道山智之 14年4月26日放送

140426-01
KTR
紀貫之①

平安時代の歌人、紀貫之。
貴族としての地位には恵まれなかった天才歌人は、
こんな春の歌をのこした。

 袖ひちてむすびし水のこほれるを 
 春立つけふの風やとくらむ

夏の日、袖をぬらしてすくった水が
冬には凍ってしまった
その氷を、春になった今日のあたたかな風がとかすだろうか

一年間の風景を、つかのまの映像として見せる。
時間の流れをかるがると超える現代的な表現は、
こんな心象風景にも聞こえてくる。

「一度は凍りついてしまったのびやかな気持ちは、
 きっとまた戻ってくるさ」

topへ

道山智之 14年4月26日放送

140426-02

紀貫之②

平安時代の歌人、紀貫之には、
こんな歌がある。

 影見れば波の底なるひさかたの 
 空漕ぎわたる我ぞわびしき

海に映る月の光を見ていると
水の底がまるではるかな天空のように思われて
私はひとり空をこぎわたるようなさびしさを感じる

貫之は、言葉の力で、
海底を空に、水面を海底に、かえてみせた。
その逆をゆく歌も詠んだ。

 さくら花散りぬる風のなごりには 
 水なき空に波ぞ立ちける

桜の花が散ってゆく風のなごり
そのとき、花びらの波が立って
空は海にかわった

どちらの歌でも貫之は、
ことばという自分だけのカメラをつかって
一瞬を永遠の風景にかえていた。

topへ

道山智之 14年4月26日放送

140426-03

紀貫之③

平安時代の歌人、紀貫之。
30代にして最初の勅撰和歌集を編纂するなど
当代一の歌人として尊敬を集めた貫之。

しかし貴族としての地位は高いとは言えず、
59歳で土佐に赴任したのも、
経済的な必要に迫られてのことだったと言われている。

任期が終わり、京都へ戻る旅路のできごとを、
当時めずらしかったひらがな文で描いた名作「土佐日記」。
彼は役人であるという現実から自由になり、
大好きなひらがなと、やまとことばを自在にあやつるために、
作者は女性であるというフィクションを用いた。
自分自身は頑固な老人役で登場させている。

 男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。

親しく支えてくれた人たちを、
次々に病でなくした失意の時期に書かれた名文。
やりきれない人生の旅路をウィットたっぷりに描き出す彼の背中は、
きっとブルース・シンガーを思わせたにちがいない。

topへ

道山智之 14年4月26日放送

140426-04

紀貫之④

平安時代の歌人、紀貫之。
65歳の頃書かれた「土佐日記」。
赴任していた土佐を離れるところから話ははじまる。
別れを惜しんで何日も船を追いかけてくる人たちを、彼はこう表現している。

 この人々の深き志は、この海にも劣らざるべし。

しかし、55日もかけて
さまざまな困難の末たどりついた京都の家は、見る影もないほど
荒れ果てていた。
隣の人に管理をまかせて、欠かさず贈り物もしていたのに。

お付きの者たちが「ひどい」と怒り出すのを
主(あるじ)の老人は制して、お礼だけはすることに決める。

なにがあっても、心が凍りそうになっても、
自分らしいのびやかさを忘れない。
彼の作品にはいつも、貫之という人間が垣間見える。

topへ

中村直史 14年4月20日放送

140420-01
emiton
先輩! 北杜夫となだいなだ

精神科医であり、作家であった「北杜夫」。
麻布中学を卒業し、慶応大学の精神科に勤務。
同人誌「文芸首都」からベストセラー作家になった。

まったく同じプロフィールの人がいる。
なだいなだ。
北杜夫の2年後輩にあたる。

2011年に北杜夫が亡くなったとき、
なだいなだは、その追悼文の中で、
自分を北の「二匹目のどじょう」と言った。

北杜夫のおかげで作家として売れることができた。
そして、北杜夫に敵わぬと悟ったことで、
自分らしい道を歩むことができたと。

先輩を2年後ろから追いかけた、なだいなだ。
北への追悼文をかいた2年後、この世を去った。

topへ

中村直史 14年4月20日放送

140420-02

先輩! 遠藤順子と遠藤周作

遠藤順子さんは、
大学で同じ文学部の先輩に恋をした。

恋は実を結んだ。
夫となった先輩は病弱だった。
何度も手術を行い、
生死の境をさまよった。

夫は物議をかもす人でもあった。
社会的論争を起こす本を書いた。
夫は順子さんに言った。

いつか自分のことをわかってくれる人が出てくる。
その人のための「踏み石」になりたい。

夫の名は遠藤周作。
後輩である妻に支えられ、
どっしり強い踏み石になった。

topへ

三島邦彦 14年4月20日放送

140420-03
Kennosuke Yamaguchi
先輩! 山口瞳

4月1日。
多くの企業で入社式が開かれるこの日に合わせ、
毎年掲載される新聞広告がある。

「新入社員諸君!」の一文ではじまるこの広告。
1978年の開始からその死の前年である94年まで、
直木賞作家山口瞳が20年近くに渡り筆を執った。

山口は先輩社会人を代表して
新社会人へ言葉を送り続けた。
たとえば、社会人としての酒の飲み方。

まず、酒は愉快に飲めと言いたい。
愉快に飲むためには、他人に迷惑をかけてはいけない。
迷惑をかけないためには、酒を飲んでいるときに、
絶対に他人のことに口を出さないことだ。

来る年も来る年も、
山口の言葉に、新入社員は勇気づけられ、
先輩社会人たちは深くうなずいた。

山口が担当した最後の原稿には、こんな言葉が書かれている。

踏み込め、踏み込め、失敗を恐れるな!

topへ

三島邦彦 14年4月20日放送

140420-04
潜水夫
先輩! 小津安二郎

1927年、
深夜の映画撮影所の食堂で、
カレーライスを待っていた若者が
先輩に順番を抜かされ、もめごとを起こした。

威勢のいい若者がいるという評判は、
彼にデビューのきっかけを与えた。

彼の名前は小津安二郎。
世界中の映画監督が尊敬する昭和の名監督。
小津はこう語る。

何も頭がよかったでもなし、腕をみとめられたわけでもない。
ただただカレーライスのおかげだったのである。

時には、先輩にはむかうことも
必要なのかもしれません。

topへ

三島邦彦 14年4月20日放送

140420-05
Cake6
先輩! 山本昌

球界最年長選手、
中日ドラゴンズ 山本昌投手。
入団時には生まれてもいなかった選手たちに混じり
現役を続ける秘訣をこう語る。

僕は20代より30代、
30代より40代の方がしっかりと練習するようになりました。
じゃないと、体力だけではなく、考え方も落ちてしまう。

プロ31年目。
その大きな背中が、後輩たちを育てている。

topへ

三國菜恵 14年4月20日放送

140420-06

先輩! 秋元康

作詞家、秋元康。
AKB48のヒットをはじめ、
もうそれ以上稼がなくてもいいのではと
誰もが思いそうだが、彼の手は休まる様子がない。

その理由のひとつに、とある先輩の存在がある。
「にっちもさっちもどうにもブルドック」などの
個性的な歌詞を送りだしたことで知られる作詞家・近田春夫。

お互い、アウトプットは違うけれど
ヒットメーカーなのは同じ。
近田の存在は秋元をいつもどこかで
奮い立たせてくれるというのだ。

どれだけヒット曲を出そうが、
メジャー街道を行こうが、
倒せない人が一人いる感じがする。
自分の中にそういう人がいるってことが大事なんです。

topへ


login