三國菜恵 14年4月20日放送

140420-07
Karl Baron
先輩 石川さゆり

少女はある日歌い手になろうと思った。
小学一年生のとき、島倉千代子のステージを観たときに。

歌手・石川さゆり。
島倉千代子をリスペクトしつづけて歌い手になった。

自分がまだ何者でもなかった頃から
島倉は石川をはげましてくれた。

美空ひばり、島倉千代子、都はるみ、そして、さゆり。
あなたもこの先輩からの流れを自覚して頑張るんだよ。
そう言って、歴代演歌歌手のひとりとして扱ってくれた。

時にきびしく、言葉だけでなく、態度で鼓舞してくれたこともあった。
「先輩より早く仕事場に入ろう」と
石川が2時間前に現場に到着したら、
すっかり支度を済ませた島倉が彼女を待っていた。

いまはもう、島倉千代子という歌手はこの世にいないけれど、
石川の耳には彼女の「さゆり、しっかりしろ」という声が
聞こえるときがあるという。

いくつになっても、どんなかたちになっても、
先輩はすこし高いところから、
後輩を高めつづけてくれる。

topへ

三國菜恵 14年4月20日放送

140420-08

先輩!  岩井俊二

映画監督・岩井俊二。
彼には、尊敬している先輩がいる。
名前はムーンライダーズ。

映画監督ではなく
ニューウェーブという音楽ジャンルを代表するバンドだ。

ヌーベルヴァーグといわれる
フランス映画を題材にした楽曲の数々に、
岩井は映画の風景を夢想し、それを作品へと変えていった。

目指す職業の中だけに、先輩がいるとはかぎらない。

topへ

森由里佳 14年4月19日放送

140419-01

先駆者たち① 平賀源内

 ああ非常の人 非常のことを好み
 行いこれ非常 何ぞ非常に死するや

平賀源内の墓碑に友人の杉田玄白はこう記し、
稀代の天才の死を惜しんだ。

次々と新しいものに興味を持ち、
その世界に挑戦していく源内を、
人々は「非常の人」、型破りの人間と呼んだ。

医師であり画家であり、発明家。
脚本家、地質学者、事業家。
そして日本で最初のコピーライター。

いくつ肩書きをつけても追いつかない
桁外れのマルチ人間、平賀源内は
しかし、時代に受け入れられることはなかったという。

いや、そうではない。
時代が平賀源内に追いつけなかったのだ。

topへ

森由里佳 14年4月19日放送

140419-02

先駆者たち② 杉田玄白

日本で初めて西洋の医学書を翻訳した杉田玄白は、
その苦労をつづった『蘭学事始』の中で、こう述べた。

 はじめて唱ふる時にあたりては、
 なかなか後のそしりを恐るゝやうなる碌々たる了簡にて
 企事は出来ぬものなり

新しいことをするにあたっては、
やる前から後の批判を恐れるような平凡な考えでは、
一歩も踏み出すことはできない。

200年前、未知への興奮と情熱をたよりに
途方もない企事をやりとげた先駆者が、
今、この時代に私たちの背中を押してくれる。

topへ

飯國なつき 14年4月19日放送

140419-03

先駆者たち③氷室冴子

氷室冴子という少女文学の名手がいた。
ジブリによって映画化された、「海がきこえる」の原作者だ。

もっと子供だったら気付かないだろう、
もっと大人であれば乗り越えられただろう、
日常の小さな“事件”たち。

そんな事柄にゆれる少女たちの姿が、
ときに繊細にときにコミカルに描かれる。

物語を支えるのは、作品によって自由自在に変わる言葉や文体だ。
彼女の、言葉に対する執着心は、
「ある作家の“句読点の打ち方”に惚れ込むあまり、
追っかけまでしていた」
というエピソードからも感じられる。

