薄景子 15年8月30日放送
dreamcat115
涼菓の話 壇一雄の杏仁豆腐
作家、壇一雄。
世界中を放浪し、特に料理には並々ならぬ情熱をかたむけ、
食の実用的エッセイ「壇流クッキング」を完成させた。
甘党だった壇がよく作ったのが、杏仁豆腐。
戦前の中国で覚えてきたのをきっかけに、家で再現をする。
壇は正統派の寒天菓子にこだわって、
寒天が入ると固くなりがちなところを
牛乳の量を調整し、絶妙なやわらかさに仕上げた。
壇はエッセイにこう記す。
固まり方が砂糖の量や、夏冬の寒暑によって微妙に変化するから、
大いに研究してほしい。
私などは十遍ぐらいは失敗した。
何度も失敗を重ねて完成した杏仁豆腐を
一瞬でつるりといただく幸せも、
格別だったにちがいない。
茂木彩海 15年8月30日放送
jasonlam
涼菓の話 スイカのようなコーヒーゼリー
東京、南千住駅から徒歩7分。
東浅草二丁目の交差点近くにある喫茶店、『カフェ・バッハ』。
ここに昭和43年の創業から作られているコーヒーゼリーがある。
コーヒーゼリーはふつう、ミルクを掛けたり、
シロップを掛けたりして食べるものだが
『バッハ』のコーヒーゼリーはひと味違う。
ガラス製のコンポートに流し固められたゼリーの上に、
どっしりと濃厚なブラマンジェが重なっているのだ。
スプーンですくいあげ、黒と白のコントラストを楽しみながら
口へ運べば、2つの味わいが口の中で溶けあって
贅沢この上ない。
このコーヒーゼリー。
実は、メニューに並ぶのは夏の間だけ。
その理由を店長の山田康一さんはこう語る。
ゼリーに旬があるかどうかはまた別にしても、年中あると、
なんとなく感動が薄れてしまいますので。
やっぱり、スイカみたいな感じで、夏本番になるとなんとなく食べたくなる。
ほろ苦い大人の思い出で夏を締めくくるのも
悪くないかもしれない。
小野麻利江 15年8月30日放送
涼菓の話 二見浦と赤福氷
玉くしげ 二見の浦に すむあまの
わたらひぐさは みるめなりけり
三重県伊勢市の二見浦(ふたみがうら)。
古来より和歌にも詠まれ、
お伊勢参りの人々が
穢れを祓ったとされるこの海岸で
海水浴客のために生まれたのが、赤福氷。
赤福の餡と餅は、氷になじむよう特製され
今も多くの観光客の、暑気払いとなっている。
石橋涼子 15年8月30日放送
涼菓の話 藤原定家のかき氷
現在も夏の甘味の代表であるかき氷が、
平安時代に存在していたことはご存知だろうか。
当時のかき氷は、天然の氷を刀で削ったもので、
枕草子や源氏物語にも登場する。
夏、貴重な氷を口にすることができたのは、
一部の限られた貴族だけ。
暑さ対策であると同時に、特権階級のステイタスでもあったのだ。
新古今和歌集の編纂で知られる鎌倉時代の歌人
藤原定家は、56年に渡って日記を書き続けた。
後鳥羽上皇に召し上げられた絶頂期の日記には
氷を頂いたので、自ら削って涼を楽しんだ。
と言った内容が上機嫌に綴られている。
その後、後鳥羽院との関係は険悪になり
謹慎を言い渡されるまでに至る。
しかし、院の失脚により再び返り咲く。
60代半ばの、ある夏の日の日記はこんな内容だ。
久しぶりに氷を贈られた。
昔は宮中に上がるたびに氷を味わったものだ。
公家社会の中で浮き沈みを繰り返し
酸いも甘いも味わい尽くしたであろう定家は、
貴重な夏の涼を口にして、何を思ったのだろうか。
石橋涼子 15年8月30日放送
涼菓の話 カルメンの氷菓子
カルメンと言えば、
すべての男を惑わせる危険な女の代名詞だ。
カルメンの原作は、
スペインを訪れたフランス人学者の一人称で語られている。
語り手である学者もカルメンの魅力に惹かれたが、
ドン・ホセのように破滅するほどには溺れなかった。
それは、カルメンとの出会いが
