佐藤理人 14年10月5日放送
Infradept
私の脚本術⑥「園子温」
若い頃は食べるためにカルト教団や過激派に入った。
ハリウッドのプロデューサーに手ぶらで会いに行き、
口からでまかせで物語をでっち上げた。
「愛のむきだし」の脚本家園子温の人生は、
映画と同じく型破りだ。
「しちゃいかん」ということはない
と思うんですよ、映画に。
彼は人と同じであることを徹底的に拒否する。
コンビニに行って帰ってくるだけの生活をしてるから、
コンビニに行くだけの映画しか作れない。
日本は平和すぎるから、映画がどんどん大人しくなる。
恥や失敗こそ表現にとって最高の肥やし。
彼は映画という武器で戦う、
世界一平和なテロリストだ。
佐藤理人 14年10月5日放送
Neko1998
私の脚本術⑦「福田雄一」
リアリティって言葉が大嫌い
ドラマ「33分探偵」の脚本家福田雄一は言う。
起こるはずのない事件ばかり
ニュースや新聞を騒がす時代。
リアリティって一体何なんだ。
人間のさまざまな面を理解しなければ、
愛されるキャラクターは作れない。
完璧な人なんてどこにもいない。
カッコいいだけのヤツはカッコ悪い。
彼が描く登場人物たちは、
誰よりもリアリティに溢れている。
佐藤理人 14年10月5日放送
mhaithaca
私の脚本術⑧「行定勲」
いい脚本とは、ほどほどにダメな脚本のこと。
映画「世界の中心で、愛をさけぶ」の監督・脚本家、
行定勲は言う。
完璧な脚本からはそれ以上の映画は生まれない。
議論の余地を敢えて残すことで
自分がもっと面白くしてやる
とスタッフをヤル気にさせる。
岩井俊二という偉大な先輩の影に隠れ、
目立たなかったことが功を奏した。
今でも、
自分は何者でもない。
俺の映画なんか誰も何とも思ってない
と思う。だから決して偉ぶらないし、
自分の考えを押しつけない。
いつもの道がある日突然大きく逸れるように、
優秀な職人たちの手で物語を脱線させて欲しい。
彼の映画をいちばん楽しみにしてるのは、
きっと彼自身だ。
佐藤延夫 14年10月4日放送
mhaithaca
作家たちの隠れ家/マーク・トウェイン
アメリカ、ニューヨーク州の南部、
エルマイラという小さな街。
その中心部から3キロほど離れた、
丘のてっぺんにたたずむ八角堂が
小説家、マーク・トウェインの書斎だった。
ここで「トム・ソーヤの冒険」をはじめ、数々の名作が生まれた。
石炭のストーブがあり、
大きな窓が6つ、小さい窓がひとつ。
そして幅の広いドア。
朝の10時から、ランチをとらず午後5時まで籠もり、
天気がいいと、丘の頂上に立って夕焼けを眺めたそうだ。
マーク・トウェインは、その光景をこんな言葉で喩えた。
「日没の最後の奇跡」。
佐藤延夫 14年10月4日放送
作家たちの隠れ家/チャールズ・ディケンズ
ロンドンから、東におよそ50キロ。
イギリス南東部ケント州ロチェスターという町に、
小説家、チャールズ・ディケンズの屋敷があった。
道路を挟んで反対側の森には、
彼が書斎として使った建物。
スイス風に装飾されたこの山小屋で、黙々と執筆を重ねた。
二階には6つの窓と、
等身大の鏡が据えられている。
窓の外には麦畑が広がり、さらに遠くには、テムズ川。
ディケンズは、机の脇に双眼鏡を置き、
ときどき外を眺めていたそうだ。
隠れ家からの風景は、きっと格別だったに違いない。
佐藤延夫 14年10月4日放送
作家たちの隠れ家/ロバート・ルイス・スティーヴンソン
南太平洋の小さな島、サモア。
イギリスの小説家、ロバート・ルイス・スティーヴンソンは、
