佐藤理人 15年3月22日放送
創造のジンクス⑦「ベケットの暗闇」
これからずっと
暗くふさぎこむことになるだろう
ある晩、荒れ狂う嵐を前に、
サミュエル・ベケットは悟った。
自分の暗さこそ長所だと、
やっと認めることができたのだ。
翌日から彼は部屋に引きこもり、
自らの心の深淵を探った。
そうして生まれたのが、
傑作「ゴドーを待ちながら」。
どんな暗闇にも、光明は隠れている。
佐藤理人 15年3月22日放送
創造のジンクス⑧「江口寿史のスケッチ」
カワイイ女の子を描かせたら
右に出る者のない漫画家、江口寿史。
その寡作さ故に「天才」と呼ばれる彼にも、
若い頃人知れず続けた練習がある。それが、
5分スケッチ
雑誌で気に入った写真を見つけたら、
すかさずスケッチする。条件は、
下描きなし、5分以内、できればペンで
失敗していい。時間をかけなくていい。
練習だからこそ楽しまなくちゃいけない。
大切なのは写真をそのまま描くのではなく、
水の中に入ったらモノはこう歪むんだとか、
水にぬれた服はこう張り付くんだなどの発見を
自分なりに描くこと。
画力とは記憶力である
彼が描く女の子は世界中のどこにもいない。
それは彼の頭の中にだけ存在する。
藤本宗将 15年3月21日放送
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Spring has come! 菅原道真の春
東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ
梅の花 主なしとて 春な忘れそ
主人がいなくなっても、春を忘れるな。
大宰府に流されることになった菅原道真は、
庭先の梅を眺めながらこの歌を詠んだ。
春風を待って花を咲かせる梅は、
かつて「風待草」とも「春告草」とも呼ばれていた。
古代の日本人にとって、
春を告げる花といえば桜よりも梅だったのだ。
道真に愛情をかけられた梅は主人を慕い、
九州まで飛んでいったという飛梅(とびうめ)伝説がある。
いまも大宰府天満宮にある飛梅は、
白い八重の花で春の到来を知らせてくれる。
境内にある6千本の梅の中で
最も早くほころぶのだそうだ。
千年前の約束を、梅はまだ忘れていない。
今年の開花は、昨年より半月ほど早かったそうだ。
また、新しい春がきた。
上遠野茜 15年3月21日放送
afagen
Spring has come! 高峰譲吉の春
アメリカ、ワシントンD.C.。
遠く離れたこの街にも「日本の春」が来ることを、
あなたは知っているだろうか。
ポトマック湖畔のほとりに咲く3000本の桜。
科学者・高峰譲吉の尽力によって
日本から贈られた桜たちだ。
エリート官僚の道を捨て、アメリカに渡った高峰。
頼る者もいないその地で
困難にぶつかりながらも挑戦を重ね、
やがて多くの研究成果を上げる。
1901年、彼の抽出したアドレナリンは
医学界の大発見となった。
はるばる太平洋を渡り、
アメリカに根を下ろした桜の木々。
異国の地で、今では見事な花を咲かせるその姿は
まさに高峰の生き様そのものだ。
厳しい冬を乗り越えるから、春は美しい。
今年もワシントンには
大勢の人が日本の春を慈しみにやってくる。
村山覚 15年3月21日放送
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Spring has come! マイルス・デイヴィスの春
ジャズの帝王、マイルス・デイヴィス。
彼はある時こう言った。
「まず演奏するぞ、曲名は後で教える」
1954年に演奏されたこの曲の名は”Swing Spring”。
今この時期に聴きたくなるタイトル。
この曲が演奏される2、3年前は、
マイルスにとって冬の時代、低迷期だった。
演奏の予定をすっぽかしたり、
商売道具のトランペットを質に入れて
ドラッグのための金にするなど、
生活は荒れに荒れていた。
しかし、マイルスは第一線に返り咲いた。
この”Swing Spring”と同じ年の春に録音された
