三島邦彦 14年2月8日放送
Richard Masoner
寒さとあたたかさについて 北大路欣也
映画「八甲田山」。
明治時代の青森で起きた軍隊の遭難事件を描いたこの大作は、
撮影の過酷さに逃げ出す役者が後を絶たなかったという。
そのクライマックス。
棺に入った北大路欣也の遺体に、高倉健が対面するシーン。
高倉健だけを撮る予定だったが、北大路は棺に入ることを希望した。
棺を開いた瞬間、
北大路の存在を知らされていなかった高倉健の目から、
本物の涙があふれた。せりふはもう、いらなかった。
3年に及ぶ過酷な撮影をともにすごした仲間との、
氷点下15度の世界での、あたたかな連帯。
ここに、日本映画史上の名シーンが生まれた。。
中村直史 14年2月8日放送
the cardinal de la ville
寒さとあたたかさについて ポール・オースターもしくはアメリカ国民
アメリカ国民から集めたストーリーを、
ただ、ラジオで朗読する。
「ナショナルストーリープロジェクト」は、
小説家ポール・オースターの呼びかけで生まれた。
基準は「ウソのような、本当の話」。
アメリカの、ふつうの人々から集まった
4000を超えるストーリーには、
あたたかい話があった。寒々しい話があった。
ウソみたいな、でもたしかに本当の、
かなしみや、怒り、驚き、よろこびがあった。
ラジオから朗読をつづけたオースターは言った。
アメリカが物語を語るのが私には聞こえた。
三國菜恵 14年2月8日放送
chesbayprogram
寒さとあたたかさについて 牡蠣船の商人達
いまが旬の食材、牡蠣。
その代表的な食べ方のひとつに
土手鍋というものがある。
鍋のふちに味噌を土手のようにつけて
くつくつと煮込むから「土手鍋」、
なのかと思いきや
そうではないとする説もある。
遠い昔、江戸時代に
広島から大阪へと牡蠣を運んできた商人達が
橋のたもとに船を泊め、
牡蠣料理をふるまった。
その味が評判を呼び、
人々が橋の土手下に集まっては
わいわいと鍋をつつくようになった。
土手鍋の語源は「土手下の鍋」。
人が集まる場所がメニューの名前になった鍋。
牡蠣が美味しい季節もあともう少し。
寒いことをたのしめるのも、もう少し。
大友美有紀 14年2月2日放送
「冬季オリンピック」猪谷千春(いがやちはる)
2月7日、日本時間では2月8日の深夜、
ソチオリンピックが幕を開ける。
冬季オリンピックで、日本人最初のメダリストは、
猪谷千春(いがやちはる)。
1956年、イタリアのコルティナ・ダンペッツォ大会。
スキーの回転競技で、銀メダル。
ヨーロッパの男子選手以外で初めてのメダリストだった。
この時、金メダルを獲得したのは、
黒い稲妻と呼ばれたオーストリアのトニー・ザイラー。
猪谷も常に黒いウエアを着ていたことから、
ブラックキャットと呼ばれていた。
それから58年、何人のメダリストが誕生するだろう。
大友美有紀 14年2月2日放送
「冬季オリンピック」ウルリッヒ・サルコウ
冬季オリンピックが始まるずっと前、
夏の大会にフィギュアスケートが登場していたのを
ご存知でしょうか。
1908年、第4回ロンドン大会。
そのオリンピックは、6ヶ月にわたって開催された。
フィギュアは、会期の終盤、
10月に屋内人工スケートリンクで行われた。
その競技会の時、スエーデンの選手がジャンプをした。
彼の名は、ウルリッヒ・サルコウ。
そう、今、4回転サルコウと呼ばれる、あのジャンプ。
ソチでは、何回転の美しいサルコウが見れるのだろう。
大友美有紀 14年2月2日放送
B. Elin
「冬季オリンピック」スターリン
冬季オリンピックが開催される街、ソチ。
冬の大会の開催地なのだから、
寒い街だと思うのは、当然。
