佐藤理人 15年7月26日放送
あの人の歌詞 小山田圭吾
声で作った音符
コーネリアスこと小山田圭吾は
歌詞をそう呼ぶ。
音をバラバラに解体し再構築する、
コラージュの名手である彼にとって、
言葉もまたひとつの楽器。
フレーズではなく断片を聴くことで、
より大きなイメージが膨らむ。
言葉と音がひとつになることで、
本来の意味を超えることができる。
子どもは音楽に対する興味を
音よりまず歌詞の面白さで覚える。
テクノロジーを駆使した彼の音楽には、
そんな遊び心が満ちている。
佐藤理人 15年7月26日放送
kaniths
あの人の歌詞 安藤裕子
安藤裕子は自分の歌詞を読み返さない。
彼女にとって歌詞は文字ではなく音。
歌われて初めて意味をもつ。
「好き」と書かなくても、曲の中に
「好き」を溢れさせることはできる
小説でも詩でもない。
曲に乗って歌われる歌詞だけの可能性。
それはリズム。
楽しいとき、苦しいとき。
すべての感情にはリズムがある。
自分のリズムに逆らわず身を任せれば、
言葉は曲とともに自然とわき上がってくるのだそうだ。
心と体の状態を「バイオリズム」と呼ぶのは、
きっと偶然じゃない。
佐藤理人 15年7月26日放送
あの人の歌詞 木村カエラ
歌詞は感覚で書く
木村カエラは言う。
頭でひねり出さず、妄想を広げる。
すると言葉たちが次々と、
外に出してくれ!
と叫んでくる。
誰が聴いても気持ちが上向く歌にしたい。
歌詞の意味を限定しないよう、
彼女はファンタジックな言葉を好んで使う。
しかしその奥に描かれているのは、
平凡な日々のすばらしさだ。
彼女は知っている。今、生きていること。
それこそが最高のファンタジーなのだと。
佐藤理人 15年7月26日放送
あの人の歌詞 小西康陽
元ピチカートファイブの小西康陽は
曲作りで苦労したことがない。
来る!と思った1秒後には
詞も曲もアレンジもひと塊で
ドンッと一曲まるごと降ってくる
しかしどんな天才にもキッカケは必要だ。
それがタイトル。
タイトルさえ決まれば
一曲できたも同然
印象的なタイトルから浮かぶ映像のBGM。
それが彼の音楽。
歌詞も耳だけで聴き取れるよう
注意深く選ばれた言葉だけがリズムよく並ぶ。
彼は言う。
すべての表現の基本には言葉がある
ひと言で伝わるモノがいちばん強い
言葉の数は音符より多い。世界はまだ、
歌われたことのない事柄で溢れている。
佐藤理人 15年7月26日放送
vignetfishnet
あの人の歌詞 原田郁子
クラムボンの原田郁子は強烈なクセ字を書く。
みんなと同じキレイな字じゃつまらない。
その独特の字で綴られる自分たちの歌を
彼女は
筒
と呼ぶ。
曲の芯は聴いた人が
それぞれの解釈で勝手に埋めればいい。
それは聴かれることで完成する音楽。
オマエは面白い字を書くから
面白い歌詞を書きそうだ
作曲家でベースのミトが
そう言って彼女を誘ったのが
クラムボンの始まり。
その予言は真実になった。
佐藤理人 15年7月26日放送
idovermani
あの人の歌詞 曽我部恵一
NEW YORKと書かれたTシャツは着ても、
東京と書かれたTシャツを着る日本人は少ない。
もっと自分の国の言葉で自分のことを歌いたい。
曽我部恵一が歌詞を書くとき最も大切にするもの。
それはリアリティ。
何も起こらない日々のふとした感情を、
目の前の誰かに語りかけるように歌いたい。
まるで喫茶店における一対一の会話のように。
四六時中、歌と言葉のことを考え続け、彼は悟る。
理想は小学生の作文だ
ついうまいことを言いたくなる心を抑えて、
そのままの真実をそのままガーンと歌えばいい。
絵空事って全然気持ちよく歌えない
テクニックをあえて排除するという、
優れたテクニックがそこにはある。
伊藤健一郎 15年7月25日放送
comedy_nose
背筋を凍らせる人 鈴木光司
「そのビデオを見た者は、一週間後に呪い殺される」
作家、鈴木光司を一躍有名にしたのは、
ホラー小説『リング』だった。
執筆を始めた当時、鈴木の家庭には生まれて間もない長女がいた。
家計は妻に頼むかわりに、家のことは自分が引き受ける。
慣れない育児に奔走する中、構想を練った。
ある日の執筆中、ふと一本のビデオテープに目が留まる。
幼い長女が何気なく差し出したものだった。
そこで鈴木は思いつく。身の毛もよだつ、呪いのビデオを。
鈴木は、自身の作品をこう論ずる。
リングシリーズはホラー小説でありながら、
人間を信じる、人類の明るい未来を信じる。
そんな願いが込められている。
まだ無名だったあの頃、鈴木は必死に信じたのかもしれない。
自分と家族の明るい未来を。
伊藤健一郎 15年7月25日放送
wwarby
背筋を凍らせる人 稲川淳二
ひたひたひたひた…
夏の風物詩、怪談。
その語り部といえば…ご存知、稲川淳二。
聞くまいとしても、つい誘われてしまう声。
しだいに目に浮かぶ怪しい景色。いつしか漂う何かの気配。
からんころん、からんころん…
人々の背筋を凍らせ続ける彼には、ひとつの持論がある。
怪談がどんなに怖くたって、
地獄を見た人間にとっては
怪談なんか怖くない。
来年も、再来年も、ずっと。
怪談を怖がり涼む、平和な夏が続いてほしい。
伊藤健一郎 15年7月25日放送
plancas67
背筋を凍らせる人 楳図かずお
面白いものを作りたかったら、人間の本能を突けばいい。
これは、楳図かずおの言葉だ。
ホラー漫画の名手として知られる彼は、
あるときこんな胸中を打ち明けた。
僕はこれまで、誰も描かないような
おどろおどろしい作品をたくさん描いてきました。
でもそれは、怖い話をつくりたかったからではなく、
「恐怖」という最も本質的な感情を通して人間を描きたかったからです。
「美しい」という感情もそう。
それらを抜きに、人間を描くことはできません。
天才と称されることもあれば、狂人と揶揄されることもある楳図。
美しさに怖いほどの執着をみせる人間を描いた
『洗礼』という作品には、こんな問いかけがある。
狂った世界の中にただ一人狂わない者がいたとしたら
はたしてどちらが狂っていると思うだろう?
伊藤健一郎 15年7月25日放送
Adam Polselli
背筋を凍らせる人 スタンリー・キューブリック
世界を恐怖で震撼させた映画『シャイニング』。
作品を象徴するのは、ジャック・ニコルソンの狂気に満ち満ちた表情だ。
ジャケットにも採用されたそのシーンは、わずか2秒。
しかし、撮影は2週間におよび、190以上のテイクを重ねた。
監督を務めたのは、スタンリー・キューブリック。
完璧主義と言えば聞こえはいいが、彼の制作意欲こそ狂気そのものだった。
映画に狂った彼は言う。
映画を作っているときは、ときたま幸せだ。
映画を作っていないときは、間違いなく不幸せだ。