小林慎一 15年2月21日放送
吾輩は余裕派である
ニュートンからはじまった自然科学の発展は
人の考え方に多くの影響を与えた。
社会学に科学的思考が加えられるようになり
文学の世界では、自然主義文学が生まれた。
自然主義文学を代表する作家、
フランスのエミール・ゾラは、
遺伝や環境を描写することで、
人間の行動を科学的に客観的に描こうとした。
20世紀初め、つまり、明治の終わり頃、
日本の文学界にも、自然主義が入ってきた。
島崎藤村、田山花袋、国木田独歩などが、
日本の自然主義文学の柱を支えた。
ヨーロッパのものはなんでもよいとされていた当時の日本では、
自然主義文学一色になるだろうと誰もが思っていた。
しかし、ある作品が、
自然主義文学に傾く日本文学界にくさびを打った。
この小説は、こうはじまる。
吾輩は猫である。
名前はまだない。
自然主義とは対照的に、
人生を楽しもうという余裕派。
その代表作家になっていく
夏目漱石が書いた最初の小説である。
2月21日は漱石の日
小林慎一 15年2月21日放送
sabamiso
有名な無名猫
名前はまだつけてくれないが、
欲をいっても際限がないから
生涯この教師の家で
無名の猫で終わる積もりだ。
人間の強欲さに半ば呆れていた
「我輩は猫である」の猫の言葉である。
慎ましく達観した姿勢が人間と対照的である。
実際に夏目漱石も猫を飼っていた。
しかも、名前をつけずに、ただ、「猫」と呼んでいた。
しかし、その猫が死んだ時、
漱石は、知人たちに丁寧な死亡通知を出した。
葬の儀は車屋をたのみ蜜柑箱に入れて
裏の庭先にて執行致候。
ただし主人「三四郎」執筆中につき
御会葬には及び不申候(もうさずそうろう)。
そして、卒塔婆には、ただ、猫の墓、と書いた。
2月21日は漱石の日
小林慎一 15年2月21日放送
m-louis
損する脳
損をする性格を調べるある実験が行われた。
提案をする人は受け取る人に、
1000円を自由に分配する権利があり、
2人がその金額に合意しないと1円ももらえないとする。
700円、300円や900円、100円といった
不平等な提案をされた時、
1円ももらえないと分かっていても
それを拒否する人は
怒りっぽい性格かと思われていたが、
そうではなかった。
拒否する傾向にあるのは、
間違ったことが嫌いで、
他人を信頼しやすい人であることが分かった。
親譲りの無鉄砲で、子供のころから損ばかりしていて、
赤シャツのずるさが許せなかった坊っちゃん。
坊ちゃんが損ばかりしているのは、短気だからではなくて、
彼のまっすぐな性格が原因だったことを
脳科学は明らかにしたのであった。
2月21日は漱石の日
小林慎一 15年2月21日放送
漱石の心
夏目漱石の心の病と、
小説の描写との関連を研究している論文が
数多く出されている。
子供への激しい折檻や、
ひどい癇癪については妻「鏡子」の記した
「漱石の思ひ出」の詳しい。
しかし、明治生まれの父親で、職業は小説家。
病気と言えるほどのことだったのかは疑問である。
1915年。漱石は5度目の胃潰瘍で倒れる。
泣き崩れる四女愛子を、鏡子が叱った。
その時、漱石は愛子にこう言った。
「いいよ、いいよ、もう泣いていいよ」
これが漱石最後の言葉だったという。
今日、2月21日は漱石の日。
「ただの夏目なにがしとして暮らしたい」と言って
文学博士号を辞退した日に由来している。
2月21日は漱石の日
伊藤健一郎 15年2月15日放送
月に立った男たち アラン・シェパード・ジュニア
長い道のりだった。しかし、我々はここまで来た。
アポロ14号の搭乗員、アラン・シェパード・ジュニアの言葉だ。
ようやくたどり着いた場所。
月面歩行だけでは飽き足らずに、彼はなんとゴルフを始めた。
月には空気がない。
風もないからフォローもアゲンストも、
さらにはフックもスライスもない。
そのかわり、シャンクも見事なまでにまっすぐ飛んでいく。
第一打がダフリ、第二打はシャンク。
