飯國なつき 15年6月21日放送

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emiton
太陽③ 吉野弘

詩人吉野弘の作品、「夕焼け」。

夕暮れ時の電車の中で、
心やさしい娘が、お年寄りに席を譲る。
ありがとうの言葉もなくそそくさと座るお年寄り。
そんなことが三度も繰り返され、
辛い気持ちにおそわれたのか、やりきれなくなったのか
とうとう娘は、うつむいたまま、席を立たなくなった。

詩の最後は、こう結ばれている。

 固くなってうつむいて
 
娘はどこまで行ったろう。

 やさしい心に責められながら
 
娘はどこまでゆけるだろう。

 下唇を噛んで
つらい気持で
 美しい夕焼けも見ないで。

吉野弘のことばは、誰もが経験したことのある、
けれど輪郭のぼやけた気持ちを形にしてみせる。

胸が痛くなるほど、はっきりと。

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森由里佳 15年6月21日放送

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JulGlouton
太陽④ いのちを燃やす

醜い容姿に生まれたよだかは、
その運命を嘆き、輝く太陽にこう願った。
 
 お日さん、お日さん。
 どうぞ私をあなたの所へ連れてって下さい。
 灼けて死んでもかまいません。
 私のようなみにくいからだでも
 灼けるときには小さなひかりを出すでしょう。

 
宮沢賢治作「よだかの星」の一説だ。
 
悲しみから逃げるように飛び続けたよだかは、
やがて青白く燃える星になる。
 
みじめな運命に苛まれ、
虫たちの命を食べるのをやめて死を選んだよだか。
裕福な出自に苛まれ、
家を飛び出し貧民のために生涯をかけた宮沢賢治。
 
どちらのいのちも
夜空の星のように尊く、儚く、
太陽のように熱く、輝かしい。

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森由里佳 15年6月21日放送

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Christopher Combe Photography
太陽⑤ ひかりに酔う

宮沢賢治は“共感覚”の持ち主だという研究がある。
文字に色を感じたり、現象に味を感じたりする人だというのだ。
 
彼が感じていた世界を味わうには、彼の作品を読むことだ。
たとえば「チュウリップの幻術」。
 
 あの花の盃の中からぎらぎら光ってすきとおる蒸気が
 丁度水へ砂糖を溶かしたときのように
 ユラユラユラユラ空へ昇って行くでしょう。
 (中略)
 そして、そら、光が湧いているでしょう。
 おお、湧きあがる、湧きあがる、
 花の盃をあふれてひろがり
 湧きあがりひろがりひろがり
 もう青ぞらも光の波なみで一ぱいです。
 (中略)
 湧きます、湧きます。ふう、チュウリップの光の酒。
 どうです。チュウリップの光の酒。

 
花からあふれるその酒はきっと、
太陽の味がしたにちがいない。

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森由里佳 15年6月21日放送

150621-06
dcysurfer / Dave Young
太陽⑥ 輝きを失わない

光のパイプオルガン。
 
雲の切れ間から太陽の光が漏れて、
光の柱のように見える光景を、
宮沢賢治はそう呼んだ。
 
そして、いずれ農家を継ぐため
音楽の道を諦めねばならない生徒に、
こう語りかけている。
 
 もしも楽器がなかったら
 いゝかおまへはおれの弟子なのだ
 ちからのかぎり
 そらいっぱいの
 光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ

 
この「告別」という詩は、
教師をやめて新たな一歩を踏みだす
賢治自身への言葉でもあるといわれている。

人は、逃れられない宿命の中で生きていく。
でも、絶望してはいけない。
自分の才能を捨ててはいけない。
どんな時も前を向くことが大切なのだ。
決して輝きを失わない、太陽のように。 