topへ

飯國なつき 14年4月19日放送

140419-04

先駆者たち④ レジナルド・フェッセンデン

いま、あなたが聞いているラジオ放送。
その発祥をご存知だろうか。

約100年前のクリスマス・イブ。
大西洋を航行していたある貨物船の乗組員たちは
その日の果物相場をモールス信号で聞いていた。

ところが、その最中に
無線機はいきなり音楽をキャッチした。
モールス信号ではない、本物の蓄音機から流れる曲だった。
つづいてバイオリンの生演奏、さらに歌声まで。

その声の主こそ
カナダの発明家レジナルド・フェッセンデン。
世界で初めて音声信号の無線通信、
つまりラジオ放送に成功したといわれる人物だった。

しかし、当時、彼の起こした奇跡は、
ほとんど話題にならず、忘れ去られてしまう。

当時、ラジオの受信機など誰も持っておらず
せっかく電波を発信しても聴くことができるのは
大西洋沿岸を行く船の無線技士だけだったからだ。

今この瞬間に起きているかもしれない小さな奇跡がある。
私たちのアンテナは、それをキャッチできるだろうか。

topへ

藤本宗将 14年4月13日放送

140413-01
noodlepie
ジョン・フルスティックとエドワード・グリーン

エドワード・グリーン。
今でこそイギリス靴の最高峰ブランドだが、
30年ほど前は
多額の負債を抱えて廃業寸前にあった。

その負債を肩代わりして
会社をわずか1ポンドで買い上げたのが
ジョン・フルスティックというシューデザイナー。
彼の改革は、1ポンドからの劇的な再生を実現した。

変化をおそれない一歩が、
廃れかけた伝統を伝説に変えたのだ。

topへ

藤本宗将 14年4月13日放送

140413-02

マイケル・ジャクソンのローファー

1983年、『ビリー・ジーン』で
華麗なムーンウォークを披露したマイケル・ジャクソン。

世界が驚き注目したその足元には、
黒いローファーがあった。

紐もなく、着脱しやすいことから、
「怠け者」という意味で
名付けられたローファー。

その靴底を、
マイケルはダンスのために
なめらかに削って愛用していた。

もちろん靴の工夫だけで
すぐれたパフォーマンスはできない。
マイケルは公演の滞在先でも
ホテルの床にマットを敷き、
ダンスの練習を欠かさなかったという。

ローファーを履いたキング・オブ・ポップは、
決して「怠け者」ではなかった。

topへ

藤本宗将 14年4月13日放送

140413-03

ヘンリー五世と靴の聖人

キリスト教にはさまざまな聖人がいるが、
そのなかに「靴を司る」聖人がいる。
聖クリスピンと聖クリスピニアンという双子の兄弟で、
靴づくりをしながらキリストの教えを広めていた。

だから靴づくりの街イギリス・ノーザンプトンでは
聖クリスピンの祝日は、特別な日だ。

だが聖クリスピンの名をいちばん有名にしたのは、
シェークスピアの『ヘンリー五世』だろう。

フランスとの戦いを前に
イギリス国王ヘンリー五世が行った
「聖クリスピンの祝日の演説」は、
さまざまな小説や映画でも引用されている。

長い遠征に疲れ切った兵士たち。
対するフランス軍の兵力は3倍。
それでも王はこう呼びかける。

 今日はクリスピンの祝日だ。
 きょうを生き延びて無事に祖国へ帰れた者は、
 この日が話題になるたびに自分を誇らしく思うだろう。
 そして安らかな老後を迎えられた者は、
 前夜祭のたび人々に言うだろう。
 「明日は聖クリスピンだ!」
 そして袖をまくって古傷を見せながら言うのだ。
 「この傷は、聖クリスピンの日に受けたものだ」と。

この演説を聞いた兵士たちは奮い立ち、
イギリス軍は劣勢を跳ね返して勝利を収めた。

あなたがもし困難に立ち向かうときは、
靴を見て思い出すといい。
あなたの拠って立つ場所は、
自分自身の足なのだということを。

topへ

村山覚 14年4月13日放送

140413-04

坂本龍馬の道

坂本龍馬と言えば
紋付袴の着物に革靴を履いた写真が有名だ。
この一風変わった姿に龍馬ファンは

反骨精神の表れだ
とっさの時に動きやすいからだ
西洋に強い憧れを抱いていたのだ

などと想像を巡らす。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に、こんなセリフがある。

 英雄とは自分だけの道を歩く奴のことだ

龍馬は自分だけの靴で、自分だけの道を駆け抜けた。

topへ


login