でも、実は、黒海沿岸の温暖な土地、
ヤシの葉がそよぐリゾート地だった。
ソチの魅力に気付いたのは、あの独裁者スターリン。
1920年代、ソチを訪れた。
リューマチに悩んでいたスターリンは
街のマツェスタ保養所の風呂に入った時、
体が軽くなるのを感じたという。
それから、スターリンは、毎年、休暇と治療のためにソチを訪れる。
インフラを整備し、公園や保養所をつくり、
自分の別荘を建てた。
冬になると富裕層も訪れた。旧ソ連時代のまでの話だ。
今、オリンピックのために、ソチには人工降雪機が
用意されている。
もちろん、競技はソチだけで行われるのではない、
近隣の山間部でも行われる。
幾つの場所で、幾つの感動を得られるだろうか。
大友美有紀 14年2月2日放送
~Darin~
「冬季オリンピック」高梨沙羅
女子のスキー・ジャンプは、今年、ソチ大会から、
オリンピック種目に採用された。
いままで種目になかったのは、
女子には危険すぎるからと言われるが
競技者が少なかったことも、理由のひとつ。
現在、ジャンプ競技会に出場する
女子選手は、多いときで100人にもなる。
初めての女子スキー・ジャンプで
初めてオリンピックに出る
17歳の高梨沙羅。
ジャンプを始めた頃を振り返って、
「面白かった」という彼女。
ソチでは、なんども面白い経験をしてほしい。
大友美有紀 14年2月2日放送
「冬季オリンピック」カール・シュランツ
かつて、オリンピックにプロの選手が、
出ることはできなかった。
当時のオリンピック憲章に
「スポーツで報酬を得てはならない」とあった。
そのために失格となり、1972年の札幌大会に
出られなかったアルペン・スキーの選手がいる。
カール・シュランツ、オーストリア。
スキーはお金のかかる競技だ。
彼は、堂々とスキーメーカーの広告に出演していた。
IOC会長は、シュランツを走る広告塔と非難し、
ついには札幌大会からスキーをオリンピック競技ではなく、
世界選手権とするプランを披露した。
カール・シュランツは、
自分だけオーストリアに帰るか、
世界中のアルペン選手全員が
オリンピックから追い出されるかを、迫られた。
彼ひとりがオリンピックから去った。
その2年後、憲章は大幅に緩和され、
プロ選手を禁止する決まりはなくなった。
今年、何人のプロ選手が、
シュランツが手にできなかったメダルを獲得するだろう。
大友美有紀 14年2月2日放送
bobaliciouslondon
「冬季オリンピック」平野歩夢
ソチオリンピックでは
雪上競技最年少の選手が代表に選ばれた。
平野歩夢、15歳、中学3年生。
スノーボードのハーフパイプに出場する。
同じ競技には、オリンピック3連覇を狙う
アメリカのショーン・ホワイトがいる。
27歳、スノーボード界のスーパースターだ。
ホワイトの独特な空中技は、世界を熱狂させる。
バンクーバーでは「ダブルマックツイスト1260」
3回転半を決めた。
昨年末には、新技「ダブルコーク1440」
4回転の技を動画サイトで後悔した。
平野も新技を特訓しているという。
15歳は、12歳上のライバルの前で、
何回転を飛ぶのだろう。
大友美有紀 14年2月2日放送
「冬季オリンピック」エディー・イーガン
オリンピックで金メダルを獲得することは、
並大抵ではない。
夏と冬、両方の大会で金メダルを取った選手がいる。
エディー・イーガン、アメリカ。
1920年アントワープ大会、ボクシング男子ライトヘビー級。
1932年レークプラシッド大会、男子ボブスレー4人乗り。
個人戦とチーム戦。
まったくタイプの違う競技だ。
夏と冬に出場した選手は、いる。
両大会で金メダリストになったのは、
イーガンただひとり。
この冬、日本はいくつの金メダルを獲得するのだろうか。