村山覚 15年5月10日放送
母を生きた人 アガサ・クリスティ
20世紀を代表する推理作家、アガサ・クリスティ。
彼女が生み出した数多くの小説は世界中で翻訳され、
今もなお読み継がれている。
彼女は晩年に自伝も執筆した。それを読むと、
巧みに構成された小説の印象とは異なり、
母として、妻としての愛情溢れる日々が生き生きと綴られている。
特に印象的なのは娘・ロザリンドとのエピソード。
アガサは幼い娘を寝かしつけるために、
くまのぬいぐるみの大冒険を創作して毎晩話してあげたそうだ。
希代の女流作家のストーリーを独り占めできるなんて、うらやましい限り。
娘が11歳になった頃、アガサは考古学者のマックス・マローワンと出会う。
マックスが14歳も年下だったこともあり、再婚するかどうか悩んでいたアガサ。
当時、娘に相談した時の会話が自伝にも登場する。
「お母さんがまた結婚しても、あなたはかまわない?」
「いつかそうすると思ってたわ」
そう答えたロザリンドは、アガサによれば
「あらゆる可能性をいつも考慮している人」のようだったという。
子供なのに名探偵さながらの冷静さだ。
そんな娘に背中を押されて、アガサは再婚を決意。
二度目の結婚生活はとてもうまくいき、
85歳で亡くなるまで家族に囲まれて幸せに暮らしたそうだ。
そういえば、彼女の自伝の冒頭にはこんな一節がある。
人生の中で出会う最も幸福なことは、
幸せな子供時代を持つことである。
上遠野茜 15年5月10日放送
母を生きた人 石川啄木の母・カツ
石川啄木の母・カツは、
病弱な息子をとてもかわいがった。
そんな母の思い出を、啄木は歌で残している。
あたたかき飯を子に盛り古飯に湯をかけ給ふ母の白髪(しらがみ)
子供には炊きたての温かいごはんを盛り、
自分は残り物のごはんにお湯をかけて食べる。
「母の愛」と呼ぶには照れくさいほど、
さりげない母のやさしさ。
決して特別なできごとではない。
けれど、こんなありふれた日々をあざやかに切り取ったからこそ、
啄木の歌は時代も国境も越えて
今も共感されているのかもしれない。
母の平凡な愛なくして、どんな天才も生まれない。
上遠野茜 15年5月10日放送
水葉
母を生きた人 石川啄木の母・カツ
石川啄木の母・カツは、
ご多分に漏れず嫁の節子と折り合いが悪かった。
間に挟まれた啄木としては、
さぞ居心地が悪かったのだろう。
思わず歌にしてしまうほどに。
猫を飼はばその猫がまた争ひの種となるらむかなしき我が家(いへ)
家庭を和やかにしようと猫を飼っても、
それがまた嫁姑問題となりかねないとは。
息子を愛する母のライバルは、今も昔も変わらない。
上遠野茜 15年5月10日放送
母を生きた人 石川啄木の母・カツ
石川啄木が母・カツのことを詠った、
あまりにも有名な歌がある。
たはむれに母を背負ひてその余り軽きに泣きて三歩あるかず
ずっと変わらないと思っていた親が
ふとした瞬間、急に年老いて感じる。
そんな経験をした人は少なくないはずだ。
父親が職をなくして以来、
生活苦から家族を救えないままでいた啄木。
そのやるせなさは、人一倍だったろう。
年老いた母を想うその普遍的な感情は、
やがて世界中の言葉に翻訳されて詠い継がれている。
そんな天才歌人が最後まで願っていたこと。
それは、平凡な親孝行だった。
わが母の死ぬ日一日美(よ)き衣を着むと願へりゆるし給ふや
私の母が死ぬその日一日くらい、美しい服を着よう。
そう願うことをどうかお許しください。
佐藤理人 15年5月9日放送
Chris.L.Dodds
白昼夢を見る方法①「デヴィッド・リンチ」
映画は説明できない
美しい言語のようだ
幻想的な映像と奇想天外なストーリーで
カルトの帝王
と呼ばれる映画監督デヴィッド・リンチ。
その独特すぎる世界観は、
40年以上続けている
一日2回の瞑想から生まれる。
心の奥底で見た景色は
一体何を意味するのか。
その謎を解くために彼は映画を作る。
あえて脚本は完成させず、