灼熱のスペインの太陽の下ではなく日没時だったからかもしれない。
ふたりで食べたのが肉料理ではなく氷菓子だったからかもしれない。
学者はこう語る。
今日は一つ、悪魔の侍女とひざをつきあわせて
氷菓子を食べてやれ。
旅先ではどんなことでもやって見なくては。
いやいや、冷たい氷菓子で心身ともに涼んだおかげで
カルメンの熱に囚われずに済んだのではないでしょうか、先生。
茂木彩海 15年8月30日放送
オーイシ
涼菓の話 わらび餅のわらび
わらび餅の歴史は古く、
寛永20年に書かれた「料理物語」にはこんな記載がある。
粉一升に水一升五合もいれ、よく溶きてこねそうらいてよし
簡単なレシピだが、実はわらび粉は
10kgのわらび根からわずか70gほどしか採れない貴重品。
いまはサツマイモなど、別のデンプンで代用するのが主流になっている。
本物のわらび餅はねずみ色をしているというが、はたして。
夏が終わる前にお目にかかりたいものだ。
熊埜御堂由香 15年8月30日放送
kouyuzu
涼菓の話 冬のかき氷
鵠沼海岸の住宅街に冬でも行列ができるかき氷店がある。
年中かき氷が食べられる専門店の先駆けとも言われる、埜庵(のあん)だ。
店主の石附浩太郎さんは、勤めていた音響機器メーカーをやめて
38歳のときにかき氷店をひらいた。
最初はランチに食事をだしていたがあるときに、決心する。
「かき氷1本でやっていく」
夏には行列ができても冬は赤字経営。
厳しい季節は、常連客が支えた。
夏は混むからねぇといって、ダウンを着てかき氷をほおばる。
そんなお客さんに支えられて
気づけば、冬の営業もうまくいくようになっていた。
鵠沼でお店をはじめて10年。
石附さんは言う、
もしはじめから一年中かき氷が食べられる店があったなら
僕の店は、この世に存在していなかったと思うんです。
宮田知明 15年8月29日放送
名前の話
キラキラネーム、という言葉があるように、
子どもに個性的な名前をつける人が増えている。
その中には、どう考えても読めない名前もある。
名前に関して、日本三大随筆のひとつ、徒然草の中で、
吉田兼好はこんな言葉を残している。
昔の人は、様々なものに名前をつけるとき、
ありのままにわかりやすくつけた。
珍しさを追求して一般的ではないものを
つけるのは、教養がない。
名前に個性を求めることは、今にはじまったことではないらしい。
兼好法師がいまの時代の名前をみたら、
いったいどんな反応を示すだろう。
宮田知明 15年8月29日放送
AdamKR
言った人、言われた人の話
「あのとき言われたあの言葉が忘れられません。」
と誰かに伝えたことは、ありませんか?
そして、こんな反応をされたことはありませんか?
「そんなこと言ったっけ・・・?」
人は、人に言った言葉は意外と忘れる。
言われた側は、うれしければうれしいほど、
嫌なら嫌なほど、覚えている。
コーチングを教える鈴木領さんによると、
言った側は、1回しか伝えてないのに対して、
言われた側は、何度も頭の中で反芻してしまい、
忘れられなくなる、というもの。
もし誰かに、嫌なことを言われたとしても。
どうせ大したことではない、向こうも覚えてない、と
軽く考えるくらいの方がいいかもしれません。
宮田知明 15年8月29日放送
bradleygee
ゴミのお話
「ゴミを、またぐな。」
俳優・哀川翔が、家庭で子どもたちに教えていること。
ゴミをまたぐということは、そこにゴミがあるのに
それを無視していること。その心が、問題だということ。
「ゴミは拾って捨てましょう。」
と言われるよりも。
なぜか、すっと心に響く言葉。
「ゴミを、またぐな。」
この言葉を記憶していると、部屋にゴミが落ちていたら
またぐことがなくても、
率先して捨てたくなるような、そんな言葉。