村山覚 14年11月22日放送
織田作之助・新婚生活
昭和の文豪、織田作之助。無名時代の彼の支えは同い年の妻、一枝であった。
学生時代から劇作家や小説家を志していた織田は、一枝との生活のために
新聞記者として働いていた時期があった。昼は記事を書き、夜は小説を書く生活。
一枝は甲斐甲斐しく珈琲を淹れ、夫の創作活動を支えたという。
結婚の翌年には芥川賞候補となり、代表作『夫婦善哉』が世に出たのも
新婚時代であった。三十三年の短い生涯で最も寛いでいた日々だったかもしれない。
『夫婦善哉』には家計簿を細かくつけて
こつこつと貯金するシーンがあるが、
織田一枝もまったく同じような家計簿をつけていたそうだ。
村山覚 14年11月22日放送
charamelody
織田作之助・いい女とは?
昭和の文豪、織田作之助。彼が三十三歳で亡くなる直前、
東京で太宰治と坂口安吾と座談会をした記録が残っている。
小股のきれあがった女とは何者であるか?いなせな男とは?口説き文句は?
といった四方山話がざっくばらんかつ軽妙に語られた。
いい女とは?という話題になり、太宰が「乞食女と恋愛したい」
坂口が「ぼくは近ごろ八つくらいの女の児がいい」などと
無頼派らしいめちゃくちゃな発言をする中、織田はこのように語った。
「やはり飽くまで背が高くて、痩せてロマンチックだとか…」
これはまさに二年前に亡くなった妻・一枝のことではないか。
織田作之助にとって、妻はかけがえのない存在であった。
村山覚 14年11月22日放送
織田作之助・肌身離さず
昭和の文豪、織田作之助。彼が三十三で死ぬまで肌身離さず持ち歩いていた
桐箱の中に白い封筒があった。そこには先に亡くなった妻・一枝の写真と
彼女のものと思われる遺髪が収められていた。織田作之助の代表作
『夫婦善哉』にはこんな台詞がある。
“私は何も前の奥さんの後釜に坐るつもりやあらへん、
維康を一人前の男に出世させたら本望や”
日々の暮らしにも困窮していた織田が、
一人前の男に出世していく十年間を支えたのは、他ならぬ妻の一枝であった。
小説『夫婦善哉』で一番有名なシーンは、
二杯のぜんざいを啜りながらの男女の会話であろう。男は言う。
「一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山(ぎょうさん)
はいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」
対して、女は言う。
「一人より女夫の方がええいうことでっしゃろ」
松岡康 14年11月16日放送
Jeff Belmonte
結婚生活のコツ
許して、受け入れる。
今日は国際寛容デー。
結婚とは難しいものだ。
365日いつも一緒。
小さなことでイライラして、
喧嘩することもある。
そんなとき、
英王室の特別牧師まで務めた賢人
トーマス・フラーの言葉を
思い出してほしい。
結婚前には両目を大きく開いて見よ。
結婚してからは片目を閉じよ。
長所をよく見て、
短所は目をつぶる。
それが結婚生活を平和に送るコツなのだ。
礒部建多 14年11月16日放送
名コンビの和解
許して、受け入れる。
今日は国際寛容デー。
マイケルジャクソンの黄金期を支えた、
敏腕プロデューサーでありアーティストの、
クインシー・ジョーンズ。
音楽業界に数々の金字塔を打ち立て、
「最も売れたアルバム」としてギネスにも載った。
そんな名コンビも音楽性の違いから、決別することになる。
マイケルから突如言い渡された解雇通告。
それ以降、2人が共演することはなかった。
2009年、マイケルとクインシーは
電話で話し、お互いを許し合う。
クインシーは、マイケルの公演に行くと約束した。
しかし、マイケルの突然の死。