アルバムのジャケットには、青信号が灯っている。
タイトルは”WALKIN’”。
春は、はじまりの季節。
まず歩き出すことで、道はひらける。
福宿桃香 15年3月21日放送
Juanedc
Spring has come! 雪舟えまの春
歌人・雪舟えまの「たんぽるぽる」は、
自分自身の15年間を凝縮した、第一歌集。
表題として選んだのは、
結婚したての女性の気持ちを描いた、春の歌。
たんぽぽが たんぽるぽるに なったよう 姓が変わった あとの世界は
大好きな人と結ばれた幸せを、
春のたんぽぽに託している。
あとがきで、雪舟はこう語っている。
すきな人と暮らして、すきなだけお菓子を食べて暮らしたいとおもっていた。
その夢を今生きている。
季節は、もう春です。
薄景子 15年3月15日放送
Alvesgaspar
旅のはなし ギュスターヴ・フローベールの言葉
旅するたびに、思うこと。
空は果てしなく続いているということ。
星は毎日、降り落ちそうなほど瞬いているということ。
一日のはじまりと終わりは、水平線がオレンジ色に染まること。
そして、日々、頭の中をいっぱいにしていた
あんなことも、こんなことも、
とてつもなくちっぽけなことだということを
旅は教えてくれる。
フランスの小説家、ギュスターヴ・フローベールは言う。
「旅は人間を謙虚にする。世の中で人間の占める立場が
いかにささやかなものであるかを、つくづく悟らされるからだ」
石橋涼子 15年3月15日放送
旅のはなし メンデルスゾーンの旅する人生
作曲家のメンデルスゾーンは、
19世紀初頭、ドイツの裕福な家に生まれた。
幼いころから才能を開花させ
モーツァルトの再来と言われた。
20歳になると、実家の援助の元、旅に出る。
イングランド、ウィーン、フィレンツェ、ミラノ。
行く先々で刺激を受け、多くの名曲をつくった。
すべてに恵まれているように見えるメンデルスゾーンだが、
ひとつだけ、大きな不安を抱えていた。
彼の一族は突然死する人間が、とても多いのだ。
彼はこんな言葉を残している。
旅を思い出すことは、人生を二度楽しむことだ。
彼は、38年という短い生涯の割に
多くの作品が残っている。
一日をいかに濃密に生きるかに賭けていたからではないだろうか。
熊埜御堂由香 15年3月15日放送
Bob Jagendorf
旅のはなし 桐島一家の長い旅
エッセイストとして活躍する桐島洋子さん。
3人の子どもをシングルマザーで育てた。
40歳目前をむかえたとき、一番下の男の子は8歳になったばかり。
忙しい毎日で、子どもと向き合えない苛立ちを抱えていた。
そしてふっと、決心した。
よし、この1年は静かな田舎町で、徹底的に子どもと向き合おう。
失業を心配するまわりには、こう返した。
この休暇は、私たち親子にとって最上の投資よ。
流れ着いたのは、アメリカのイースト・ハンプトン。
森の中で転げ回り、大雪の日には、かまどの火で家族で暖まった。
英語が全くできなかった子どもたちは、街の人気者になった。
旅先が、いつのまにか第二の故郷になり、
最後には、学校が終わる来年の夏まで帰らないと譲らなかった。
1年ですっかりたくましくなった子どもたちを前に
さみしくて、うれしいと洋子さんは思った。
末の男の子だった桐島ローランドさんは
その時をふりかえってこう言った。
僕の母は、何も諦めないひとでした。
僕たちも母に鍛えられ、悪くない育ち方をしたと
思っています。
石橋涼子 15年3月15日放送
Dakiny
旅のはなし 星野佳路がすすめる旅
日本のある地方では、十五夜に綱引きをする。
ある地方では、ぜんざいを注文するとかき氷が出てくるし、
ある地方では、こどもたちが近所をねり歩いてお菓子をもらうのは
ハロウィンではなく七夕のイベントだ。
たとえ日本で暮らしていても、知らない日本はたくさんある。
星野リゾート社長の星野佳路(よしはる)は言う。
日本の文化を知るには、
旅をするのが最も味のある方法です。
ガイドブックと同じ景色を観るだけではつまらない。
からだ全部をつかって、旅しませんか。