大友美有紀 14年7月6日放送
fernando neves
「サンダルの季節」 ハワイの人の
ワールドカップもいよいよ終盤のブラジルに、
世界のセレブが愛用するビーチサンダルのブランドがある。
ハワイアナス。ハワイの人ような、という意味。
ブラジルポルトガル語での発音は、アヴァイアーナス。
1962年、ハワイアナス誕生。
日系人が履いていた布とわらでできた
「草鞋」にヒントを得た。
ソールにつけられたデコボコは、
お米のカタチをデザインしたもの。
当時、ハワイは多くの人にとって夢のような場所だった。
太陽が燦々とふりそそぐ、パラダイス。
波乗りとアップビートな気分。
日本とブラジルとハワイ。
3つの文化が、世界で愛されるサンダルを生んだ。
大友美有紀 14年7月6日放送
dimsumandsiomai
「サンダルの季節」 安いサンダル・松任谷由実
「安いサンダルをはいてた」
松任谷由実のデステニーの歌詞の一節。
1979年発売のアルバム「悲しいほどお天気」の収録曲だ。
松田聖子がデビューした年でもある。
自分の元から去った恋人を、
いつか見返すために、
どこに行くにも着飾っていた主人公。
でも、偶然再会した時には。
どうしてなの、
今日に限って、
安いサンダルをはいていた。
その油断、恋への執念のゆるみ。
だから結ばれない運命なのだと、
たった一行で描いてみせた
大友美有紀 14年7月6日放送
「サンダルの季節」 ギョサン・松下善彦
ここ数年ブームになっているサンダル。「ギョサン」。
小笠原の漁師が履いている「漁業従事者サンダル」だ。
鼻緒と本体が、樹脂で一体成型されている。
ソールが厚く、独特のカーブがある。
砂浜を歩きやすい、船の上でも滑りにくい。
この「ギョサン」を有名にした男が小田原にいる。
創業大正7年、マツシタ靴店の松下善彦。
ダイビングを趣味にする友人から
小笠原にしかない「ギョサン」の話を聞いて興味を持った。
ためしに店に置いてみた。しかし、売れない。
茶色やベージュなど地味な色のバリエーションしかなかったからだ。
綺麗な色でつくれば、漁業関係者だけでなく、
海のレジャーの愛好家にも広がるのではないか。
経営者である父の反対を押し切って、
ブルー、白、黒の3色、240足を特別注文で仕入れた。
ネットオークションに出品、ホームページを充実させ、
ギョサンのいわれや、小笠原の歴史を紹介した。
サイトを見たタレントが買いにきてくれた
ドラマで使ってもらうようになった。
松下自身も、ラジオに出演するなど、積極的にプロモーションを行った。
小笠原で生まれた「ギョサン」は、今、日本全国で親しまれている。
大友美有紀 14年7月6日放送
「サンダルの季節」 ヘップサンダル・オードリー
オードリー・ヘップバーンが映画で履いたサンダル。
それは世界中の女性の心をとらえ、
ヘップ・サンダルと呼ばれた。
かかとのストラップがなく、
甲のところが覆われたサンダル。
今で言うミュールだ。
かのジバンシイは、彼女をミューズと讃えた。
理想の女性像を体現し、想像力を刺激する、
あらゆる魅力を兼ね備えている。
私は建物を建てて、景観を広げなければならなかった。
今見ると、ただの「つっかけサンダル」だけれども、
オードリー・ヘップバーンが履いていたからこそ、
憧れのサンダルとなった。
大友美有紀 14年7月6日放送
torumiwa
「サンダルの季節」 ビーサン屋・げんべい
まるに「げ」のひらがな。
ビーチサンダル専門店「げんべい」のマークだ。
葉山の、商店街もない、国道からも遠い、
電車の駅からはバスで20分もかかる。
そんな場所に「げんべい」の店舗はある。
創業は江戸末期、足袋や手甲、脚絆をつくる職人の店だった。
現在の店主は中島広行。
げんべいの跡継ぎ娘と結婚して五代目となった。
継いだ当初、店はいわゆる「万屋」だった。
紳士・婦人物の肌着、靴下、ストッキングなどを扱っていた。
げんべいで買いものをするのは恥ずかしい、と言った声も聞いた。
3年間頑張っても売上げは落ちるばかりだった。
ええい!どうせ落ち込むのなら、
自分で考えて好きなことをやってやる!
