茂木彩海 15年10月18日放送
日本語のはなし 月を表す日本語
豊作の祈願と、収穫の感謝をするささやかな秋のお楽しみ、お月見。
お団子は毎晩夜を照らしてくれる月に感謝をするために、
すすきはお米の豊作を願って飾られる。
古来から月を愛でる習慣があった日本には
月の状態を言い表す名前が、数多く存在している。
新月から7日目の月は、弓に似ている、「上限の月」。
14日目は、満月に少しまだ足りない「小望月(こもちづき)」。
そして、18日目の夜に浮かぶ月の名前は、「月待ち月」。
月が出るのをいまかいまかと待ち望む
そんな気持ちごと、月の名前にしてしまう。
日本語のやわらかさが、
今夜の月をもっと優しい光にする。
熊埜御堂由香 15年10月18日放送
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日本語のはなし 名文を書かない文章講座
芥川賞作家、村田喜代子さん。
福岡県で、主婦をしながら小説を書き続け、
地元のカルチャーセンターでは、文章の書き方を教えてきた。
生徒は、はがき一枚にも苦労するという、
主婦だったり、リタイア後の夫婦だったり、まさに市井のひとびと。
そんなひとへ向かって村田さんはこう教える。
エッセイや手紙を書くときに、名文に憧れを抱く必要はない。
名刀を台所に持ち込んで大根を切る者はいない。
大根を切るときには、使い慣れた、よく研いだ包丁を使うもの。
そんな風に、心のこもった文章は普通の文体で書けばいいのだ。
村田さんの講座のタイトルは、
「名文を書かない文章講座」。
毎回、講座を終えるころには、
プロの村田さんが思わず、ほろりと心動かされる
エッセイをみんな書くようになるそうだ。
「ありがとう」そんな飾り気のない一言に心が
温まるように。きっとそこには、とびきりの、
普通のひとの普通の言葉がならんでいる。
熊埜御堂由香 15年10月18日放送
日本語のはなし せつない気持ち
翻訳家の柴田元幸さんと、
日本在住の劇作家、ロジャー・パルバースさんが
「せつない」という日本語をテーマに対談したことがある。
「せつない」にぴったりあてまはる
英語は存在しないとよく言われる。
その対談では、
Heartbreaking,
sentimental
などロジャーさんがせつないに近い英語表現を
いくつかあげて柴田さんと「せつない」気持ちを考えた。
日本人には、近松門左衛門から小津安二郎まで
「どうあがいても幸せになれない」という前提から出発した、
思い通りにならない人生を受け容れる姿勢がある。
そこに美しさや潔さを見いだす、独特の感性から
「せつない」という気持ちは、生まれているのでは
とふたりは結論づけた。
そんな結論にちょっと胸がうずいたら、
あなたも「せつない」気持ち、上級者かもしれない。
石橋涼子 15年10月18日放送
樹/Tatsuru
日本語のはなし 雨を表現する日本語
雨が多い日本には、
雨を表現する日本語も多い。
突然降り出す激しい雨は、驟雨(しゅうう)。
しとしとと降り続く雨は、地雨(じあめ)。
秋の長雨は、秋霖(しゅうりん)。
同じ長雨でも、すすき梅雨と呼ぶとお月見のころかと思う。
急に降り出した雨は肘でよけるから肘傘雨(ひじかさあめ)
庭に打ち水をするのも人工的な雨ととらえて作り雨。
木の葉からしたたる水滴は樹の雨と書いて,樹雨(きさめ)
季節によって、降り方によって、
また、雨がもたらす物語によって、
意味ある名前がつけられているのは日本語ならではだ。
日本語は、おもしろくて、難しくて、美しい。
小野麻利江 15年10月18日放送
日本語のはなし 秋の終わりの日本語
「雀大水に入り蛤となる(すずめ うみにいり はまぐりとなる)」。
そんな日本語をご存じだろうか。
これは、二十四節気(にじゅうしせっき)を3つに分けた
「七十二候(しちじゅうにこう)」の言葉で、
今で言う、10月半ば頃の時候の変化を示したもの。
雀たちが海に集まり鳴き騒ぐ。
それがあるときを境に、ぱたりといなくなる。
