渋谷三紀 14年8月24日放送
コナン・ドイルが見た夢
作家コナン・ドイルによって生み出された
探偵シャーロックホームズは、
シャーロキアンと呼ばれる
世界中の熱狂的ファンから支持されている。
最終回として書いた「最後の事件」で
ホームズを滝つぼにつき落としたドイルのもとには
悲嘆にくれるシャーロキアンたちから、
抗議の手紙が押し寄せたという。
根負けしたドイルは、
続編「バスカヴィル家の犬」で
ホームズを復活させる。
その瞬間、作家の意志をこえて、
ホームズは、一人歩きをはじめた。
高田麦 14年8月24日放送
トーベ・ヤンソンが見た夢
日本ではかわいらしいキャラクターで知られている
ムーミンの物語は、実はかなり大人向けだった。
物語は、
トーベ・ヤンソンの手によって、
戦争中にフィンランドで生まれた。
次の言葉は、ムーミンママが、ムーミンに投げかけるものだ。
さあ、あしたもまた長い、いい日でしょうよ。
しかも、はじめからおわりまでおまえのものなのよ。
とてもたのしいことじゃない!
ムーミン谷の物語に一貫しているテーマ。
それは、目の前のささやかな幸せは当たり前にあるとは限らない、
ということ。
隣のロシアやスウェーデンなどの強国に
脅かされ続けた小さな国で生まれ育った彼女は、
日常のささやかな幸せこそが夢だと知っていたのだ。
高田麦 14年8月24日放送
VIPlibrary
アルヴァ・アアルトが見た夢
19世紀末に生まれたフィンランドを代表する建築家、
アルヴァ・アアルト。
若い頃は、当時のグローバルな潮流であるモダニズム建築に
必死に食らいつこうとした。
しかし、結局、彼はこんな概念にたどりつく。
「建築とそのディテールは、ある意味、生物学に属する。」
「世界中で最もすぐれた規格化委員会は“自然界”である。」
そしてアアルトは、
木材と曲線を特徴とする、フィンランドの自然と風土に根差した
人間が暮らしやすい建築を数多く残した。
ごく普通の人たちのためにこの世のパラダイスを作り出したい
というのが、彼の夢となったのである。
高田麦 14年8月24日放送
mueredecine
アキ・カウリスマキがつくる夢
アキ・カウリスマキは、
社会では陽の当らないひとたちにスポットライトを当てる。
彼の映画を最初に見ると、誰もが面喰うだろう。
登場人物はみな無表情、
極限までそぎ落とされた台詞、
独特の間。
主人公はだいたい徹底的に不幸な目に遭う。
だけれど、そこかしこにただようユーモア。
弱者を弱者としてそのまま認めることが、救いになる。
作り手であるカウリスマキの、圧倒的にやさしいまなざし。
一貫して弱者を題材にする彼はこう言う。
「映画とは、一日一生懸命働いた人がその日の終わりにリラックスし、
楽しむために観るエンターテインメントだ」
彼の映画は、労働者の労働者による労働者のための、
つかの間の夢なのである。
古居利康 14年8月23日放送
Andi.bxg
力石徹・夢の重さ 1R
矢吹丈を倒す。
矢吹丈を倒す。
その一念で力石徹は過酷な減量を重ねた。
ストーブを焚き、金盥で湯を沸かし、
サウナよりも熱い部屋で寝起きした。
逃げられないように外から鍵をかけさせた。
ウェルター級でデビュー。
13戦連続KOで勝利する天才だった。
一時リングを離れ、フェザー級で復帰して、
また5連続KO。
ウェルター級、63.50kgから66.68kg。
フェザー級、57.15kgから58.97kg。
力石徹より頭ひとつ小さい矢吹丈は、
バンタム級、53.34kgから55.34kgの階級。
丹下段平に言わせれば、
「力石くんは、ライト級の体つきだ」
ライト級61.23kgから63.50 kg。
適正体重60kg台の男が、
50kg台半ばまで減量しようとしていた。
矢吹丈を倒す前に、力石徹は、
自分の体重と戦わなければならなかった。
古居利康 14年8月23日放送
SMN
力石徹・夢の重さ 2R
力石徹と矢吹丈は、少年院で出会う。
エリートボクサーとして
将来を嘱望されながら、あるとき、
リング下の野次に怒って観客を殴った力石。
孤児院で生まれ、ドヤ街で育ったジョーは、
喧嘩に明け暮れ、希望のない日々を送っていた。
宿命的に出会ってしまったふたりは
ボクシングの試合をすることになる。
