大友美有紀 15年7月5日放送

150705-07

「作家の時間割」フィリップ・ロス

毎日、だいたい10時から6時まで書く。
途中で昼食のため1時間休憩する。
夜はいつも本を読む。
「素晴らしきアメリカ野球」の作者、
フィリップ・ロス。
夕食の後にまた仕事場に戻りたかったら
戻って2、3時間仕事をする。
深夜2時でも5時でも目が覚めて仕事をすることもある。

  僕は救命救急医で、仕事場は救命救急室。
  そして患者は僕自身だ。

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大友美有紀 15年7月5日放送

150705-08

「作家の時間割」サマセット・モーム

執筆は毎日、午前中の3、4時間。
1日千語から千五百語書くことにしている。
午前中の仕事を正午ごろ終えても、
まだ書きたくてうずうずしていることがあった。
「月と六ペンス」の作者、サマセット・モーム。
 
 書いているとき、ある登場人物を作り上げていくとき、
 それは常に私につきまとって、頭の中を占領している。
 そいつは、生きているんだ。
 もしこれを自分の人生から切り離したりしたら、
 とても寂しい人生になってしまうだろう。

 
モームはなにかを見ながら書くことはできないと信じていた。
机はいつも、なにもない壁に向けていた。
書くことは、生きることに近い。

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佐藤延夫 15年7月4日放送

150704-01
Ian Norman (Lonely Speck)
わたしの宇宙 ウィレム・ド・ジッター

20世紀初頭、アインシュタインの宇宙方程式は、
世界中の学者に影響を与えた。
そのひとりが、オランダの天文学者、
ウィレム・ド・ジッター。
彼の提唱する「ド・ジッター宇宙」とは、
理論的に言えば、密度と圧力がともにゼロで
宇宙項が正の値をとる宇宙。
常に加速しながら膨張し続け、始まりも終わりもない。
時をさかのぼればどんどん小さくなっていくが、
大きさがゼロになることはないという。

もうすぐ七夕。
あなたの頭上には、どんな宇宙が見えますか。

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佐藤延夫 15年7月4日放送

150704-02

わたしの宇宙/アレクサンドル・フリードマン

一般相対性理論を提唱したのは、物理学者のアインシュタイン。
それを天文学者のウィレム・ド・ジッターが探り、
次にこのゲームに参加したのは、数学者のアレクサンドル・フリードマンだった。
アインシュタインの示した問いを数学的にアプローチしようと試みた。
フリードマンの宇宙は、膨張と収縮のサイクルを果てしなく繰り返す。
まるで、バウンドするボールのように。
この説について天文学的な結論は求めなかったが、
のちにフリードマンの考える宇宙は、高く評価されることになる。

もうすぐ七夕。
宇宙は、あらゆる学問の坩堝だった。

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佐藤延夫 15年7月4日放送

150704-03
Ernie-e
わたしの宇宙 ジョルジュ・ルメートル

アインシュタインの理論を元にした宇宙研究とは、
むらがなく、あらゆる方向に同じ速度で膨張することを意味した。
「その宇宙は、いかにして始まったか」
という命題に対し、ベルギーの天文学者ジョルジュ・ルメートルは新たな説を唱えた。
宇宙は熱い状態で始まって膨張する。
いわゆるビッグバン理論である。
彼はそれを、こんな言葉で表現した。

 この世界の進化は、終わったばかりの花火にたとえられる。

もうすぐ七夕。
きっと宇宙は、花火の余韻のように静かだ。

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佐藤延夫 15年7月4日放送

150704-04

わたしの宇宙 クルト・ゲーデル

晩年のアインシュタインを夢中にさせた数学者は、クルト・ゲーデル。
彼の有名な業績のひとつが、数論の不完全性定理だ。
数学の理論は完全ではなく、
自分自身に矛盾がないことを証明できない、というもの。
そして彼は、アインシュタインの方程式に新たな解を見つけた。
ゲーデルの宇宙は、回転する宇宙だった。
膨張せず、物質はすべて軸のまわりを一定不変の速度で回転する。
この宇宙では、時間旅行が可能になるそうだ。
さすがのアインシュタインも肝をつぶしたというのも納得がいく。
ただし実際に時間旅行をするには、
光に近い速さと、不自然な形に配置された物質が必要になるそうだ。

