渋谷三紀 13年10月26日放送


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千利休

千利休。
わび茶を完成させた、
茶の世界の巨人。

和泉国、堺の町で
魚問屋を営む有力な商人の家に生まれた。
若い日の利休は、
茶道だけに精進できない
家の財力を恥じていた。

ときに、
わび茶の根底にあるのは、
足りないさまを
肯定し楽しむこころもち。

茶人、利休も
人間、利休も
同じ場所をめざし、歩きはじめた。

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渋谷三紀 13年10月26日放送



千利休

利休が設計した
わずか二畳の茶室「待庵(たいあん)」。

入り口はせまく、低い位置にあった。
いったん頭を下げなければ、
中に入ることができない。
武士の誇りである刀を外さなければ、
通ることもできない。

それは天下人であっても同じこと。
茶室の中では、身分に上下はない。

茶室とは、
茶を楽しむためだけにつくられた
もうひとつの宇宙。

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渋谷三紀 13年10月26日放送


Amy Loves Yah
千利休

朝顔を見に、茶会にいらっしゃいませ。

利休に誘われ、
茶室をおとずれた秀吉。

庭を見て顔色を変える。
朝顔の花はすべて花が切り取られていた。

不審に思いつつ茶室に入った秀吉は、
はっと息をのむ。

床の間に生けられた一輪の朝顔。
一輪ゆえに際立つ美しさに、
秀吉はため息をもらしたという。

ぎりぎりまでそぎおとす。
わび茶の美学を体現して見せた利休。
その鮮やかさで、
かの天下人さえのみこんでしまった。

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渋谷三紀 13年10月26日放送


OndasDeRuido
千利休

愛情の振り子は
いちど手を離せば、
憎しみに大きく振れる。

蜜月関係にあった
利休が秀吉の逆鱗に触れた原因は
さまざま囁かれたけれど。
どれも切腹の理由としては軽すぎるものばかり。

おそらく、
秀吉は謝罪の言葉を求めていただけで、
利休はそれを拒んだだけのこと。

別れを突きつけられたのは、
秀吉のほうだった。

切腹の日。
茶室を訪れた使者たちに、
利休は一言こう告げた。

お茶の支度ができております。

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佐藤理人 13年10月20日放送



フェルマーの遺産「フェルマー」

17世紀フランスの法律家、
ピエール・ド・フェルマー。

大の数学好きだった彼は、
読んだ数学書の余白に数多くのメモを残した。

彼の死後、それらは全て解明された。
たった一つを除いては。

 3以上の自然数 nについて xn + yn = zn となる
 0 でない自然数 ( x, y, z ) の組は存在しない

これが

 フェルマーの最終定理

と呼ばれるもの。

 この定理に関して
 私は真に驚くべき証明を見つけたが
 この余白はそれを書くには狭すぎる

そう記してこの世を去ったフェルマー。

それから350年もの間、
自分のメモが数学史上最大の謎として
大勢の人生を狂わせることになるとは、
彼は夢にも思わなかったに違いない。

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佐藤理人 13年10月20日放送



フェルマーの遺産「谷山と志村」

戦後の日本でいち早く復興したのは
数学だった。

1955年の国際シンポジウムで、
東京大学の谷山豊は楕円曲線について
ある重要な発表を行う。

しかし3年後、
谷山は自らの説を証明することなく、
謎の自殺を遂げる。

谷山の遺志を継いだのは、
東大の先輩、志村五郎。

彼はそれから10年もの間、
親友が打ち立てた理論と取り組み、
遂に証明を完成させた。

この

 谷山=志村予想

こそ、
350年間誰も解くことのできなかった
フェルマーの最終定理に、
初めて風穴を開けた画期的な理論だった。

世界中の数学者を飲み込んできた魔の山に、
遂にルートが見つかった。

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佐藤理人 13年10月20日放送



フェルマーの遺産「ワイルズ① 登頂前夜」

1963年、10歳のアンドリュー・ワイルズは、
図書館で「フェルマーの最終定理」に出会った。

 いつか自分が解いてやる

そう誓った彼はケンブリッジ大学に進む。
しかし教官は無茶な夢は捨てるよう諭した。

1986年、「谷山=志村予想」が証明できれば
「フェルマーの最終定理」も証明できることを
アメリカの数学者ケン・リベットが発表する。

ワイルズの全身に震えが走った。
33歳の少年が夢に向かって再び歩き始めた。

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佐藤理人 13年10月20日放送



フェルマーの遺産「ワイルズ② アタック開始」

イギリスは冒険家の国だ。

クック、スコット、リビングストン、ヒラリー。
冒険に命をかけて死んだ男たちの血が、
数学者アンドリュー・ワイルズにも流れていた。

断崖絶壁に囲まれた数学史上最高の未踏峰、
「フェルマーの最終定理」。

ワイルズは誰にも内緒で証明を開始する。
数学者のキャリアを溝に捨てる恐怖と闘いながら、
彼は何年間も考えつづけた。

論文も書かず、学会にも出席しない彼のことを、
同僚たちは「ワイルズは終わった」と笑い者にした。

7年目、ようやく光明が訪れた。
不得意な幾何学をかなり駆使したが、自信はあった。

1993年、ワイルズは突然講演会を開き、
満員の聴衆の前で史上最大の難問を解き始めた。

終わりに近づくにつれてシャッターの音が増え、
シャンパンの栓が抜かれた。

いつまでも止まない喝采の中、
ワイルズは静かに証明を終える。

しかし、本当の試練はこれからだった。

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佐藤理人 13年10月20日放送



フェルマーの遺産「ワイルズ③ 滑落」

発表しただけでは正しいことにならない。

アンドリュー・ワイルズが発表した
「フェルマーの最終定理」の証明。

この数学史上最大の難問を証明する論文は、
6人の一流数学者たちの目で審査されることになった。

彼らは疑問が生じるたびメールで質問を送った。
ワイルズはどのメールにもすぐ返事を返したが、
ある一通にだけ返信が遅れた。

一週間たっても、一ヶ月たっても返事はなかった。

世紀の証明に、重大な誤りが見つかった。

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佐藤理人 13年10月20日放送



フェルマーの遺産「ワイルズ④ 遭難」

惜しみない賞賛は、
耐えがたい非難に変わった。

アンドリュー・ワイルズが発表した
「フェルマーの最終定理」の証明には
重大な欠陥があった。

ジーンズ会社から
広告出演依頼まで受けた男は、
いまや世界的なペテン師だった。

彼の下には完全な証明を求める声が殺到した。
メールを無視し、電話番号を変えてまで
ワイルズは修正を急いだ。
しかし1年経っても進展はなかった。

彼はかつての教え子、
リチャード・テイラーに助けを求めた。
テイラーは言った。

 あと1ヶ月。
 1ヶ月だけ頑張ってみましょう。

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