20年4月11日放送
スープについて 味噌汁
味噌汁のはじまりは、戦国時代の陣中食だ。
里芋の茎を味噌で煮しめた芋がら縄に、
熱湯をかけて味噌汁をつくった。
味噌は戦における大切なエネルギー源。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人が
豆味噌の産地で生まれたことは偶然ではないだろう。
上杉謙信の越後味噌や伊達正宗の仙台味噌は
時代を経て、戦う現代人に食されている。
大友美有紀 20年4月5日放送
イースター島 ヤコブ・ロッフェーヘン
1722年の今日、4月5日、
オランダの提督、ヤコブ・ロッフェーヘンは、
南太平洋の孤島にたどり着きます。
その日は、キリスト教のイースターの日曜日。
彼は孤島を「イースター島」と名付けました。
ロッフェーヘンは、島に大きな像があるのに驚き、
あんな大きな石像を運べるはずがない、
粘土でできているに違いないと考えたそうです。
謎多きモアイ像がたたずむ
謎多きイースター島。
一度は訪れたい絶海の孤島です。
大友美有紀 20年4月5日放送
Arian Zwegers
イースター島 ラノ・ララク
今日はイースター島が発見された日。
南太平洋ポリネシアの東端にあるイースター島は
小豆島ぐらいの大きさの火山島だが
島の南東部に位置するラノ・ララク火山は
加工しやすい火山岩が採れるため
モアイ像の製造工場と言われています。
ラノ・ララクには約400体ものモアイ像が残されていて、
なかには作りかけのものもあります。
例えば巨人の子どもがモアイ像を作っている最中に
「ごはんだよ」と呼ばれて、放り出して行ってしまったかのように
無造作に置かれています。
モアイは、宇宙人が作ったという説もあります。
それほどに人智を超えた存在です。
大友美有紀 20年4月5日放送
イースター島 歩くモアイ像
今日はイースター島が発見された日。
謎の巨大石像、モアイで有名な島。
モアイは海の近くに立っているものが多いのですが、
採掘場と言われるラノ・ララク火山から、モアイ像が立つ場所まで
近くて数キロ、遠いところは20キロ以上離れています。
どうやって運んだのでしょう。
木造のソリに乗せて運んだ。
丸太を何本も並べて、コロの原理で運んだ。
逆V字の木に吊り下げて運んだ。
イースター島を訪れたヨーロッパ人たちは、
巨大な石像の運び方を考えずにはいられませんでした。
島民の間では「自分で歩いて行った」と言い伝えられています。
それを実証するために、
アメリカのカール・リポ教授チームは、
モアイを歩かせる実験をしました。
3方にロープをかけ、左右から代わる代わる引っ張るのです。
すると、モアイ像は横に揺れながら、ゆっくりと前に進んでいきます。
その様子は動画でも見ることができます。
ゆらーり、ゆらーり。確かに歩いているかのようです。
大友美有紀 20年4月5日放送
Marcio Cabral de Moura
イースター島 ヘイエルダール
今日はイースター島・モアイ像の島が発見された日。
モアイは、アフという台座に立っています。
数メートルの高さのあるアフ。
どうやって乗せたのでしょう。
文化人類学者ヘイエルダールが実証しました。
アフにモアイをうつ伏せで乗せ、
後ろから縄で引き上げ、隙間に小石を詰める。
いっぱいになったら、また引き上げて小石を詰める。
これを繰り返し、ついにモアイは立ち上がりました。
アケナケ・ビーチで見ることができます。
大友美有紀 20年4月5日放送
Bjørn Christian Tørrissen
イースター島 モアイの眼
今日はイースター島が発見された日。
モアイ像で有名な島。
モアイには「眼」があるのを知っていますか。
1978年、モアイを修復中の考古学者チームが、
砂の中からあるものを発見しました。
赤い凝灰岩(ぎょうかいがん)と白サンゴを
組み合わせたもの。
それをモアイの眼の部分にはめてみると、
ぴったりとおさまりました。
それこそがモアイの眼。
ただ、「眼」が見つかったのは、ごく一部のモアイだけ。
きっと、特別な儀式の時だけ「眼」を装着したのでしょう。
どんな儀式か、今では知るすべもありませんけれど。