熊埜御堂由香 13年7月14日放送



海のはなし べサニ―ハミルトン

べサニ―ハミルトン。
ハワイに生まれた彼女は、
5歳から海にかよう小さなサーファーだった。

スポンサーもつき、活躍をはじめた13歳のある日、
彼女の人生はがらりと変わる。

早朝、波を待っていると、
左手に強く引っ張られるような衝撃を感じた。
その瞬間、自分の周りの海が赤く染まった。
左手をサメにボードごと食いちぎられたのだ。

体内の半分もの血を失った彼女は、
病室で、父親にこう言った。
「わたし、世界一のサーフィン写真家になりたいな。」
左手を肩からまるまる失い、
もうサーフィンはできないと思ったからだ。

けれど次の日には気が変わっていた。
べサニ―は、「明るさ」という強い武器をもっていたのだ。
4週間後にはもう海にいた。

現在23歳のべサニ―は世界的な
女性サーファーとして活躍している。
彼女は言う。

 人生はサーフィンみたいなものよ。
 波に飲み込まれたら また次の波に乗ればいい。

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薄 景子 13年7月14日放送


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海のはなし 寺山修司

つらいことに直面し、とめどなく流れる涙。
感動で心が揺さぶられ、うるうるあふれだす涙。

理由は何であれ、思いっきり泣いた後は、
すっきり生まれ変わった気持ちになれる。

泣くことには、心と体を浄化する
不思議な力があるらしい。

寺山修司は、詩の中でこう語る。

 なみだは
 にんげんのつくることのできる
 いちばん小さな
 海です

私たちは一生で
どれだけ大きな海がつくれるだろう。

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茂木彩海 13年7月14日放送



海のはなし 海の住人

海は、人の住めない別世界。
そこには別の哲学があり、別の暮らしがある。

ダイオウイカを世界で初めてカメラに収めた
撮影班のディレクター、小山靖弘はその瞬間をこう振り返る。

 向こうもこっちを、見ていたのではないかな。
 人間というものを見ている、そんな気がしました。

この夏、海に入る時には、おじゃましますの挨拶を。

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茂木彩海 13年7月14日放送



海のはなし ドビュッシーの海

音楽家、坂本龍一が
「人生でもっとも影響を受けた音楽家」と語るドビュッシー。

彼が生み出す曲は、長調と短調が入り交じる不思議な旋律で
その瞬間、その場で感じた印象をそのまま残す
印象派の音楽だと言われている。

30代のころ書き上げた最高傑作。
交響詩、「海」。
目を閉じれば穏やかに、時に激しく荒れる海が浮かぶ。

彼は言う。

 音楽の本質は形式にあるのではなく色とリズムを持った時間なのだ

そうか。海が訳もなく心地良いのは、
波がつくる音楽の時間が流れているからなんだ。

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蛭田瑞穂 13年7月13日放送



ワールドカップ第1回大会①

FIFAワールドカップの初代優勝カップは
「ジュール・リメ・トロフィー」と呼ばれる。

ワールドカップ開催に尽力したFIFA第3代会長
ジュール・リメの功績を讃えてそう名づけられた。

ジュール・リメの懸命の説得にもかかわらず、
1930年の第1回ウルグアイ大会に出場したのは
南米を中心としたわずか13カ国だった。

それから80年後、ワールドカップ参加国は
予選も含め200を超え、
テレビ観戦者数はオリンピックをも凌ぐ、
世界最大のスポーツイベントへと成長した。

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蛭田瑞穂 13年7月13日放送



ワールドカップ第1回大会②

1930年にウルグアイで開催された
第1回FIFAワールドカップ。
大会を制したのは地元のウルグアイ代表だった。

キャプテンを務めたのは、
当時世界最高のプレイヤー、ホセ・ナサシ。
チームは司令塔ナサシの叫び声に合わせて
ボールを前線へと運び、
相手チームのゴールネットを次々揺らした。

ホセ・ナサシは言う。

 ピッチというのは、
 漏斗(じょうご)のようなものだ。
 先に向かってボールを運べば、
 自然とペナルティエリアがあらわれるのさ。

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蛭田瑞穂 13年7月13日放送



ワールドカップ第1回大会③

1930年に開催された
第1回FIFAワールドカップウルグアイ大会。
7月13日におこなわれた
開幕第1戦のフランス対メキシコ戦。

前半19分にフランスのリュシアン・ローランが
ゴールを決めた。これがワールドカップ史上初の
ゴールである。

それから68年後の1998年。
フランスで開催されたワールドカップで
地元のフランス代表は参加10回目にして
悲願の初優勝を遂げた。

90歳になったリュシアン・ローランは、
その「初」の瞬間もしっかりと見届けていた。

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蛭田瑞穂 13年7月13日放送



ワールドカップ第1回大会④

1924年のパリ・オリンピックで、
ヨーロッパの人々は初めてウルグアイ代表チームの
サッカーを目の当たりにした。

リズムとスピードにあふれるウルグアイの
サッカーは、ロングボールを放り込む
ヨーロッパの単調なサッカーを翻弄した。

フランスの作家アンリ・ド・モンテルランは
その驚きをこう記している。

 これこそ真実のサッカーだ。
 これにくらべたら僕らのサッカーは
 学校のひまつぶしでしかない。

その6年後に第1回目のワールドカップが
南米の小国ウルグアイで開催されることになるが、
サッカーのレベルを考えれば、
それも当然のことであった。

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蛭田瑞穂 13年7月13日放送



ワールドカップ第1回大会⑤

1930年に開かれた第1回FIFAワールドカップ
ウルグアイ大会。ウルグアイ代表の
ハーフバック、ホセ・アンドラーデは
主力選手として自国の優勝に貢献した。

準決勝のユーゴスラビア戦では
頭によるリフティングでボールを運び、
その間に相手選手を5人かわして
50メートル以上も進むという離れ業も披露した。

ワールドカップでの「5人抜き」といえば
ディエゴ・マラドーナが有名だが、
マラドーナの50年も前に、
ホセ・アンドラーデという男がいた。

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蛭田瑞穂 13年7月13日放送



ワールドカップ第1回大会⑥

第1回FIFAワールドカップの得点王は
アルゼンチン代表のギジェルモ・スタービレ
という選手である。

デビュー戦でいきなりハットトリックを記録し、
出場した4試合すべてで得点、通算8ゴールを挙げた。

ゴールへの鋭い嗅覚と独特のポジショニングを
持つことから、スタービレは
「エル・フィルトラドール=侵入者」と呼ばれた。

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