足袋の店からはじまった「げんべい」は、戦後の物不足の時、
ビーチサンダルにこだわりを持っていた。
その原点に立ち戻ったのだ。
豊富な色数、やわらかい天然ゴムを使った鼻緒、
疲れにくい、くさび形のソール。
そのこだわりを貫き、ビーチサンダル専門店という、
他にはない店を作り上げたのだ。
大友美有紀 14年7月6日放送
「サンダルの季節」 ベンハーサンダル・チャールトンヘストン
ローマ帝国を舞台にした映画「ベンハー」。
主演のチャールストン・ヘストンは、
アカデミー主演男優賞を獲得した。
劇中で彼がはいていたサンダルをご存知だろうか。
ベンハー・サンダルと呼ばれている、
甲を止める幅広いベルトに鼻緒が連結されたもの。
この俳優を知らなくても、
この映画を知らなくても、
このサンダルは見たことがあるだろう。
チャールトン・ヘストンは、どんな俳優か。
「十戒」の監督、セシル・B・デミル曰く、
ミケランジェロ彫刻の、
聖書の人物にそっくりだったので、
彼をモーゼ役に選んだ。
大友美有紀 14年7月6日放送
enggul
「サンダルの季節」 島ぞうり・中島広行
葉山のビーサン専門店「げんべい」店主、
中島広行がビーサンの国内生産を目指し、
工場を訪ね歩いていたとき、ある金型に出会った。
昔、沖縄向けにつくられていたビーサン「マルト」の金型だ。
台のカタチが特殊で、鼻緒も左右同じ長さでつくられている。
模様もほかでは見たことがなかった。
これはイケル!20年ぶりに「マルト」を復活させた。
今、沖縄土産で人気の「島ぞうり」の原型です。
ビーサンの国内生産の火を絶やしたくない。
中島の強い想いがある。
大友美有紀 14年7月6日放送
Simply Bike
「サンダルの季節」ビルシュトック・カールビルケンシュトック
サンダルの生みの親とされるカール・ビルケンシュトック。
その祖先、ヨハン・アダム・ビルケンシュトックは、
1774年教会の公文書に「臣王のシューマイスター」と登録された。
以来代々、靴づくりを続けてきた。
足にフィットする「フットベッド」を開発し、
医学的な研究を重ね、靴づくりを広め、専門書を発行する。
そして1954年、カール・ビルケンシュトックが
サンダルの開発を始めた。
デザインは、していない。
自然が作り上げた。
人の足形のストレートに向き合うことで、
ビルケンシュトックの機能美は、必然的に生まれた。
夏、なにげなく履いているサンダルは、
長い歴史と、職人の思いから生まれているのだった。
佐藤延夫 14年7月5日放送
ふたつめの人生 新村出(しんむらいずる)
明治生まれの言語学者、新村出は
広辞苑を編纂した人物として知られている。
東京帝国大学助教授を経て
そののち、京都帝国大学の教授となる。
言語学講座を28年にわたり担当した。
そして第二の人生では、さまざまな肩書きを並べる。
日本言語学会会長、
大東亜学術協会会長、
全国図書館大会名誉会長、などなど。
しかし当の本人は、平凡な人生を強く望んでいた。
こんな一句が残っている。
小器われ 晩成もせず 永らえて 凡器を抱き 安らかに生く
自分が思うよりも、偉くなりすぎてしまった人。
佐藤延夫 14年7月5日放送
ふたつめの人生 間宮林蔵
むかし、社会の授業で習った。
サハリンとユーラシア大陸の間にあるのは、
間宮海峡だ。
1808年、幕府の命令で樺太に渡った間宮林蔵らは、
この土地が半島ではなく、島であることを確認。
のちにシーボルトが、間宮海峡と名付けた。
思いもよらず、世界地図に自分の名を残したのが最初の人生。
その後は幕府の隠密となり、
各地で行われていた密貿易を摘発している。
ちなみに間宮林蔵は変装の名人で、
粗末な格好をさせたら誰も本人だとわからなかったそうだ。