親友を失ったクインシーはひどく悲しみ、
当時のインタビューにこう応えた。
もし決別した人がいるなら、その人を許すべきだ。
許さなければ、それは毒になり、
あなたをさいなみ、離れなくなる。
澁江俊一 14年11月16日放送
絶望をどう生きるか。
許して、受け入れる。
今日は国際寛容デー。
オーストリアの精神科医
ヴィクトール・フランクル。
彼は結婚してわずか9ヶ月後に
ユダヤ人であるという理由で
強制収容所へ入れられる。
家族と別れ、身ぐるみはがされても
彼は医者としての使命を捨てず
収容所での出来事を冷静に見つめた。
理不尽すぎる状況で
囚われた人々が何に絶望し、
何に希望を見出したかを観察するために。
戦後、彼が出した本のタイトルは「夜と霧」。
今も読み継がれる世界的ベストセラーだ。
どんな状況でも、
人はそこに意味を見出せる。
意味があれば、
絶望は乗り越えるべき苦悩に変わる。
苦しい時は思い出そう。
そこにはきっと意味があると。
礒部建多 14年11月16日放送
sofi01
スターの苦しみ
許して、受け入れる。
今日は国際寛容デー。
「20世紀最高の俳優」
と称されるマーロン・ブランド。
端麗な容姿、豪快な私生活、
全てが人々の憧れだった。
しかし華やかなイメージとは裏腹に
複雑な家庭で育ったブランド。
暴力を振るうアル中の両親。
ストレスから吃音症になってしまう。
両親を憎み、
精神的にも支障をきたしたブランドは
ある日、ひとつの答にたどりつく。
自分の人生を生きるには、親を許すことだ。
それは若い日のブランドが下した、
悲しくも最善の決断だったのだろう。
澁江俊一 14年11月16日放送
カマスキー
裁判長が贈る歌
許して、受け入れる。
今日は国際寛容デー。
電車内で足が当たったと口論の末
4人の少年が一人の男性を暴行し死亡させた。
その裁判で実刑が下された後
裁判長はある歌を引き合いに出して、
この歌のせめて歌詞だけでも読めば、
なぜ君たちの反省の弁が
人の心を打たないか分かるだろう。
と、少年たちに語った。
その歌とはさだまさしの「償い」。
ただ一度の過ちで
配達中に交通事故を起こし、
許されるはずもないと思いながら
遺族に送金を続ける若者の歌である。
7年目、その若者のもとに
夫を失った妻から初めて手紙が届く。
その最後には、こう書かれている。
どうかもうあなたご自身の人生を
もとに戻してあげて欲しい。
償うことも、許すことも、
ほんとうに難しい。
だからこそそれができる人に
人は胸を打たれるのだ。
松岡康 14年11月16日放送
松下幸之助の謝罪
許して、受け入れる。
今日は国際寛容デー。
1964年の大不況は家電業界を直撃し、
松下幸之助率いる松下電器の販売会社は
軒並み赤字に陥った。
ある日幸之助は販売会社の社長たちを熱海に招いた。
お互いに不満を爆発させ、話し合いは12時間にも及んだ。
最後の30分、幸之助は涙しながらいう。
結局は、松下電器が悪うございました。
この謝罪が、場の空気を一瞬で変えた。
お互いが反省し合い、許し合い、協力を誓う。
その後、松下電器の改革は急速に進み、経営は回復する。
人は、互いを許すことで、
前を向くことができる。
きちんと謝ることは、
よりよき関係へのスタートラインなのだ。
奥村広乃 14年11月16日放送
包容力
許して、受け入れる。
今日は国際寛容デー。
理想の恋人は?と聞かれ、
「包容力のある人」と答える女性は多い。
財津和夫の歌にこんな歌詞がある。
誰がぬぐうの 君の涙
誰が許すの 君のわがままを
弱い部分を受け入れて、
わがままを許せる。
包容力とは愛している証。
あばたもえくぼ。恋は盲目。
愛しい人のカワイイ欠点は、
カンタンに許せてしまうから不思議だ。