素質を見抜いた丹下段平によって
すでにボクシングの基礎は叩き込まれていた
ジョーだったが、天才力石の相手ではなかった。
さんざん打ちのめされ半死半生になった
ジョーは、力石が打つ右ストレートに
強烈なクロスカウンターを見舞う。
丹下段平が授けた一撃必殺技だった。
予想外のパンチをもらった力石が
床に崩れていく。同時にジョーも倒れていく。
両者ノックアウトで引き分け。
プロのリングで負けたことがなかった
力石が、素人のパンチでダウンした。
屈辱以外の何ものでもなかった。
このときから、矢吹丈は、倒すべき敵になった
古居利康 14年8月23日放送
vividBreeze
力石徹・夢の重さ 3R
ボクシングは、体重を極めて厳密に
管理するスポーツだ。
47.62kgから90.719kgまで、
2kgから3kg刻みで、17の階級がある。
頭や腹を殴るこのスポーツは、
つねに死と隣り合わせだ。
ボクシングの体重管理は、命の管理でもある。
17の階級のうち、6階級を制覇した
マニー・パッキャオという選手がいる。
フライ級でデビューして、スーパーバンタム、
フェザー、ライト、ウェルター、スーパーウェルター
と階級を上げて、6つのベルトを奪取。
パッキャオは、体重50kgから70kg近くまで
増やしていって、どの階級でも自分より大きな相手を
痛快に倒した。漫画の主人公みたいなボクサーだが、
現在、WBO世界ウェルター級の現役チャンプだ。
力石徹はその逆で、60kg台から50kg台へ
体重を減らしていった。
筋力を落とさず、脂肪だけ落とす
ボクサーの減量は、500gでさえ地獄の苦しみ。
なぜそうまでして戦わなければならないのか。
力石徹にとって、矢吹丈とは何なのか。
古居利康 14年8月23日放送
c-reel.com
力石徹・夢の重さ 4R
力石徹は、バンタム級の上限、
55.34kgまで体重を落とすことができたのだろう。
矢吹丈と戦う日がやってきた。
少年院での私闘ではない。ボクシングの聖地、
後楽園ホールにて、バンタム級8回戦。
たぶん、力石徹は、自分がいちばん強い
と思って生きてきた。ところが、
自分より小柄なくせにパンチだけはめっぽう強い、
不良少年に倒されてしまった。
信じられないし、許せない。
もういちど戦って、決着をつけたい。
ほんとに強いのはどっちか。白黒つけようぜ。
ただし、同じ階級、同じ体重で。
ジョーは、自分がフェザーに階級を上げると
申し出た。力石は断わった。
「太って鈍くなったお前に勝ってもつまらない」
結末は言うまでもない。
力石徹はプロ20戦全勝、すべてKO勝ち。
負けないまま去っていった。
1970年3月24日。東京・文京区の
講談社講堂で力石徹の追悼式がおこなわれた。
テンカウントのゴングが鳴るなか、
弔辞を読み上げたのは、『あしたのジョー』
TVアニメの主題歌を書いた寺山修司だった。
藤本宗将 14年8月17日放送
山内溥と運
「運が良かっただけ」
その経営者は、あくまで謙虚だった。
「努力したから成功するとは限らないと思っている。
苦労だって経営者ならしていない人などいないから、
自分が特に苦労したとは思わない。
振り返ると何となくこうなっていた。
運が良かっただけだ」
そういえば彼が育てた会社の名前は、
「運を天に任せる」とも読める。
数々のゲームで世界を席巻した任天堂と山内溥。
たしかにゲームに勝つためには、運と実力が必要だ。
藤本宗将 14年8月17日放送
Floccinaucinihilipilification
山内溥と横井軍平
任天堂がまだ花札・トランプメーカーであった頃、
工学部卒の新人が入社してきた。
彼は設備機器の保守点検を任されていたが、
暇つぶしに格子状の伸び縮みするおもちゃをつくって
遊んでいたのを社長の山内溥に見つかった。
社長室に呼び出された社員は叱責を覚悟したが、
山内の言葉は「それを商品化しろ」だった。
物をつかめるように改良を加えて発売された
「ウルトラハンド」は140万個も売り上げ、
コピー品が出回るほどの大ヒット商品に。
横井軍平というその社員のために山内は開発課をつくり、
そこから「ゲームウオッチ」や「ゲームボーイ」が生まれることになる。
遊び心を評価する。
そんな社長がいたからこそ、多くの才能が活躍できた。