もうすぐ七夕。
時間旅行をすれば、織姫と彦星に会えるだろうか。

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茂木彩海 15年6月28日放送

150628-01

お米の話 雲水のお粥

行く雲と流れる水のようにその地にとどまらず
修行をする行脚僧を、雲水という。

その雲水たちが欠かさず食べるのが、お粥。
その功徳は「粥有十利(しゅうゆうじり)」と言い、10個にものぼると言われている。

一、肌つやがよくなる
二、気力・体力が湧いてくる
三、老化を防ぎ若さを保つ
四、食欲を抑え、食べ過ぎない

…などなど。

お米をいただくのに一番シンプルな方法は
心とからだに一番シンプルで大事なことを教えてくれる。

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茂木彩海 15年6月28日放送

150628-02
cyclonebill
お米の話 隆慶一郎の握り飯

脚本家である隆慶一郎は小学生のころ、
夏休みになると毎年一人で長野市の祖父の家へ帰郷していた。

滞在中よく山へ登っていたのだが
道なりに登るのも飽きてしまい、大胆に林を分け入ってしまったある日。

ふと気づけばあたりはうっそうと茂る森の中で、
帰り道などまったくわからない。焦る少年に雨まで打ち付け、不安をあおる。

ポケットを漁ると昼に食べ残した握り飯がひとつ。
一口だけ噛み締め、もったいないので何度も噛んでいると、
米が甘いことをはじめて知った。落ち着きを取り戻し、
なんとか知っている道にたどり着いたのは夜も深くなったころ。

隆は言う。

 うまい米とうまい味噌汁があれば何もいらない。
 これはこの時の迷子の後遺症にちがいない。

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石橋涼子 15年6月28日放送

150628-03

お米の話 大阪の飯炊き仙人

大阪の大衆食堂で50年にわたり
ぴかぴかの銀シャリを炊き続けた村島孟(つとむ)は
人々から愛情をこめて「飯炊き仙人」と呼ばれた。

少年時代に終戦を迎え、食べるもののない時代を経験した。
もともとは料理人になりたかったという村島は、
大人になり名店と呼ばれる店をひたすら食べ歩き、
そして気づいた。
「一流の料亭でも、ご飯の味はイマイチじゃないか」と。

東京五輪の年に一念発起、脱サラして食堂を始めた。
おかずづくりはすべて妻にまかせ
自分は飯炊きに専念した。
毎朝4時になるとかまどに火を入れ、
上半身裸になり、ひたすら米を炊きつづけた。

仙人は、「匂いがつく」と言って魚も肉も包丁も触らない。
長年飯炊きにつかい続けた木しゃもじには
彼の手形がくっきり残っているという。

 出来の悪いのが飯(めし)
 まあまあなのがご飯、
 最高に炊けたんが銀シャリや

そう語る飯炊き仙人の銀シャリを食べるために
1日500人もの人が店を訪れ、
かつて仙人が憧れた料亭の料理人たちも
その味を学ぶために通ったという。

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石橋涼子 15年6月28日放送

150628-04

お米の話 芦屋雁之助のおにぎり

山下清と言えば、ランニングシャツに短パン姿で
おむすびをおいしそうに頬張る姿だ。
そこで思い浮かべるのは、画伯本人ではなく
芦屋雁之助(がんのすけ)演じるドラマの中の
裸の大将ではないだろうか。

実は、晩年の芦屋雁之助は糖尿病を患っていた。
お米は食事制限の筆頭だ。
それでも笑顔でもりもりおむすびを食べ、
ファンからの差し入れのおむすびも
がっかりさせたくなくてきちんと食べたという。

彼が食べる素朴な塩むすびはなんとも美味しそうに見える。
闘病のつらさなど微塵も感じさせない
人としての魅力が味付けになっていたのかもしれない。

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