東美歩 15年10月10日放送
森和夫 共有の精神
マティス、ヴランマンク、片岡球子(かたおかたまこ)。
東洋水産の受付フロアを訪れると、
名だたる画家の傑作を目にすることができる。
誰でも出入りできる場所に
芸術作品を置くのは、
創業者 森和夫の意向によるものだ。
「毎日のように本物の名画を目にしていると
自然と美意識が養われる。
美術に対する感性を磨いてもらいたいから
多くの人が目にできる場所に飾るのだよ。」
いいものを一人占めすることを極端に嫌い、
世の中に還元しようとする男だった。
新製品ができた時も、
あえて他のメーカーが真似できるように
特許をとらなかった。
日本のインスタント食品のレベルが、
世界でも際立って高いのは、
きっとこの男が理由の一つだ。
東美歩 15年10月10日放送
Orange County Archives
森和夫 アメリカ
累積赤字500万ドル。
アメリカへ進出した東洋水産だったが、
その経営は難航を極めていた。
一流歌手を起用した派手なコマーシャル。
バラマキに近い安売りセール。
誠意とやる気の日本式営業を封印し、
アメリカ流のやり方で、販路の拡大を試みたが、
負債はふくらむばかりだった。
乗り込んだのは、
創業者森の懐刀、取締役の深川だった。
「生産のスピードアップ」「仕入れ価格の見直し」。
販売促進への資金投入をやめ、
製造ラインの無駄を徹底的に排した。
日本のやり方で、経営の立て直しを試みた。
赴任1年後、
お荷物と呼ばれていたアメリカでの営業が初めて黒字に転換した。
1984年ロサンゼルスオリンピックで、
東洋水産は麺製品のオフィシャルサプライヤーになる。
苦難続きだったアメリカ進出が、
成功へと大きく舵を切りはじめた。
澁江俊一 15年10月04日放送
広辞苑の生みの親
日本を代表する辞書、広辞苑。
その表紙に、とある人物の名がある。
新しい村を出ると書いて新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日、10月4日に生まれた言語学者である。
広辞苑の編纂中、太平洋戦争が勃発。
東京大空襲では数千ページ分の銅版が失われた。
ようやく迎えた戦後。日本語は劇的に変わってしまう。
言葉の変化を認めなかった出は、
広辞苑のタイトルが略字体になると聞き、
一晩、号泣したという。
苦難を乗り越え、
昭和30年、初版が発売。
出の人生を賭けた、ずっしり重い一冊だった。
澁江俊一 15年10月04日放送
広辞苑を支えた息子
日本を代表する辞書、広辞苑。
その編纂者は新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日生まれた言語学者である。
編纂を支えたのは出の次男・猛(たけし)。
フランス文学者だった猛は
治安維持法違反で投獄され、
釈放されたばかりだった。
猛は全力で作業に挑んだ。
外来語を充実させながら、
戦後、資金不足に困ると、
岩波書店に出版を依頼した。
父の願いだった広辞苑を、叶えた息子。
初版の広辞苑、価格は2000円。
公務員の初任給が9000円の時代に、飛ぶように売れた。
戦後の混乱で自信を失った日本が、
正しい日本語を、待っていたのだ。
澁江俊一 15年10月04日放送
広辞苑と国民的女優
日本を代表する辞書、広辞苑。
その編纂者は新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日生まれた言語学者である。
広辞苑の生みの親といえば
どんな人物を想像するだろう?
いつも正しく、真面目で、謹厳実直な人物だろうか。
そのどれもがあてはまった出だが、
愛らしい一面もあった。
名女優、高峰秀子の大ファンで、
家中に彼女のポスターを貼っていたのだ。
広辞苑を知らなかったという秀子は、
出の印象をこう記している。
新村出という人は、
こりゃ余程の大人物なんだな、
ライオンが借りてきた猫みたいになっちゃったんだから。
ここで言うライオンとは
秀子を出に紹介した大作家、
谷崎潤一郎である。
秀子もまた、
かなりの大人物だった。
澁江俊一 15年10月04日放送
装丁の真相
日本を代表する辞書、広辞苑。
その編纂者は新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日生まれた言語学者である。
装丁を担当したのは
出と親交のあった画家・安井曾太郎(やすいそうたろう)。
広辞苑の背表紙には、
不思議な浮き出し模様がある。
「水辺に立つ鳥」「池に睡蓮」など諸説あるが、
安井が模様の真相を語ることはなかった。
しかしこの浮き出し模様のおかげで、
広辞苑を持つ時に指がかかり、
とても持ちやすい。
パリに学び、
日本ならではのリアリズムを目指した安井。
そこまで考えての模様だったのだろうか?
松岡康 15年10月04日放送
Andrea.Echeverria
逆引き広辞苑
日本を代表する辞書、広辞苑。
その編纂者は新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日生まれた言語学者である。
広辞苑の生みの親も、
おそらく考えもしなかったのが
“逆引き広辞苑”だ。
「イカ」という単語は逆の「カイ」で引く。
するめいか、もんごういか、ほたるいかなど、
様々な「イカ」が並ぶ。
逆引き広辞苑が生まれた理由は、
日本語の構成にある。
日本語では、言葉の意味が下にあり、
それを上で修飾することが多いため、
逆引きをすれば類縁関係にある言葉が一覧できるのだ。
なんでも検索してしまう今日、
たまには「逆引き」してみよう。
新しい日本語の魅力に出会えるはずだ。
松岡康 15年10月04日放送
厚さの秘密
日本を代表する辞書、広辞苑。
その編纂者は新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日生まれた言語学者である。
発売から50年以上経ち
初版本から約4万語、700ページ以上も増えているが、
なんと広辞苑の厚さは変わっていない。
その秘密は一枚一枚の紙にある。
ページが増えた分だけ、紙を薄くしているのだ。
紙を薄くすれば裏の文字が透けてしまう。
それを防ぐために最新の技術で、
光を散乱させる炭酸カルシウムや
二酸化チタンを紙に漉き込んでゆく。
50年かけて進化したのは、
日本語だけではないのだ。
澁江俊一 15年10月04日放送
Dick Thomas Johnson
広辞苑を愛した作家
幼い頃、国文学者の父の書斎に行っては
広辞苑を取り出し、床に座ってめくっていた。
まだ読めなくても、その分厚さや重み、
ひんやりした紙の手触りや、インクの匂いを楽しんでいた。
そう語るのは、作家の三浦しをん。
辞書の編集という大仕事を丹念に取材した
小説「舟を編む」は本屋大賞を受賞し、映画にもなった。
取材中、三浦は
とある広辞苑の編集者に趣味を聞いた。
彼は、こう答えた。
「駅のホームにあふれた人が
エスカレーターに整列して
吸い込まれていくのを見るのが好きです」
こんなにも愛すべき人が、
正しい日本語を決めている。
感動した三浦はその言葉を、
主人公の趣味にそのまま採用した。
奥村広乃 15年10月04日放送
torisan3500
はじまりとおわり
日本を代表する辞書、広辞苑。
その編纂者は新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日、10月4日生まれの言語学者である。
詩人であり作家の高見順は、ある時、こう語った。
戦前の辞書は「愛」から始まり
「女(をんな)」に終わった。
戦後の辞書は「愛」に始まり
「腕力」に終わる。
どうやら、これは高見の創作であるらしい。
辞書のはじまりは「愛」ではない。
終わりは「女」でも「腕力」でもない。
では、本当の始まりと終わりは?
ぜひ、お手元の広辞苑で確かめてみてほしい。