直感の赴くままに撮っていく。
意味不明と評されることも多いリンチの映画。
しかし考えてみれば人生に意味など存在しない。
答えはいつも自分の心の中にある。
佐藤理人 15年5月9日放送
nicoleleec
白昼夢を見る方法②「スティーブン・キング」
人間は起きているときでも
創造的に眠ることができる
ホラー小説の巨匠スティーブン・キング。
まるで夜、眠りにつくように
彼は毎日欠かさず執筆した。
誕生日もクリスマスも休まず、
一日2千語というノルマを達成するまでは
決してペンを置かなかった。
目覚めながら見た鮮やかな白昼夢が、
文字になり紙やデータに記録されていく。
心ゆくまで眠るための完全なプライベート空間。
彼にとって書斎はもうひとつの寝室だった。
ただしそこで見る夢は
世にも恐ろしい悪夢に違いない。
佐藤理人 15年5月9日放送
Alain Picard
白昼夢を見る方法③「チャールズ・シュルツ」
スヌーピーのモデルは、
13歳のときに飼った雑種犬だった。
漫画家チャールズ・シュルツは
この世界一有名な犬が出てくる漫画「ピーナッツ」を
新聞に毎日、半世紀に渡って連載し続けた。
その数、約18,000話。
それだけの物語をどうやって考えついたのか。
方法はあっけないほどシンプルだ。
ただ座って過去のことを考える
スヌーピーの飼い主チャーリー・ブラウンは言う。
人生という本は
最後の方を見たって
答えなんか書いてないのさ
未来のヒントはいつも過去に隠れている。
佐藤理人 15年5月9日放送
m kasahara
白昼夢を見る方法④「モートン・フェルドマン」
ヨーロッパ人に牛耳られたクラシック界を
ニューヨークから変えてやる。
そんな想いで音楽界に飛び込んだ、
アメリカの作曲家モートン・フェルドマン。
そこには常に伝統の壁が立ちはだかった。
そんなある日、実験音楽家ジョン・ケージが
アドバイスをくれた。
作曲したものを書き写してごらん
書き写している間はその曲にだけ集中できる。
余計な雑念をシャットアウトすることで、
彼の頭には次々と新しいアイデアがひらめいた。
そうして生まれたのが、
世界で初めて絵と記号で描かれた楽譜、
図形楽譜
絵の解釈によって演奏が異なる
結果の見えない音楽。
そんな彼の曲には意外にも、
日本人のファンが多いそうだ。
大友美有紀 15年5月3日放送
ceiver
「リカちゃん電話」香山リカ
5月3日は、香山リカ、リカちゃんの誕生日。
あかるくてちょっぴりあわてんぼうな小学5年生。
リカちゃんは、電話をかけると今でもお喋りしてくれます。
1967年、リカちゃん人形が発売されてしばらくたった頃、
発売元のタカラに「リカちゃんはいますか」という電話がかかってきた。
電話に出た女性社員が「こんにちは、わたしがリカよ」と答えた。
それがリカちゃん電話のはじまり。
当時の少女たちはリカちゃんが本当にいると思っていたのだった。
リカね、電車に乗った時、おばあちゃんに席をゆずったの。
恥ずかしかったけど、勇気を出してよかったわ。
日常の出来事を会話に入れて、楽しい話題に子どもたちを引き込むようにした。
極力、売らんがための姿勢は控え、新製品の情報は入れなかった。
大友美有紀 15年5月3日放送
RomitaGirl67
「日本の着せ替え人形」小島康宏(こじまやすひろ)
1967年、リカちゃん人形が発売された。
そのころの着せ替え人形といえば、、
バービーやタミーのように
金髪で目が碧い、西洋人形が定番だった。
リカちゃんが登場すると、当時の少女たちは、
「自分たちとおんなじだ」と新鮮な驚きを感じた。
初代開発者は、小島康宏。
私たちは当時、それまでにない“日本の人形”を
作ろうという志に燃えて「リカちゃん」人形を
送り出しました。
しかし、実のところはじめから人形を作ろうと
していたわけではありませんでした。
最初は他の人形のキャリングケースをつくろうとしていた。
ビニール玩具を製造するタカラが
経営を多角化するための第一歩だった。