ゴルフとしては、惨憺たる成績だったが、
間違いなく、人類史上に輝くミラクルショットであった。
伊藤健一郎 15年2月15日放送
月に立った男たち バズ・オズドリン
実は月面に降り立つ直前、
はしごに足を掛けながら尿パックを満たしていたんだ。
そう語るのは、アポロ11号の搭乗員、バズ・オズドリンだ。
無酸素、無重力、人類未踏の大地に踏み出す瞬間まで、余裕たっぷり。
そんな彼にも、失敗談があるという。
地球からのお土産を、月に置いてくるミッションがあったんだ。
世界各国の首相や大統領のメッセージが入ったディスクや、
ガガーリンのメダル…
任務を思い出したときにはもう、宇宙船に帰還するはしごの上だった。
戻る時間はなかったから、思いっきり月面めがけて投げたよ。
あらゆる局面下で、柔軟な対応が求められる宇宙飛行士。
彼らの柔軟性は、どんなときでも忘れない自分らしさが生むのだろう。
伊藤健一郎 15年2月15日放送
月に立った男たち アームストロングとコンラッド
一人の人間にとっては小さな一歩だが、
人類にとっては偉大な飛躍である。
言わずもがな。アポロ11号の船長、ニール・アームストロングの言葉だ。
では、こんな言葉を、ご存知か?
ウピー! ニールには小さな一歩だったらしいけど、
俺にはずいぶん長くかかった一歩だぜ!
アポロ12号の船長、ピート・コンラッドの言葉である。
月へと続くはしごを一段一段ゆっくりと降り、月面に降り立つそのときに、
コンラッドの口を突いて出たのは「ウピー!」
中継するアナウンサーは、その言葉を正確に伝えるたびに、
笑いをこらえられなかったという。
アポロ計画以降も、数々の名言を残してきた宇宙飛行士たち。
だがしかし、はるか月から、地球を抱腹絶倒させたのは、
後にも先にもコンラッドただ一人。
伊藤健一郎 15年2月15日放送
月に立った男たち ユージン・サーナン
“月面に降り立った最後の人間”。
アポロ17号船長、ユージン・サーナン。
カソリック教徒であった彼は、宇宙での体験をこう口にした。
地球はいきいきとして雄大で、
その存在は、偶然の産物にしては
あまりに美しすぎる。
われわれより大きな何かが存在するはずだ。
宗教的なものでなく霊的なもの。
人間の作った宗教を超越する
万物の創造主が、存在するに違いない。
もしも、サーナン船長のように、誰もが地球を俯瞰できたなら。
われわれ人類は、様々な隔たりなく、深く理解し合えるのだろうか。
アポロ計画が終了して40年余り。
サーナン船長を最後に、人は月を歩いていない。
伊藤健一郎 15年2月15日放送
月に立った男たち デイヴィッド・スコット
イタリアの物理学者、ガリレオ・ガリレイ。
1960年代初頭、彼の学説は宗教裁判にかけられ、終身刑を言い渡される。
それから月日が流れ、1971年。
アポロ15号船長デイヴィッド・スコットは、月面で、ある実験を試みた。
内容は、実にシンプル。
「ハヤブサの羽と、地質探査用ハンマーを、同時に月面に落とす」
というものだった。
そこには、宙をひらひら舞う羽も、
地表にどすんと落下するハンマーもなかった。
ただ、静かに、同じ速度で落ちていく。異なる質量を持つ2つの物体があった。
ガリレオの学説が認められて久しい今なお、その光景は目新しい。
偉大な物理学者の学説は、ひとりの宇宙飛行士によって実証された。
伊藤健一郎 15年2月15日放送
月に立った男たち ハリソン・シュミット
月に降り立った、唯一の科学者。ハリソン・シュミット。
アポロ17号の乗組員だった彼は、地質学の権威だった。
シュミットは語る。
月は、天然資源の宝庫だ。
土壌には、ヘリウム3が豊富に蓄積されているんだ。
ヘリウム3とは、核融合発電の燃料となる気体。
月に100万トンが眠るとされるその気体は、
わずか25トンで、欧州と米国の1年分の電力を賄うという。
かつてNASAは「2018年に、人を月に送り込む」と宣言した。
近い将来、人類が抱えるエネルギー問題の答えが、月で見つかるかもしれない。