名雪祐平 13年7月28日放送
手紙 南極観測隊員の妻
寒い南極の、さらに冬。
1957年、日本初の南極観測隊が
南の果てに着く。
命がけで冬を越すまで
日本には帰れない。
モールス信号で
日本から届く電報が楽しみだった。
ある隊員に、妻から年賀電報が届いた。
そこにはたった三文字。こうあった。
アナタ
愛情や淋しさや、
すべての感情があふれているような
胸つまる三文字。
夫だけでなく、
隊員たち全員で感動した。
ところが。
この「アナタ」は
そんな甘いラブレターではなかった。
夫の酒の飲み過ぎを注意するものだった。
注意にもかかわらず
後日、夫の酒のトラブルを伝え聞いた妻は
また電報を送ったらしい。
こんどは四文字で。
プンプン
名雪祐平 13年7月28日放送
手紙 柳原白蓮
大正時代、
不倫を罰する姦通罪があった頃。
結婚している男女の恋は
命がけであった。
富豪の妻で歌人。
他人がうらやむような身分だった
柳原白蓮は年下の大学生に
こんな手紙を送る。
覚悟していらっしゃいまし。
こんな怖ろしい女、
もう、いや、いやですか。
いやならいやと早く仰い。
大正の三大美人といわれた
35歳の人妻は
不倫相手の子を宿し、
蒸発した。
名雪祐平 13年7月28日放送
手紙 トーマス・ヒューズ
85年前に出された手紙が
届いた。
こんな内容。
愛する妻へ
船の上でこの手紙を書いて、
海に投げ込んでみる。
君に届くだろうか。
手紙を書いたイギリス人兵士
トーマス・ヒューズは
手紙を清涼飲料水の瓶に入れ、
英仏海峡に流した。
そのわずか12日後、
彼は戦死した。
その65年後、
彼の妻は手紙の存在を知ることなく
亡くなった。
さらに20年後、
テムズ河で発見された手紙は、
ニュージーランドにいた娘のもとに届いた。
名雪祐平 13年7月28日放送
手紙 谷崎潤一郎
まだ新婚だったくせに、
作家谷崎潤一郎は
人妻に惚れてしまった。
大阪で1,2を争う大商店の人妻は
根津松子。
松子に送った恋分の中で
谷崎はこんな言葉をつづった。
たとえ離れておりましても
あなた様の事を思っておりましたら
それで私には無限の創作力が湧いて参ります。
しかし誤解遊ばしては困ります。
私に取りましては
芸術のためのあなた様ではなく、
あなた様ための芸術でございます。
そして新妻を捨て、
松子のもとにかけつける。
すぐ二人は深い仲になった。
松子は名作『細雪』の幸子のモデルとなる。
阿部広太郎 13年7月27日放送
眠りの話 五代目古今亭志ん生と酒
20世紀の落語界を代表する
名人と称される五代目古今亭志ん生。
無類の酒好きとしても有名だった。
関東大震災発生時には、
「酒が地面にこぼれるといけない!」と言って、
真っ先に酒を買いに走ったくらいである。
酒に酔って高座に上がったこともある。
真っ赤な顔に、怪しい呂律、挙げ句の果てには、
うつらうつらと居眠りすることも。
当然、噺は支離滅裂。だが、
その見たこともない姿が笑いを誘い、
当日客の拍手をいちばん浴びたのは志ん生だったという。
それは酒の力さえも芸に変えてしまう、
五代目志ん生の名人芸だったのかもしれない。
阿部広太郎 13年7月27日放送
眠りの話 加山雄三の居眠り
「加山、眠いのか」
『椿三十郎』の撮影中、自分のセリフがないシーンで
堂々と居眠りする加山雄三を見て、監督の黒澤明は問いかけた。
つかつかと加山に歩み寄る黒澤。一気に凍りつく撮影現場。
加山は、ぶん殴られることを覚悟した。
しかし、飛んできたのは拳ではなく、誰もが驚いたこんな言葉だった。
「じゃあ加山のために休憩!」
25歳の若手俳優1人ために、撮影は3時間もストップ。
黒澤は、とにかく加山に甘かったという。
「加山、お前は白紙でいい」
のちに日本の若大将として愛される加山の素直さを、
大切にしたかったのかもしれない。
村山覚 13年7月27日放送
眠りの話 ダリの見た夢
シュールレアリスムの画家として知られる
サルバドール・ダリは、
うたた寝の仕方も一風変わっていた。
それは、指の間にスプーンを持ち、
真下に金属の皿を置いて寝るという方法。
眠りに落ちたダリの指からするりと落ちるスプーン。
高らかに響く金属音が、ダリを現実に呼び戻す。
うたた寝で見た夢の世界を
キャンバスに描きうつしたこともあったのだろうか。
奇人変人的なエピソードを数多く残しているダリだが、
緻密な計算に基づいた、したたかな男だったのかもしれない。
ダリはこんな言葉をのこしている。
「天才になるには、天才のふりをすればいい。」
村山覚 13年7月27日放送
眠りの話 昼寝るチャーチル
イギリスの政治家、ウィンストン・チャーチル。
彼は当時としては珍しく、90歳まで生きた。
ある軍人が
「私は酒を飲まないし、葉巻も吸わない。よく眠る。
これが100%健康でいられる理由だ」
と言ったのに対し、チャーチルはこう返した。
「私はよく飲むし、次々に葉巻をふかす。 少ししか寝ない。
これが200%健康でいられる理由だ」
「少ししか寝ない」とうそぶいたチャーチルだが、実は毎日昼寝をしていた。
戦争中の司令室のすぐ横にはベッドルームがあったし、
国会議事堂の中にも昼寝用ベッドがあったそうだ。
チャーチルは昼寝でリフレッシュし、そのぶん深夜遅くまで働いた。
ノンフィクションの作家としてノーベル文学賞も受賞している
チャーチルらしい言葉を紹介しよう。
「私には元気づけてくれる夢など必要なかった。
事実は、夢にまさるのである」
藤本宗将 13年7月27日放送
ROSS HONG KONG
眠りの話 阿佐田哲也の病
「麻雀放浪記」の作者・阿佐田哲也のペンネームは、
麻雀で徹夜を繰り返していた頃に
「朝だ!徹夜だ!」と言ったことに由来する。
けれど、あるときから徹夜ができなくなった。
ナルコレプシーという病気で苦しむようになったからだ。
突然強い眠気に襲われ、何をしていても眠ってしまう。
麻雀の途中でも一巡するごとに眠り、
また起こされては寝ぼけたまま牌を切る。
友人だった井上陽水によれば、
横にあったすし桶のトロをつまんで切ったこともあったという。
つかめない人だよね、と陽水は笑う。
病の苦しみを感じさせないポーカーフェイス。
彼は天性のギャンブラーだった。
藤本宗将 13年7月27日放送
眠りの話 左甚五郎の猫
日光東照宮の東回廊。奥宮(おくみや)の入り口に、
「眠り猫」と呼ばれる有名な彫刻がある。
一説によれば、日の光を浴びて眠る猫の姿で
「日光」を表現しているともいう。
しかし作者とされる名匠・左甚五郎には
実在したという証拠がない。
それは夢だったのか。
ただ、素晴らしい作品だけが現実に残されている。