大友美有紀 13年10月6日放送
ミィ
金原まさ子 A子とB子
明治44年生まれの俳人、金原まさ子は、
良妻賢母になるための女学校に通い、
17歳のときに読んだ谷崎純一郎の「痴人の愛」の
主人公、河合譲治に「なんて不道徳な!」と憤る。
「清く正しく」暮らし、結婚していい母親として、
生きていた。その「わたし」はA子。
しかし、30代で妻としても母としても失格と
宣告されるような体験をする。
自分で自分の心を蹂躙するような毎日。
その時のわたしには、避難所が必要になりました。
清く正しく、道徳的で常識的な「わたし」A子に対するB子。
不道徳で非常識な「わたし」。異常者や死体が出てくる本を好んで読む。
不健全な世界で遊んでいると精神が健やかになる。
そんなB子。それは必要な癒しだった。
A子さんの受け持ちである明るさや健全さは、
暗くあやしい世界を楽しむためにも必要です。
ずっと日に当たらないでいると、人間、衰えてしまいますからね。
大友美有紀 13年10月6日放送
金原まさ子 二行目がない
102歳の俳人、金原まさ子は、
女学校卒業後の進路に「津田塾」を考えていた。
ところが受験が近づいた頃、肺尖カタルにかかってしまう。
進学は断念。
勉強は国語が得意だった。
将来の夢は小説家。
ところがいざ書いてみると二行より先に行かない。
わたしのアタマには、
小説のための語彙も物語も
定着しなかったようです。
俳句ならかろうじて書ける。
二行目がないからでしょうか。
大友美有紀 13年10月6日放送
金原まさ子 ボーイズラブ
102歳、俳句界の不良少女、
金原まさ子は、「戦場のメリークリスマス」を見て
人生が変わった。
男性どうしの愛の美しさを思うことが、
心の大部分を占めるようになってしまった。
70歳を越え、夫を亡くして気持ちが
開放されていたのかもしれない。
映画の舞台は、太平洋の南の島。
絶望と暴力が支配するその島で、
日本人の青年将校と英国人パイロットが、
理解し合えない二人として出逢い互いに密かに魅了される。
その戦争は、わたしも知っているあの戦争のはずですが、
それがわたしの生きた時代のことだなんて、
いつもすっかり忘れています。
それは、わたしにとってひたすらに美しい幻想譚でした。
ヒトはケモノと菫は菫同士契れ
大友美有紀 13年10月6日放送
icoro.photos
金原まさ子 気がついたら102歳
金原まさ子は、自分を
何かひとつのことに集中タイプだという。
ずっと前は、子育て。
そのあとの何十年かは、俳句。
さいきんはブログ。
凝り性の一点集中型。
完璧を目指すと苦しくなるとわかったので、
完璧は目指さない。けれど必ずベストを尽くす。
ベストを尽くさないと楽しくありませんからね。
(でも人に勝ちたいとは、ちっとも思わない。
俳句でもなんでも、勝ち負けの問題にしたくありません。
自己保身、我が身たいせつ。一人でコツコツ。)
気がついたら102歳。
大友美有紀 13年10月6日放送
金原まさ子 かまってちゃん
金原まさ子は、無人島に行ったら、俳句はつくらないという。
人に褒められたいから書く。
読んでくれる人がいなかったら、俳句は一文字も書かない。
人にかまわれるのが、大好きです。
「かまってちゃん」という言い方があるそうですが、
わたしは、それかもしれません。
バフンウニのまわり言霊がひしめくよ
大友美有紀 13年10月6日放送
金原まさ子 ほんとうだけどウソ
金原まさ子が2010年に出した第3句集
「遊戯(ゆげ)の家」に
「九十九歳の不良少女」という惹句がついた。
それを機に取材の申し込みが入るようになった。
記者の関心は彼女の年齢にあった。
しかし、わたしはみなさんが期待するような人格者でも
カワイイおばあちゃんでもありませんから、
あまりお役に立たなかったでしょう。
「遊戯の家」の最終章は、
エイズで亡くなった映画監督のデレク・ジャーマンが、
最後の日々を過ごした庭を思って書いた。
それは、記者が期待する99歳のイマジネーションではなかっただろう。
金原自身は年をとればとるほど書くものが自由になるという。
「ほんとうですけど、ウソなのです」
「ウソですけど、ほんとうなのです」
というような俳句のつくりかたをしたいと、
わたしは思っているのです。
2013年第4句集「カルナヴァル」を出版。
虚空から沸いて出たものが跋扈する「祭」のような句集になった。
すごい102歳だ。
佐藤延夫 13年10月5日放送
あの人の息子 菱川師房
父親は、偉大な芸術家。
その背中を見続けていた息子が、
同じ道を目指す。
そんな光景は、江戸時代にも
もちろんあった。
浮世絵の祖、菱川師宣の息子、菱川師房。
小さいころから浮世絵を教わり、
作風は、師宣の技法を忠実に再現した。
しかし、父と同じような作品は残せても、
父を超えることにはならない。
やがて師房は、筆を捨て、染物屋に転職したという。
親の七光りとは言うけれど、その輝きを維持することは難しい。
佐藤延夫 13年10月5日放送
あの人の娘 近藤たま
新選組局長、近藤勇は、子煩悩な父親だったそうだ。
一人娘の誕生日に、京都西陣織の帯を贈っている。
その娘の名前を近藤たま、という。
戊辰戦争で父親を失ったとき、たまは6歳。
やがて叔父の家に引き取られ、息子の許嫁となる。
そして長男を出産したあと、25歳の若さでこの世を去ってしまう。
このとき生まれた男の子も日露戦争で命を落とし
近藤勇の直系は途絶えることになる。
戦争はいつも、人の運命を残酷にねじ曲げていく。
佐藤延夫 13年10月5日放送
あの人の息子 夏目純一
夏目漱石の息子、夏目純一は
小説家を目指さず、音楽の世界へ飛び込んだ。
なにしろ、父親の印税は山ほどある。
ヨーロッパでヴァイオリン学びながら、
休日は貴族と豪遊して過ごしたそうだ。
その後、ヴァイオリニストとして東京交響楽団に参加。
ドイツ語やイタリア語にも堪能で、
通訳としても活躍した。
お金持ちの道楽かと思いきや、
しっかりと自分の居場所を見つけている。
佐藤延夫 13年10月5日放送
あの人の息子 トーマス・エジソン・アルヴァ・ジュニア
目の前に、絶対に越えられない壁があるとして。
その壁が自分の父親ならば、
息子はどう立ち向かえばいいのだろうか。
たとえばトーマス・エジソンの次男、アルヴァ・ジュニアの人生。
発明王の息子として
周りから甘い言葉を囁かれ、
科学会社を設立する。
詐欺まがいの手口で資金を集めていたところ、
エジソンに告発され、会社は倒産。
そのかわりに、週200万円相当の仕送りをもらう契約を結んだそうだ。
親の甘茶が毒となる。
そもそも息子に、壁なんて見えなかったのかもしれない。