澁江俊一 13年10月13日放送



心のお引越し

「時をかける少女」
「サマーウォーズ」
「おおかみこどもの雨と雪」
日本のアニメ映画界で
快進撃を続ける細田守監督。
彼とタッグを組む脚本家は、
奥寺佐渡子(おくでらさとこ)。

奥寺のデビュー作は、
今は亡き相米慎二監督作品。
今もなお映画ファンから
高く評価されている「お引越し」である。

物語の主人公は
大好きな両親の別居をきっかけに
揺れ動く11歳の少女レンコ。

わたしはお父さんとお母さんが喧嘩してもガマンしたよ。
そやのになんでお父さんらはガマンできひんの?

絶対に離婚してほしくないけれど
次第にそれを受け入れ、レンコは成長する。
少女から、大人へのお引越し。
奥寺がレンコのセリフに込めた
その時期にしか言えない繊細な感情は
確かにフィルムに焼き付いている。

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奥村広乃 13年10月13日放送



わが子のための引越し

中国の故事に、
孟母三遷(もうぼさんせん)という話がある。

孟子が幼い頃、彼の家は墓地のすぐ側にあった。
そのためいつも、葬式のまねごとばかりしていた。
それを見た孟子の母は引越しを決意する。

次に住んだのは市場の近く。
孟子は商人の駆け引きのまねをして遊ぶようになる。
母は、2度目の引越しを決意する。

次に選んだ住まいは、学校のそば。
孟子は、学生たちの祭礼の儀式や、
礼儀作法の真似事をして遊ぶようになった。
母は安心し、学校のそばに腰を落着ける。

そして孟子は勉学にはげみ、
孔子とならぶ、代表的な儒学者となる。

少年老いやすく学なりがたし。

母の想いがひしと伝わる故事だが、
今の日本で子供のために3度も引越すのは
簡単ではなさそうだ。

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澁江俊一 13年10月13日放送


minasodaboy
メジャーリーガーと引越し

元メジャーリーガー、田口壮。
彼がアメリカにいた8年間で
暮らした場所は、実に22か所にもなる。

メジャーとマイナーを
行き来する選手の引越しはいつも突然だ。
田口の妻、恵美子は息子と犬と荷物を乗せて
自らクルマを運転し、引越しを繰り返した。
すべては夫のそばにいることで
少しでもリラックスしてプレーさせるため。

「こんなはずじゃなかった」
それは田口夫妻が唯一、
口にしないと決めていた言葉。

メジャーリーグは決して
華やかなだけの世界ではないのだ。

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奥村広乃 13年10月13日放送



引越しに欠かせない物

引っ越しにかかせない段ボール。
その歴史は100年以上さかのぼることができる。

1904年。
当時の日本には、「電球包み紙」とよばれる
ジグザグと折り目をつけたボール紙が使われていた。
電球やガラス瓶など割れやすいものを包むために用いられていたが、
弾力性がなく品質的には不十分だった。

日本ではじめて段ボールが作られたのは1909年。
井上貞治郎によって機械化、量産化された。
厚紙を貼り合わせ、弾力性のある段ボールは
日本の産業化の波にのり、またたく間に広まっていった。

「きんとま」。

井上は、これを経営哲学としている。

「きん」はお金と、鉄のように硬い意志。
「ま」は真心の真と、あいだの間を意味している。

硬い意志、お金、真心、間。
この4つを握ったら死んでも離すな。

そんな井上が生み出した段ボールは、
今も大切なものを包み、守り、運んでいる。

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蛭田瑞穂 13年10月12日放送



コンピュータの歴史①

史上初の機械式計算機を発明したのは、
「人間は考える葦である」という
言葉で有名なブレーズ・パスカル。

パスカルの父親は徴税官だったため、
若い頃のパスカルは父の仕事を手伝って
税金の計算をしていた。

当時のフランスの貨幣単位は
12進法と20進法が混在しており、
その計算はおそろしく厄介だった。

そこで19歳のパスカルは、
歯車を使った計算機を開発する。

残念ながらパスカルの計算機が
普及することはなかったが、
その基本原理はのちにライプニッツの
計算機に受け継がれた。

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蛭田瑞穂 13年10月12日放送



コンピュータの歴史②

19世紀のイギリスの数学者、
チャールズ・バベッジは「コンピュータの父」
といわれる。

バベッジは歯車を回すだけで
計算から印刷までができる計算機を考案した。
これがアーキテクチャとしての
世界で最初のコンピュータと言われる。

さらにバベッジは「解析機関」と呼ばれる
新しい構造を持つ計算機を開発した。

この計算機によって四則演算が初めて可能になり、
同時に「プログラミング」という、
現在のコンピュータに続く概念が誕生した。

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蛭田瑞穂 13年10月12日放送



コンピュータの歴史③

近代コンピュータの歴史は、
1946年に開発された「ENIAC」から
始まると言われている。

開発の中心人物はペンシルバニア大学の
ジョン・モークリ―とジョン・エッカート。

「ENIAC」に使用された真空管は18000個以上。
重量は30トンもある巨大なマシンだった。
1秒間に5000回の加算、減算が可能で、
その速度は従来の計算機の1000倍もあった。

膨大な量の計算が可能だったが、
その分電力消費も膨大で、「ENIAC」作動中は
近郊の都市の灯りが暗くなったという。

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蛭田瑞穂 13年10月12日放送



コンピュータの歴史④

コンピュータの発展に多大な影響を及ぼした
もののひとつにトランジスタがある。

トランジスタを発明したのは
アメリカのベル研究所。ジョン・バーディーン、
ウォルター・ブラッテン、ウィリアム・ショクリーの
3人の研究員が中心となって開発された。

トランジスタを初めて採用したコンピュータは
IBMが1958年に製作した「IBM7070」。

トランジスタの導入でコンピュータは
小型化と高速化が進み、
電力消費を抑えることにも成功した。

トランジスタを開発した3人の研究者は、
のちにノーベル物理学賞を受賞している。

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大友美有紀 13年10月6日放送


のらなのに
金原まさ子(きんばらまさこ) あちら側

金原まさ子、俳人、1911年生まれ、102歳。
49歳のときに「魔がさして」俳句を始める。
4冊の句集を出している。

 俳句で遊んでいるとぞくぞくして
 時間を忘れます。

日に何度も「あちら側」幻想の世界に行ってしまう。
浦島太郎が竜宮城で年をとるのを忘れたように、
うかうかと長生きをしているのかもしれない、という。

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大友美有紀 13年10月6日放送



金原まさ子 あたまの中の蛇

俳句では、目の前のもをよく見て作りなさい、
と言われる。
芭蕉以来、俳人は、旅をし、野に出て俳句を作る。
吟行(ぎんこう)する。

102歳の俳人、金原まさ子は、現実をなぞっていても
なにもはじまらないと思ってしまった。
だから見て、そして、目をつぶって書く。

 吟行の後の句会で、わたしが作った蛇の句を出すと
 「今日は蛇なんかいなかった」と言い出す人がいます。

 はじめから、わたしの頭のなかにしかいない蛇なのに。

彼女は、俳句界の「不良少女」と呼ばれている。

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