佐藤理人 13年7月20日放送
アポロ②「ブラウンとヒムラー」
1944年のある日、
ナチスの幹部ハインリヒ・ヒムラーが
ドイツロケット開発の第一人者、
ウェルナー・フォン・ブラウンを呼び出した。
ナチスの下で
新兵器を開発しないかと言うのだ。
宇宙に行けるなら
悪魔に魂を売ってもいい。
そう思っていたウェルナーだったが、
そこにいるのは
悪魔より恐ろしい人間だった。
丁重に断った数日後、
彼はゲシュタポに逮捕される。
危うく処刑寸前になったウェルナーに、
選択肢は残されていなかった。
ロケットは
月ではなくイギリスを目指し、
大勢の命を奪った。
それから25年後。
彼はそのロケットに改良を重ね、
再び宇宙を目指す。
さすがの悪魔も
月までは奪えなかった。
佐藤理人 13年7月20日放送
アポロ③「ブラウンとアメリカ」
ナチスの敗北を予見するのに
ロケット工学の知識は必要なかった。
ドイツのロケット開発チームの責任者、
ウェルナー・フォン・ブラウンの
関心事はただ一つ。
つくべきはアメリカか、それともソ連か。
宇宙に行く夢を叶えてくれるのは
どちらの戦勝国か、彼は冷静に計算した。
基地を死守せよという命令に逆らい、
大量の機材、設計図、技術者たちを
彼は秘かに脱出させる。
ラジオがヒトラーの死を報じた二日後、
アメリカは世界最高のロケット技術と
その頭脳を確保した。
戦後、
宇宙旅行の亡者
と揶揄されながらも
ロケットを開発し続けたブラウン。
彼の祖国はもはや、
ドイツではなく宇宙だった。
佐藤理人 13年7月20日放送
アポロ④「アポロ1号」
1967年はアメリカの試練の年だった。
人種間の対立は深まり、
ベトナム戦争は泥沼化。
政府の責任を追求する声は
日増しに強まった。
ジョンソン大統領にとって
「アポロ計画」は
有権者の心を取り戻す絶好の切り札。
そのためには選挙期間中に月に着陸し、
無事帰還してもらわねばならない。
彼はNASAに計画の前倒しを求めた。
圧力に負けたNASAは
よりによって最も大切な
無人テスト
を省略してしまう。
グリソム、ホワイトという2人の大ベテランと、
史上最年少の宇宙飛行士チャフィーを乗せた
「アポロ1号」は、むきだしのコードから出た
ほんの小さな火花が元で火だるまになった。
ヘルメットのホースから
大量の炎が3人の肺に入り込み、
その命を燃やしつくすまで
わずか8秒半しかかからなかった。
手を伸ばせば届きそうな月。
しかし地球との間にある見えない壁は、
どこまでも高く、険しかった。
佐藤理人 13年7月20日放送
アポロ⑤「アポロ8号」
ロケットを打ち上げるたび
新たな不安が生まれる。
そんな日々が何ヶ月も続いた。
1968年のクリスマス、
ついに事態は急変する。
アポロ8号が月の周回に成功したのだ。
乗組員のボーマン、
ラヴェル、アンダーズの3人は
世界で初めて月の裏側を見た人間になった。
彼らは月から地球が昇る
アース・ライズ
と呼ばれる写真を撮影した後、
地球に帰還するため
月の裏側でエンジン噴射を行った。
失敗すれば2度と地球には戻れない。
電波が遮られるため、
月の裏側では交信は中断される。
100秒間の沈黙の後、
無事噴射に成功したラヴェルが
嬉しそうに言った。
みんなに伝えてくれ。
月にはサンタクロースがいる。
佐藤理人 13年7月20日放送
アポロ⑥「アポロ11号」
ワシは舞い降りた。
1969年の今日、
宇宙船「イーグル号」に乗った
2人のアメリカ人が月に降り立った。
ニール・アームストロングとバズ・オルドリン。
38万キロの距離と重力の壁を、
信念と科学と勇気で飛び越えた
人類初の快挙であった。
アームストロングは言った。
これは一人の人間にとっては
小さな一歩だが、