秋の終わりのそんな寂しさを、
雀たちが海に入って、蛤になったからではなかろうか。
と解釈した、中国の言い伝えに由来するのだという。
雀の色合いを蛤に見立てた、ユーモラスなこの言葉。
俳句における最も長い「秋」の季語、という説もあるが、
15文字にもなる季語は、案の定つかい勝手が悪いようで。
小林一茶の句にも、蛤と雀のモチーフだけが残されている。
蛤に なる苦も見えぬ 雀かな
大友美有紀 15年10月17日放送
「空を飛びたい」モンゴルフィエ兄弟
1783年、南フランスのモンゴルフィエ兄弟が、
不思議な球体を街の市場で披露した。
その球体は複数のパーツに分かれている布と紙を
1800個のボタンで留めたもの。
モンゴルフィエ兄弟が
その下で火を焚きはじめると
やがて球体は地面から離れて上昇しはじめた。
バロンが天へ昇って行く
兄弟は大声で、皆に知らせた。
これは熱気球の原形。
高度1600m以上に達したといわれている。
バロンとは、フランス語で「袋」のこと。
英語の風船や気球の語源となった。
大友美有紀 15年10月17日放送
「空を飛びたい」ガルヌランのパラシュート
熱気球飛行にはある不安がつきまとった。
事故が起きて熱気球から飛び降りることに
なったらどうしたらいいのだ。
1797年、10月22日、パリ、モンソー公園。
フランスの科学者にして軍人の
アンドレ=ジャック・ガルヌランは、
気球にくくりつけた自作のパラシュートの実験を行った。
1000mの高さに上昇したところで、
気球とパラシュートをつなぐロープを切ったガルヌランは
パラシュートと共にゆっくりと着地した。
観衆は拍手喝采。
空を飛ぶためには、安全に降りることも必要だった。
大友美有紀 15年10月17日放送
「空を飛びたい」ライト兄弟の計画
1903年10月17日、人類初の動力有人飛行。
飛行時間は12秒。ライト兄弟が成し遂げた偉業だ。
しかし、最初に飛行機を作って飛ばしたのは、
ライト兄弟ではない、と主張する人々がいる。
テネシー州のメルヴィル・M・モレルは、
パイロットが滑車とヒモを操る
「アメリカン・フライング・マシーン」で
1877年8月、90mを超える飛行に成功。
その場にいたのはモレルの牧場の使用人だった。
ニュージーランドのリチャード・ピアースは、
エンジンをつけた動力飛行機で
1903年3月に試験飛行を成功。
しかし、その後は改良も発展も続けなかった。
ライト兄弟は計画をきちんと明らかにし、証人も用意した。
初飛行のあと、2人はその後の人生を飛行機の改良に捧げた。
偉業には記憶も記録も必要だと理解していたのだ。
大友美有紀 15年10月17日放送
「空を飛びたい」ニューヨークタイムズの謝罪
1919年、
マサチューセッツ州、クラーク大学のロバート・ゴダード教授は、
ロケットとロケット工学に関する論文を発表し、
ロケットを地球の大気圏の外、
それどころか月まで飛ばすことができると延べた。
それを知った「ニューヨークタイムズ」紙は、
ゴダードを酷評する社説を掲載。
月にまで飛ぶことができるとする彼の考えは、
「高校レベルの知識すら持っていない」
それから50年後の1969年7月17日、
アポロ11号が月へ旅立った翌日、
「ニューヨークタイムズ」紙に謝罪文が載った。
さらなる調査および実験により、
大気中と同様に 真空中でもロケットが
飛行しうることは明確に実証されました。
本誌は過去の過ちを後悔しています。
大友美有紀 15年10月17日放送
「空を飛びたい」ニューヨークタイムズの謝罪
カエデの種は、翼果(よくか)と呼ばれる
2枚の羽を持つ果実の中にあり、
くるくると回って落ちてくる。
これは、ヘリコプターのプロペラの構造と同じ。
レオナルド・ダ・ヴィンチも
スクリュー型のプロペラを持つ機械のスケッチを描いている。
けれども、パイロットを乗せたヘリコプターが
地上を離れて舞い上がったのは20世紀になってからだった。
高度1フィート(約30センチ)、20分間の
初飛行だった。