石橋涼子 15年11月8日放送

151108-03
matsukawa1971
夫婦のはなし 小津安二郎が描いた夫婦

小津安二郎の映画「お茶漬けの味」は
裕福だけれど、かみ合わない夫婦の物語だ。

真面目で努力家で無口な夫と
派手好きでお嬢様育ちの妻。
味噌汁かけごはんが好きな夫と
それを下品だと言って怒る妻。

育った環境も価値観もまるで違うふたりは、
話し合うことも歩み寄ることもせず
互いに距離を置く。
そんな夫婦の関係が変わるのが、
深夜にお茶漬けを食べる場面だ。

家事が苦手な妻と夫でたどたどしく準備をし、
ふたりで食卓につく。
夫が美味い。というと、
妻も美味しいわ。とつぶやく。
ひとりごとのような会話から、
わだかまりが溶け、ふたりの本音がこぼれ始める。

食卓を囲む風景が仲直りの象徴となるのは、
恋人ではなく、夫婦の物語ならではだ。

最後に夫がぽそりと言う。
これだよ、夫婦はお茶漬けの味なのさ

topへ

石橋涼子 15年11月8日放送

151108-04

夫婦のはなし 前島密の家の顔

郵便制度の創始者であり一円切手の肖像・前島密は
先見の明を持ち行動力に溢れる一方、
自他ともに厳しく、真面目で質素な性格だった。

なにしろ、ある時期にテレビ局が
前島密を題材にドラマをつくろうとしたが、
面白みや華やかさが足りないという理由で
企画が途中で没になったのだという。

ところが夫婦で過ごす時間はまた別の印象だ。
歳を重ねても夫婦水入らずで旅行を楽しみ、
家では得意の尺八を妻の三味線と合奏する。
夫婦で映っている記念写真は
一円切手の肖像とは対極の、目じりの下がった笑顔だった。

topへ

小野麻利江 15年11月8日放送

151108-05
MacBeales
夫婦のはなし 2時間差で天に召された夫婦

94歳の夫と、92歳の妻。
そんな夫婦が、なんと、
2時間差で息を引き取った。

ニュージーランドで暮らしていた、
ヒュー・ニーズさんと、妻のジョアンさん。
67年ものあいだ連れ添った2人は
常日頃から、

私たちはお互いがいなければ生きていけない。

そう、口にし合っていたという。

ウェリントン郊外にある療養所に
夫婦そろって入ってから、じつに2ヶ月後。

闘病中だった夫・ヒューさんの死を看取った、
たった2時間後に
ジョアンさんは脳卒中で倒れ、
ヒューさんのあとを追うかのように
息を引き取ったという。

後日、地元紙の取材を受け、
ヒューさんとジョアンさんの
2人の子どもたちはこう語った。

両親を次々と喪って
私たちは喪失感と悲しみでいっぱいですが、
本人たちにとっては
幸せな旅立ちであったのだと思います。
奇跡としか言いようがありません。

topへ

小野麻利江 15年11月8日放送

151108-06
Konstantin Leonov
夫婦のはなし 田辺聖子の「夫婦の幸福」

『人生は、だましだまし』というエッセイの中で、
作家の田辺聖子は、「夫婦の幸福」とはどういうものだろう
と思いを巡らせる。

「幸福」に相当する大阪弁は<エエ調子>。
夫婦がエエ調子でやっていくには、どうあればいいか。
そう考えて出した結論は、

 人生には<ナアナア>ですます、
 ということが時として必要であるが、
 その<ナアナア>度が一致するのが、仲のいい夫婦である。

というもの。

わざわざこんなアフォリズム・金言風にして
己の身に刻もうとしている時点で、
田辺自身も、まだまだ<ナアナアの度合い>が低い、と断じて
この考察は終わるが、
白黒つけようとせず、清濁を併せ呑む。
それが夫婦の幸福、という達観ぶり。

何年連れ添えば、
そんな境地になれるものやら。

topへ

熊埜御堂由香 15年11月8日放送

151108-07
Christopher.Michel
夫婦のはなし 父母より夫婦

父親や母親との関わりから患者の抱える問題を浮き彫りにし
解決に導いてきた、精神科医の岡田尊司さん。
その経験を生かし、ベストセラー「母という病」など著作でも
多くのひとを救ってきた。