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蛭田瑞穂 15年6月21日放送

150621-07
artbyrandy
太陽⑦ アナクサゴラス

古代ギリシャでは太陽は神と考えられていた。
太陽はすべての生命の源である。
人々がそう考えるのは無理もない。

しかし、哲学者のアナクサゴラスは違った。
日食や月食などの観察から
太陽は燃え盛る巨大な石の塊であると説いた。

しかし、その説は人々に受け入れられるどころか、
神への冒涜として罪に問われてしまう。

アナクサゴラスの正しさが証明されるのは
のちの天文学の発展を待たねばならないが
彼の慧眼には驚くしかない。

常識を疑えば、そこから真理が見えてくる。

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蛭田瑞穂 15年6月21日放送

150621-08

太陽⑧ アリスタルコス

古代ギリシャ。
アリストテレスたちが天動説を唱えていたその頃、
数学者アリスタルコスは夜空に浮かぶ半月を見てこう考えた。

月は球体なのだから月の半分が照らされているのは
太陽光が真横から当たっているからに違いない。

そこからアリスタルコスは太陽と地球と月の位置関係と
それぞれの大きさを導き出し、こう結論した。

地球よりはるかに大きな天体が地球のまわりを
一日に一回まわっているのは不自然である。
太陽ではなく地球がまわっているのだ。

しかし、彼のこの説が広く受け入れられることはなかった。
太陽中心説が再び注目されるのは約1800年後、
コペルニクスの登場によってである。

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松岡康 15年6月20日放送

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オリンピックと釣り 松岡康

ご存知だろうか?
魚釣りがかつて、
オリンピック競技だったことを。

フランス人、ピエール・ド・クーベルタンの提唱に
世界の国々が賛同し、
古代オリンピックの終焉から1500年の時を経て、
1986年に近代オリンピックがスタート。

4年後の1900年に
クーベルタンの母国フランスで開催された
第2回パリ大会で、
魚釣りが公式競技として採用された。
選手たちは2日間セーヌ河で鯉などを釣り、
その総重量で勝敗を競った。

今年8月、
2020年東京オリンピックの追加競技が発表となる。
綱引きやウェイクボードなど意外な候補もある。
どんな魅力的な競技が採用されるか、
楽しみに待とう。

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奥村広乃 15年6月20日放送

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佐藤垢石と釣り

釣りジャーナリストの佐藤垢石(こうせき)。
釣りを中心とした随筆を多く執筆し、
戦後は雑誌「つり人」の初代編集人にもなった。

彼は、こんなことを書いている。

「釣には、嫉妬心を最も禁物とする。」

「釣の道は、人生の道と相通ふところがある。
釣に嫉妬は禁物であるやうに、人生にも嫉妬心は魔物である。」

誰かの釣った魚が大きくても、嫉んではならない。
誰かが見つけた良い釣り場を、横取りするのは美しくない。

多くのスポーツが人生に教訓を与えてくれるように、
自然と向き合う釣りも
生きていくうえで大切なことを
教えてくれるようだ。

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磯部建多 15年6月20日放送

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David Morimoto
開高健と釣り

「何事であれブラジル人は驚いたり、
 感嘆したりするとき、「オーパ!」と言う。」

この一文から始まる、開高健の釣り紀行「オーパ!」。
大河アマゾンで開高は、
まさにオーパ!と発してしまうような魚たちと出会う。

人さえ食べるピラニア、
体重200キロにも達するピラクルー。
美しいホクロのあるトクナレ。
そして全身金色のドラド。

しなる竿。糸が擦れるリール。
釣り上げるまでの一瞬一瞬の興奮や、感動は、
まるで直接語りかけられているかのように伝わってくる。
開高の釣りに思いを馳せるたび、
中国のこんな古い諺が頭をかすめる。

「永遠に幸せになりたかったら、釣りを覚えなさい。」

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澁江俊一 15年6月20日放送

150620-04

ヘミングウェイと釣り

世界的名作「老人と海」を書いたヘミングウェイは
キューバを愛し、22年もの年月を過ごした。
アメリカのアイコンだった彼が
なぜキューバに長く暮らしたのか。
彼の突然の死とともに、今も残る謎である。

ヘミングウェイはキューバ革命の英雄
フィデル・カストロと一度だけ会っている。
1959年の革命直後にヘミングウェイが主催した釣り大会で
笑顔で握手を交わす2人の写真が残っている。
ヘミングウェイを愛読していたカストロ。
「誰がために鐘は鳴る」は、
ゲリラ戦を繰り返す当時の彼のバイブルだった。

アメリカに帰国したヘミングウェイは
1961年に猟銃自殺を遂げる。
同じ年にアメリカはキューバと国交を断絶する。

「老人と海」はハッピーエンドではない。
死闘の末に釣った巨大なカジキは、
サメの群れに食われてしまう。

キューバとアメリカ。
愛した2つの国の未来は、
ヘミングウェイの目に、どう見えていたのだろう。

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