大友美有紀 15年6月7日放送
「映画のプロポーズ」
6月7日はプロポーズの日。
映画のプロポーズシーンで有名なものがいくつかある。
1998年のアメリカ映画「ユー・ガット・メール」。
出演はメグ・ライアンとトム・ハンクス。
舞台はニューヨーク。インターネットで知り合った二人は、
現実の世界では商売上のライバル。
そのことを知らずに、メールのやり取りを重ねるうちに徐々に惹かれあっていく。
やがて二人は、お互いが、自分の求めている本当の相手だと気づく。
コーヒーか、お酒か、食事か、映画でもどう?
僕たちが生きている限りずっと
日本映画「ALLWAYS 三丁目の夕日」。
売れない小説家の茶川は、飲み屋の女将のヒロミに指輪の箱を差し出す。
けれど、中身は空っぽ。
金がなくて箱しか買えなかった。
中身はおれの原稿が高く売れたら……
そんな彼にヒロミが手を差して、
「つけて。その、いつか買ってくれる指輪つけてよ」と言う。
茶川は見えない指輪をつけ、ヒロミはその指輪を嬉しそうに見つめた。
プロポーズは、ドラマを生む。
大友美有紀 15年6月7日放送
cogdogblog
「結婚しようよ」吉田拓郎
今日はプロポーズの日。
フォークシンガー吉田拓郎が
1971年リリースした「結婚しようよ」。
僕の髪が 肩までのびて
君と同じに なったら
約束通り 街の教会で
結婚しようよ
長髪にジーンズ、ギターを抱えて歌うスタイルは、
日本中に広まり、それまで男性が多かったコンサート会場に
若い女性たちが足を運ぶようになった。
プロポーズは、流行を作る。
大友美有紀 15年6月7日放送
「それから」夏目漱石
今日は、プロポーズの日。
夏目漱石の「それから」には、
主人公が友人の妻に想いを告げる場面がある。
僕の存在には貴方が必要だ。
どうしても必要だ。
僕はそれだけのことを貴方に話したいために
わざわざ貴方を呼んだのです。
実生活の夏目漱石は、恋愛を感じさせない「堅物」である。
お見合いで出会った貴族院書記官の長女と、
親族の勧めもあって結婚した。
女性に宛てたラブレターも残っていない。
ただ、ある女性の死に際して詠んだ句がある。
漱石が密かに恋をし、結ばれることのなかった女性だ。
11月13日(日)新聞で楠緒子さんの死を知る。
9日大磯で死んで、19日東京で葬式の由。驚く。
11月15日(火)晴。床の中で楠緒子さんの為に手向の句を作る。
棺には菊抛げ入れよ有らん程
有る程の菊抛げ入れよ棺の中
漱石は、報われなかった思いを作品に昇華させていた。
プロポーズは、傑作を作る。
大友美有紀 15年6月7日放送
「マリア・カラス」メネギーニ
今日はプロポーズの日。
世界の歌姫ディーバと賞賛されたマリア・カラス。
26歳の時、28歳年上のメネギーニと結婚する。
イタリア、ヴェローナの実業家だったメネギーニは、
彼女に一目惚れし、彼女を支えるために、
家業を捨て、彼女のマネージャーになっていた。
結婚式を挙げたのは、ヴェローナのフィリッピーニ教会。
それも本堂ではなく、祭具室。
カラスは故郷ギリシャと同じキリスト教の宗派で、
カソリックに改宗しなかったからだ。
献身的なメネギーニ。
彼女に気まぐれにも根気よく付き合っていた。
しかし、美しく情熱的なカラスには初老の夫は物足りなかった。
大富豪オナシスと恋におち、メネギーニとは離別する。
プロポーズは、時に悲劇を作る。
大友美有紀 15年6月7日放送
「果敢に」横尾忠則
美術家・横尾忠則。人生のモットーは「受け身のポジティブ」。
なんでも、とにかく言われたことは受け入れる。
受け入れた中で、積極的にわがままに思いっきりやる。
若い頃、入社した新聞社である女性と出会う。
その時ばかりは、受け身ではなく積極果敢にプロポーズした。
6月7日、今日は、プロポーズの日。