そんな彼が書いた恋愛本
「なぜいつも似たようなひとを好きになるのか」
の冒頭にこんな言葉がある。

 母は選べなくても、父は選べなくても、
 パートナーは選べるんです。

胸に手をあてて考えてみると
夫に自分の父親の姿を探したり、夫婦関係が
こども時代にやり残したことの埋め合わせだったり・・・
そういう話はめずらしくない。

著書の中でも、こども時代の満たされなかった思いを
夫婦関係で乗り越えていく患者の事例が多く紹介されている。
他人なのに、自分をうみだした父親や母親以上の存在になれる。
夫婦って、深い。

topへ

茂木彩海 15年11月8日放送

151108-08
jafsegal
夫婦のはなし 藤代冥砂が撮りたいもの

自身の妻を被写体にシャッターを切り続けるカメラマン、
藤代 冥砂(ふじしろ めいさ)。

カメラマンと被写体というちょっぴりかわった夫婦のはじまりは
撮影現場。

最初からピンときたわけではなかったけれど
2人の距離を一気に縮めたのが知人と一緒に出掛けたタイ旅行。
こそこそ夜遊びに抜けだそうとする藤代に、
「女の子?今日行くの?」
と声を掛けられて、振り返った瞬間のくったくのない笑顔と、
さげすむわけでもない不思議な佇まいにグっときてしまった。

藤代は言う。

彼女が年を取っていく姿を見てみたい。
そして、できたらそこに自分もいたいなと思った。
生まれて初めて、「未来」に対して
愛おしいという気持ちが生まれたんですよね。

これからも一人のファンとして、夫として
愛する妻の日常をカメラのフィルターを通して切り取っていく。

カメラマンと被写体の幸せな関係はきっと
未来へ歩むたび、より深まっていく。

topへ

大友美有紀 15年11月7日放送

151107-01

「古川緑波」どうかしている食欲

昭和の喜劇役者・古川緑波。
男爵の家に生まれ、映画雑誌の編集者を経て
役者になった。

エッセイストでもあり、自著略歴に
「近頃は、もっぱら食らうことに情熱を傾けている」と
書くほど、食べることが好きだった。

 ぼくという人間の食欲は、どうかしている。
 だってこんな人もめったにあるまい、
 恋の思出がうすらいでも、
 食い気の思出は、消えないのだ。

それも贅沢な食事を好んだ。
トレードマークのロイド眼鏡同様、
育ちの良さが、あらわれている。

topへ

大友美有紀 15年11月7日放送

151107-02

「古川緑波」うどん粉の型焼

昭和の喜劇役者・古川緑波。
食べることに異様な情熱を持っていた。
戦争末期、うまいものが食べられず、嘆く。

 ああもう生きていてもつまらない!
 食うものがなくなったからとて
 自殺した奴はいないのかな。

なじみの店が二軒閉まっていた。
淋しく帰って「うどん粉の型焼」を
モシャモシャと食べた。
当時は、よくある食事である。
それで、涙が出そうな気持ちになったと
日記に記している。

topへ

大友美有紀 15年11月7日放送

151107-03

「古川緑波」帝国ホテルのグリル

昭和の喜劇役者にして、エッセイスト、
古川緑波の食べることにかける情熱は、異様だった。
昭和19年、帝国ホテルのグリルが注文制となった。
事前に二人前を申し込む。その日の日記。

 一人前だと困るので、
 影武者も連れて行き、その分も食う。
 彼は、目の前へ並んだのを見るだけだ。
 辛かろうが、許せ。

困る、とはどういうことだろう。
緑波は、美食家であるうえに、大食漢でもあった。

その夜、知り合いに連れていかれた茶房で、
鶏肉、卵、その他いろいろ御馳走になり、
ウイスキーで心地よく酔う。

 帰りの駅までの道遠く、
 月明の下を、テクテク歩き、
 酔いも醒める。

少し残念そうである。贅沢な男だ。

topへ

大友美有紀 15年11月7日放送

151107-04

「古川緑波」めがね卵

昭和の喜劇役者・古川緑波は、
戦時下でも、撮影や公演で、各地を訪れる。
行く先々でも、旨いものを食べるために苦心していた。
大阪で舞台千秋楽の後、食べるものがない。

 今夜はウイスキーを一人で飲もう
 宿には何の肴もない
 一個一円二十銭で買った卵を二つ
 めがね卵にしてもらって
 それで飲む
 しみじみと、めがね卵を見た
 こんなによく見たことははじめてだ
 塩をふりかけて先ず白身を少し食べる
 黄身がトロリと溶けた
 黄身を食べる うまいな
 めがね卵は よきもの
 二つの卵はウイスキー三杯の間に
 なくなってしまった
 皿には黄身が少しついている
 皿を手に取るや ペロリと舐めた
 そして又 一杯
 めがね卵は もういない

切ないが、とてもおいしそうだ。

topへ


login