熊埜御堂由香 20年1月26日放送
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白のはなし 白の慣用句
真っ赤な嘘、白黒つける、黄色い歓声…。
日本語には、目に見えないものを色にたとえて
表現する言い回しが多数ある。
中でも「白」を使った慣用句や熟語は多い。
白を切る、白紙に返す、白い目で見る。
清廉潔白もあれば、顔面蒼白もある。
明るくピュアなイメージの「白」でも
その意味はただ明るいものばかりではない。
英語でもwhiteを使った慣用句がある。
たとえば、“white lie”は「白い嘘」。
誰も傷つけることのない小さな嘘は
嘘だというのに罪がなく、むしろ愛とか優しさを秘めている。
白は、前後の言葉との組み合わせで
変幻自在に意味を変えていく。
それこそが、何色にも染まらない、
白だからこそのなせる業、なのかもしれない。
石橋涼子 20年1月26日放送
白のはなし 雪の不思議
今年の冬は雪が少ないが、
それでも日本各地で真っ白な風景を見ることができる。
そんな景色を眺めていた、とある子どもの疑問。
なぜ雪は白いの?
確かに。
雪の結晶を拡大すると、氷と同じように透明なのに、
ふんわりと積もった雪は真っ白だ。
これは、複雑な形をした雪の粒が、光の波長を乱反射させて
すべての色が混じって見えるから。
「光の三原色」で教わるとおり、
光は、すべての色が混じると白になる。
何色でもない白は、いろんな色でできている。
雪の不思議は、光の不思議。
石橋涼子 20年1月26日放送
白のはなし 白い雁
古代中国の有名な思想書『老子』には、
こんな言葉がある。
白い雁は水を浴びずとも白し。
これは、人が自分自身であるために
何かをする必要はない。
ありのままの自分でいれば良い
という教えだ。
まだ始まったばかりの令和2年。
ああなりたい、こうしたい、と張り切るのも良いけれど、
程よく力を抜いて、
まっさらな自分と向き合おう。
野村隆文 20年1月25日放送
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サマセット・モームの秘密
今から150年ほど前のこと。
パリのシャンゼリゼに、「美女と野獣」と噂された夫婦がいた。
大使館の顧問弁護士をつとめる教養人の夫と、
名家の出身で、たいそう美人な妻。
パリの社交界でも花形だったその夫婦に、1874年の今日、
六人兄弟の末っ子が生まれた。
少年の名は、サマセット・モーム。
のちに「月と六ペンス」を執筆し、
世界的なベストセラーとなる。
思い煩うことはない。人生に意味はないのだ。
と語った大作家の、数奇な人生がはじまった。
野村隆文 20年1月25日放送
サマセット・モームの秘密
サマセット・モーム。
数々のベストセラーを生んだ大作家には、
実は裏の顔があった。
語学が堪能で、旅行好きだったモームは、
あのジェームズ・ボンドと同じイギリスのスパイ機関
MI6に所属していた。
コードネームは“サマーヴィル”。
1917年には、革命の渦中であるロシアにも潜入。
後にその経験を下敷きに、
スパイ小説の古典『アシェンデン』も執筆している。
矛盾だらけのさまざまな性質を
束ねたものが人間だ
激動の時代に作家をつづけていくための、
一級の処世術だったのかもしれない。
野村隆文 20年1月25日放送
サマセット・モームの秘密
イギリス人作家、サマセット・モームは、
旅行好きで有名。
ここ日本にも、生涯で4度訪れている。
「日本を題材に、なにか書くつもりは?」という質問には、
「わたしはもう死火山ですよ。フジヤマのようにね」と答えたが
実は、神戸を舞台に短編を残している。
その内容はなんと、人がときに見せる矛盾した一面について。
サマセット・モームの名言がある。
ユーモアのセンスを持っていると、
人間性の矛盾を楽しむようになる。
大作家は、自分の矛盾した一面さえも
楽しんでいたようだ。
野村隆文 20年1月25日放送
サマセット・モームの秘密
自分の四分の三は正常で、四分の一だけが変だと
言い聞かせようとしていた。
でも、実際の割合はあべこべだった。
作家のサマセット・モームは、
晩年、甥に向かってそう語ったという。
モームが生きた時代のイギリスでは、
同性愛は違法だった。
彼が二十一歳のときにも、
オスカー・ワイルドが投獄され、衝撃を与えている。
生前、公言は避けてきたモームだったが、
実はジェラルド・ハクストンというアメリカ人のハンサム・ボーイと、
繰り返し長旅に出ている。
社交家のハクストンは、
内気だったモームと、旅先で出会った人々の橋渡しをしたり、
真っ先に原稿を読んでアドバイスしたりと、
晩年までパートナーとして寄り添いつづけた。
いまや、同性愛への認識は、
世界中で大きく変わりつつあるが、
その裏側には、知られざる物語がある。
野村隆文 20年1月25日放送
サマセット・モームの秘密
イギリス人作家、サマセット・モーム。
波乱万丈の人生を送り、
「人生に意味はない」と語った作家は、
91歳で没する、その晩年まで筆をとりつづけた。
彼の代表作は、「月と六ペンス」。
月は、幻想的な美。
六ペンスは、安っぽい日常のことを表しているという。
天才と凡人。善人と悪人を、公平に描きあげる。
そして、一人の人間のなかにも、矛盾があることを暴く。
矛盾した人間に呆れ、
先の読めない人生に諦めを覚えながら、
それでもそれをそのまま書き上げることで、
彼は人間を信じようとしたのかもしれない。
今日は、サマセット・モームの誕生日。
澁江俊一 20年1月19日放送
アマチュアの星たち
1908年の今日は、
日本天文学会が設立された日。
アマチュア天文家と
呼ばれる人たちが世界中にいる。
特にアマチュアのレベルが
とても高い国が日本だ。
太陽の黒点の観測、
数々の彗星の発見、
超新星の発見などが日本の
アマチュア天文家たちによって
いくつもなされている。
まだ10代で貴重な発見をした人もいれば
本業がありながらその合間に
夜空を見つめ続けた人もいる。
日本、そして世界中に
星の数ほどいるアマチュア天文家たち。
技術や予算は専門家には遠く及ばなくても
彼らの愛は、これからも天文学に
新たな感動を与えてくれることだろう。
澁江俊一 20年1月19日放送
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短歌と天文学
1908年の今日は、
日本天文学会が設立された日。
偉大な歌人であり「小倉百人一首」の選者として
知られる藤原定家が、天文学の世界でも
大きな業績を残していることをご存知だろうか?
定家の56年にも及ぶ日記は
後に明月記と呼ばれ、国宝にもなるのだが
ここに数々の天文学的な記録が残されている。
超新星や彗星のほか、
なんとオーロラの観測も記されているのだ。
定家が暮らした西暦1200年頃は、
太陽が活発に活動し、京都でも頻繁に
オーロラが見られた。
当時は見慣れぬ天体現象は
不吉の前兆と考えられており、
人々の大きな関心事だった。
自然を観察して時を超える歌にする。
日本古来の芸術を極めた定家だからこそ、
星空への関心も誰より
強かったのではないだろうか?