中村直史 14年8月31日放送
あの人の夏 フェリペ2世
1584年夏。ヨーロッパに上陸した
天正遣欧使節団の少年4人は、
絶大な権力を誇ったスペイン国王フェリペ2世に謁見した。
驚いたのは国王のほうだったらしい。
少年らの着物に施された花や鳥の模様。
袴に差した大小の刀。
上から下へと書かれたキリシタン大名からの書状。
フェリペ2世はそのひとつひとつに近寄り
伊東マンショの履いていた草履は、
わざわざ手に取って、まじまじと眺めたという。
4人の少年が
当時のヨーロッパに与えたインパクトは
計り知れず大きかった。
三國菜恵 14年8月31日放送
johnnyjiang
あの人の夏 桑田真澄
野球界のレジェンド、桑田真澄。
彼は小学5年の夏、
ラジオから聞こえてきたあるフレーズに心を奪われる。
「逆転のPL」
PL学園の初優勝。そのフレーズがあまりに魅力的だった。
桑田はその日、しずかに自分の進路を決めた。
三國菜恵 14年8月31日放送
よっちん
あの人の夏 大林宣彦
日本はこの夏、終戦69年をむかえた。
戦争を知らない子どもたちは69歳になった。
映画監督・大林宣彦は今年76歳。
7歳のとき、終戦を経験した。
そのときの空気を彼はこう振り返る。
生者と死者の区別があまりなくて、
亡くなった人がすぐそばにいる感覚で育った。
学校の行き帰りではお墓が遊び場だったし、
ひいじいちゃん、ひいばあちゃんの遺影が置かれた座敷に入ると
2人が話しかけてくる気がした。
戦地に赴いたおじちゃんがお骨になって帰ってきたときには、
セミがうるさく鳴く中、にいさんが僕の頭をやさしくたたいた。
子ども心にその空気は、絶対に忘れてはならないと思った。
だから大林はいまも映画を撮るという。
正義を語るためではなく、
人間が正気でいられるようにと祈って。
小林慎一 14年8月30日放送
Kentaro
奇跡の年
1666年。
英国艦隊がオランダに勝利したこの年を、
詩人、ジョンド・ライデンは「奇跡の年」と呼んだ。
しかし、人類にとっての本当の奇跡は、この年に、
アイザック・ニュートンが
万有引力の理論をつくりあげたことであろう。
宇宙に存在する物質は互いに引き合う。
この力は物質の質量が大きくなるほどに強くなり、
物質の距離の二乗に反比例して弱くなる。
科学者はニュートンの方程式を使って、
矢の飛び方から、彗星の軌道までを計算した。
ニュートンの理論は、
宇宙の法則のすべてを支配したように見えた。
しかし、ニュートンは、手記の中で、こう述べている。
私は、真理の大海の前で遊んでいる子供に過ぎない、と。
その後、真理の大海への挑戦者が現れるのに、
人類は200年以上待たねばならなかった。
アインシュタインの登場まで。
小林慎一 14年8月30日放送
天国と地獄の年月
1905年。
特殊相対性理論を発表した後、
一般相対性理論へのアイデアを得たことを
アインシュタインは「人生の中でもっともすばらしい考え」と呼んだ。
しかし、それに続く年月の精神状態を、
次のように友人達に手紙を書いている。
「脳みそを拷問にかけるように絞り上げた」
「精神病院に閉じ込められる危機」「地獄の責め苦」
アインシュタインはこの試練に耐え、
1915年、ついに一般相対性理論を完成させる。
時間と空間はお互いにからみあう「時空」であり、
伸び縮みする時空こそが重力の根源である。
リンゴは地球の重力に引っ張られ落下するのではなく、
地球の質量によってできたくぼみに転がり落ちて行く。
理論は完成した。
しかし、次は、観測による実証という戦いが待っていた。
小林慎一 14年8月30日放送
科学敗北の年
一般相対性理論を観測によって証明するために
アインシュタインと天文学者のフロイントリヒは太陽に着目した。