人類にとっては大いなる飛躍である。
元々「アポロ計画」はアメリカがソ連を抜いて
宇宙開発レースのトップに立つために始まった。
しかしアームストロングは
「人類にとって」と言った。
彼らが背負っていたのは
もはやアメリカの威信だけではなかった。
月の砂を最初に踏みしめた彼の左足。
それは宇宙に一生を捧げた科学者の夢と、
事故で散った飛行士たちの無念と、
名もなき無数の人々の願いを乗せた
大きな大きな一歩。
勝ったのはアメリカでもソ連でもない。
絶対にあきらめなかった人類の、
執念の勝利だった。
佐藤理人 13年7月20日放送
アポロ⑦「報告」
自らの公約通り、60年代のうちに
人類を月に送り届けたケネディ。
しかし月面に立つ宇宙飛行士たちの勇姿を、
彼がその目で見ることはなかった。
公約から2年後の冬、
ダラスで凶弾に倒れたのだ。
地球に帰還した後、
アポロ11号の3人の英雄たちは
ワシントンのアーリントン墓地を訪れた。
そしてケネディの墓の傍らに
静かにこんなメッセージをおいた。
大統領、ただいま帰って参りました。
薄 景子 13年7月14日放送
海のはなし アインシュタイン
さっきまで罵倒しあっていた相手と
今、お茶しながら笑いころげている。
人間ほど説明のつかない生き物はいない。
世紀の物理学者、アインシュタインは言う。
人は海のようなものである。
あるときは穏やかで友好的。
あるときはしけて、悪意に満ちている。
ここで知っておかなければならないのは、
人間もほとんどが水で構成されているということです。
なるほど。科学の天才は、
人間を解き明かす天才でもある
薄 景子 13年7月14日放送
海のはなし 三好達治
言葉にならない気持ちを
かかえきれなくなったとき、
人が海に行きたくなるのはなぜだろう。
ただただ寄せては返す波のリズムは、
なぐさめの言葉なんかよりずっと大らかに、
心のくさくさを洗い流してくれる。
昭和の詩人、三好達治は言う。
海よ、僕らの使う文字では、お前の中に母がいる。
そして、母よ、フランス人の言葉ではあなたの中に海がある。
地球上に最初に生物が生まれたのは海。
そうか、海は人のふるさとなんだ。
石橋涼子 13年7月14日放送
dw_globalideas
海のはなし ミクロネシアの言葉
ミクロネシア連邦をご存知だろうか。
ギリシャ語で「小さな島々」を意味するこの国は、
文字通り、赤道沿いに浮かぶ607の小さな島で構成される。
ミクロネシアは約500年前に
欧米によって発見された。
もちろん、発見だなんて、よそ者の勝手な言い分で
それ以前から島の人々は平和に暮らしていたのだ。
以来、自然豊かなミクロネシアの島々は
多くの植民地戦争に巻き込まれ
歴史という名の嵐に翻弄され続けた。
ようやく独立を果たしたのは1986年。
ミクロネシアの人々が、
ミクロネシアの過去と未来のためにつくった
憲法の前文にはこう書かれている。
戦争を知ったが故に、我々は平和を望む
分割させられたが故に、我々は統一を望む
支配されたが故に、我々は自由を求める
そして、その中の一文、
海はわれわれを分かつのではなく一つにしてくれる。
彼らの切なる言葉は、なぜだろう、詩のように美しい。
石橋涼子 13年7月14日放送
John-Morgan
海のはなし あるカヌー乗りの言葉
ハワイの海で伝統的なアウトリガーカヌーには、
神様がすわるシートが用意されている。
人々ははるか昔から
海の恵みも、試練も、神様とともに分かち合った。
ある年配のカヌー乗りはこう語る。
カヌーに一緒に乗れば、たとえ初めて会った人間でも
その日から仲間であり家族になるんだ。
ということは、神様も家族。
苦楽を共にする存在は、それくらい近しい方がいい。
南国は、海も神様も人の心も、広々としている。