この牧歌的な国で生涯を終えた。
代表作「宝島」と同様に、
彼の生き方は、まさに冒険そのものだった。
一目惚れした女性を追いかけ大西洋をめぐり、
そのままアメリカ大陸まで渡ってしまうのだから。
44歳という短い生涯のうち、最後の4年間を過ごしたサモア島。
山の麓に屋敷を構え、しばしば山頂に登っては
あたりを見渡し、いつか葬られる場所を探したそうだ。
彼は地球の中で、最も幸せな隠れ家を見つけていた。
佐藤延夫 14年10月4日放送
作家たちの隠れ家/アーネスト・ヘミングウェイ
ノーベル賞作家、アーネスト・ヘミングウェイ。
彼の仕事場は、作品が仕上がるたび、女との関係が終わるたび、変わった。
最初の書斎は、パリのホテルの最上階にある小さな部屋。
つましい生活を支えたのは、年上の妻、ハドリーだった。
二番目の妻、ポーリーンのころの仕事場は、
フロリダ州の最南端、キーウエスト。
「武器よさらば」がここで生まれた。
そしてキューバにわたり、
三番目の妻、マーサと暮らしたのは
ハバナ郊外、フィンカ・ビヒアの大邸宅だった。
しかし彼が最も愛した場所は、海の上。
「ピラー」と名付けられたフィッシングクルーザーが、
本当の隠れ家だったのかもしれない。
そこは仕事からも妻からも逃げられる、たったひとつの聖域。
小野麻利江 14年9月28日放送
yomi955
日本の「食」 味噌・醤油と禅宗
鎌倉時代、曹洞宗の祖・道元は
料理をどう食べるべきかという心得を
こう説いている。
食とは道、つまり仏法と同じ。
いまや和食に欠かせない調味料・味噌と醤油が
この時代に禅宗を学んだ僧によってもたらされたのも、
「肉食を避けながら、肉に限りなく近い味を
調味料で工夫して食べる」という
食を通じた、禅の修行のためであった。
熊埜御堂由香 14年9月28日放送
日本の「食」 小林カツ代の和の洋食
日本の家庭料理の第一人者、料理研究家の小林カツ代。
20代後半から仕事に追われながら、
年子2人の子育てに奔走した。
そんな彼女が忙しすぎて心が荒んだ時、夕食につくるのが
「やさしい気持ちになるコロッケ」。
つぶしたじゃがいもを手の上でコロコロするうちに
落ちついた気持ちになれたという。
秘密の隠し味は「練乳」。
こっそり入れると、ほっこり甘くなる。
子どもたちが大好きな和の洋食。
家族をつなぐ、そんなレシピが、
きっと、どこのうちにもある。
小野麻利江 14年9月28日放送
Coolcaesar
日本の「食」 シリコンバレーの寿司職人
寿司職人の、佐久間俊雄。
アメリカ・カリフォルニアのシリコンバレーで、寿司を握ってきた。
そんな佐久間の店に、たびたび顔を出す男がいた。
スティーブ・ジョブズ。
菜食主義で、はじめは巻物ばかり注文していたというが、
じょじょに生魚のネタを頼むようになり、
そしてある日。唐突に佐久間に、
穴子はあるか?
と尋ねてきた。
日本から冷凍して運んできた穴子を
佐久間が握って出すが、なかなか手をつけない。
その様子を見て、佐久間は、
(本物の穴子を出すから、ちょっと待っていてくれ)
という気持ちになったという。
ジョブズの次の来店にあわせ、
生け締めにした新鮮な穴子を日本から取り寄せ、出したところ、
普段あまり料理の感想を言わないジョブズから、
It’s good!
という褒め言葉が飛び出したという。
部下だけでなく、寿司職人も奮起させていた
スティーブ・ジョブズ。
佐久間がそんな手強い客を相手にしていた26年ほどの間に、
シリコンバレーの和食も、イノベーションを遂げていった。