太陽の重力によって時空が曲げられ、
太陽の後ろにある星が、あたかも太陽のはしにあるように見えるはずだ。
そのことを証明するためには、
皆既日食が起こっている場所で、観測を行う必要があった。
果たして、1914年8月21日にクリミア半島で皆既日食が起こる。
フロイントリヒは観測隊を組織した。
7月19日、フロイントリヒはベルリンを出発し、
ロシアへと向かった。
しかし、彼は皆既日食の間、牢屋にいた。
1914年6月に、オーストリアの皇太子が暗殺され、
8月にドイツがロシアに戦線布告した。
ドイツ人のフロイントリヒは
スパイ容疑で逮捕されてしまったのだ。
第一次世界大戦がはじまっていた。
小林慎一 14年8月30日放送
真の奇跡の年
今から100年前。
第一次世界大戦によって、純粋な科学の発展は止まってしまう。
若い科学者は、自ら進んで兵器の開発をはじめた。
あらゆる研究は、戦争に勝つことだけを目標にするようになった。
1919年5月19日。
一般相対性理論を実証するための観測がようやく再開する。
観測隊の隊長であったアーサー・エディントンは、
天文学と数学における世界有数の頭脳と、確固たる信念を持ち、
そして、熱帯地方への旅に耐えられるだけの体力にも恵まれていた。
エディントンは、皆既日食の起こる、赤道ギニア沿岸のプリンシペ島に向かった。
しかし、観測の時間が近づくと、雨が降りはじめた。
エディントンは、一瞬の晴れ間を信じて、
302秒を刻むメトロームの音に合わせて正確に作業を進めた。
雲がかからなかった写真は、たったの1枚だけだったが、
その写真はアインシュタインの理論が正しいことを証明していた。
撮影中に手応えを感じていた、エディントンはこう電報を打った。
「雲出るも、希望あり」と。
人類が、宇宙を仕組みをすべて解明する。
人類が、あらゆる戦争を放棄する。
真の奇跡の年は、どちらが先に訪れるのだろうか。
岡安徹 14年8月24日放送
KentaroIEMOTO@Tokyo
高嶋仁が見た夢
照りつける太陽、立ち上る陽炎。
全国の高校球児たちが、まさに熱闘を繰りひろげる甲子園。
強豪と言われるチームには、名将とよばれる監督の存在がある。
智弁和歌山を率いる監督、高嶋仁(たかしまひとし)はかつてこう言った。
「苦しい思いをした人間だけが逆境をチャンスに変える」
今年、智弁和歌山は惜しくも甲子園出場を逃してしまった。
しかし、彼らはこの悔しい思いを糧に強くなるだろう。
もう、その目は次の夏を見ているのだから。
岡安徹 14年8月24日放送
mattb_tv
青木秀憲が見た夢
東京の名門、開成高校。
かつて同校野球部は、データと理論を駆使した
独自のセオリーを用い、東京大会ベスト16という好成績を残した。
彼らが掲げた勝利の方程式は、
「ドサクサにまぎれて勝つ」という独創性あふれるもの。
チームを育てた知将青木秀憲監督は言う。
「野球は大いなる無駄。無駄だからこそ
思いっきり勝ち負けにこだわってやろう」
強豪校と比べ、体格や技術に差があることを認めつつ、
それでもなお勝ちにこだわることを学んだ球児たち。
勝つことにこだわった3年間に、無駄なところなど一つもない。
渋谷三紀 14年8月24日放送
江戸川乱歩が見た夢
現世(うつしよ)は夢。夜の夢こそまこと。
数々の推理・怪奇小説を世に送り出した
作家、江戸川乱歩のことば。
子供のころから極度の人間嫌いだった。
生きることは妥協と言い放つほど厭世的だった乱歩は、
自作の出来を恥じて、人生で三度も休筆した。
五十を前に別人のように明るい性格になったというが、
「孤島の鬼」「陰獣」などの代表作を生み出したのは、
皮肉にもネガティブ全盛の時代。
内へ内へと向かう力こそが、
乱歩の創作を飛躍させる原動力だった。