大友美有紀 15年6月7日放送
「なりゆき」忌野清志郎
今日は、プロポーズの日。
「愛しあってるかい」と呼びかけ続けた忌野清志郎は、
結婚のきっかけを「子どもができちゃって仕方なく籍を入れた」と言っていた。
だって別に籍入れなくていいんじゃないのって言ったんだけど
それだといろいろ、生まれたときに手続きが大変だから、
じゃあ婚姻届けを出そうかなんて。
彼、一流の「照れ」の表現。
付き合っていた頃、妻となる女性が出張に行ったのを
「男と金を持って逃げた」と思い込み
部屋をめちゃめちゃにした。
真剣で、愛情表現が下手だった。
プロポーズは、人生を変える。
佐藤延夫 15年6月6日放送
音楽家の妻 ハイドン
オーストリアの作曲家、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン。
彼が愛したテレーゼは美人と評判だったが、
なぜか修道院に入ってしまう。
その後、テレーゼの父親から姉のマリアをあてがわれ、ふたりは結婚した。
ハイドンより3つ年上のマリアは、
怒りっぽく、嫉妬深く、浪費家で、愛嬌さえもなかった。
さらには新曲の譜面を包み紙代わりに使っていたという。
40年後、マリアがこの世を去ったあと、
ハイドンは嬉々として多くの曲を書いた。
その中には「自由の男」「むなしい幸せ」、
そして「悪妻」というタイトルまであったそうだ。
音楽家の才能を開花させるなら、悪い妻がいいのかもしれない。
佐藤延夫 15年6月6日放送
音楽家の妻 ベルリオーズ
フランスの作曲家、エクトル・ベルリオーズは、
24歳のとき、シェークスピア劇団の若手女優ハリエットに恋心を抱く。
ラブレターを送り、面会を頼むが、全く相手にされなかった。
3年後、違う女性と婚約しても
ベルリオーズは、ハリエットへの憎しみを募らせる。
その失恋体験を元に「幻想交響曲」という
代表作をつくりあげてしまうのだから不思議なものだ。
だが話はそこで終わらない。
婚約が破談になったかと思えば
幻想交響曲の再演で、ハリエットと再び出会い、
今度は結婚してしまうのだから、人生というのは実にわからない。
佐藤延夫 15年6月6日放送
音楽家の妻 プッチーニ
イタリアの作曲家、ジャコモ・プッチーニは、
26歳のときに駆け落ちをする。
相手は、学生時代の友人の妻、エルヴィーラ。
当時のイタリアでは、簡単に離婚することができず
ふたりが一緒になれたのは、親友が亡くなったあとだった。
しかしプッチーニは女性を誘惑するために生まれてきたような男で、
常に諍いは絶えなかったそうだ。
人一倍、嫉妬心の強いエルヴィーラは、
ある日、プッチーニが女中と浮気していると騒ぎ立てた。
のちにそれは誤解とわかるのだが、
女中は自ら命を絶ち、大事件に発展してしまう。
そんな夫婦の関係もやがて修復したというから、愛の力はやっぱり偉大だ。
佐藤延夫 15年6月6日放送
音楽家の妻 マーラー
オーストリアの作曲家、グスタフ・マーラー。
42歳のとき、19も年下のアルマと結婚するが、
彼女はいわゆる魔性の女で、多くの芸術家を虜にしていた。
アルマは、少女のころから美貌と才能に恵まれ、
芸術的センスだけでなく、男性遍歴も華々しかった。
画家のグスタフ・クリムトと付き合いながら
作曲家のアレクサンダー・ツェムリンスキーとも関係を持ち、
マーラーとの結婚後も、
建築家のヴァルター・グロピウスに求婚されている。
ダロピウスの存在に苦しんだマーラーは翌年に死亡。
31歳の未亡人になったアルマは
画家のオスカー・ココシュカに恋をしつつ
結局、グロピウスと結婚したかと思ったら数年後に離婚し、
ひと回り年下の作家フランツ・ヴェルフェルと再々婚する。
あの偉大なマーラーも、彼女にしてみれば、男の中のひとり。