澁江俊一 20年1月19日放送
Momotarou2012
日本初の暦
1908年の今日は、
日本天文学会が設立された日。
日本で初めて使われた
日本人の手による暦は1684年の
貞享暦(じょうきょうれき)。
手がけたのは
江戸時代前期を生きた渋川春海(しゅんかい)。
32歳の時から天体を日夜観測。
その結果をもとに朝廷へ改暦を願い出た。
ところが春海が算出した日食予報が失敗。
その申請は却下されてしまう。
失敗の原因を研究するうち、
暦の参考にしていた中国と日本には
時差があると気づいた春海。
自らの観測データをもとに
日本向けに改良して貞享暦を完成させた。
コペルニクスの地動説が
まだ伝わっていなかった日本で
人々の想像を遥かに超える偉業である。
暦の改定は当時の日本にとって
なんと800年ぶり。
西鶴や近松が物語に取り入れるほど
江戸中の話題をさらったという。
澁江俊一 20年1月19日放送
地動説のパイオニア
1908年の今日は、
日本天文学会が設立された日。
コペルニクスより1800年も前に
地球は自転していて、太陽が中心にあり、
5つの惑星がそのまわりを公転するという、
いわゆる地動説を唱えた人物が、実はいた。
アリスタルコスという
古代ギリシャの天文学者だ。
観測技術などまったくない時代に
宇宙の真実に気づいた人類の奇跡だ。
しかしその後長きにわたり
地球が宇宙の中心という天動説が主流となり
真実に気づいた者を迫害し続けた。
人間はとかく真実を見誤る生き物なのだ。
宇宙の謎を考える歴史は、
人間の謎を考える歴史と限りなく近い。
田中真輝 20年1月19日放送
jamin96
流星群の仕組み
1908年の今日は、
日本天文学会が設立された日。
わたしたちに身近な天体ショーのひとつ、流星群。
獅子座流星群やオリオン座流星群、など
星座の名前で名付けられているが、
流星がそれらの星座から飛んでくるわけではない
ことをご存じだろうか。
流星となって流れ落ちるのは、実は彗星がまき散らした
細かい塵。彗星が通った軌跡と地球の公転軌道が重なるとき、
そこに残された細かい塵が、地球に落ちてくる。
それが流星群なのだ。
流星群が起きるとき、流星が流れる中心点、
つまり放射点の背景となる星座の名前で、
それぞれ、名付けられているのである。
田中真輝 20年1月19日放送
by simonwakefield
好奇心と古代遺跡
1908年の今日は、
日本天文学会が設立された日。
イギリス、ソールズベリー平原に円形に並び立つ巨石の列。
ストーンヘンジという名で知られる古代遺跡だ。
最新の研究では紀元前3000年頃作られたことがわかっている。
その頃、日本は縄文時代。
一説には、天文観測所として作られたのではないか、と言われている。
巨石の配置と太陽の位置によって、夏至や冬至ばかりか、
日蝕まで正確に予測できるというのだ。
マヤ文明やアステカ文明など、古代文明の遺跡には、
同じように高度な天文観測所であったと言われているものが少なくない。
農耕を営むために、季節のサイクルを知ることが
重要だったから、というのがその理由だが、
ただひたすらに、頭上を巡る星々の神秘に触れたいという、
人間らしい好奇心が人々を動かしたのでは、という
気がしてならない。
田中真輝 20年1月19日放送
惑わぬ星
1908年の今日は、
日本天文学会が設立された日。
すい、きん、ち、か、もく、どってん、かい、めい。
そのように太陽系の惑星を覚えた人も多いのではないだろうか。
しかし現在、その最後に位置する「冥王星」は惑星ではない、
とされている。
太陽系の果て、冥王星が位置するあたりに、同じようなサイズの
天体が多数見つかり、惑星の定義のひとつ、
「軌道の近くに衛星以外の星がない」という項目にあてはまらなく
なったためだ。
惑星、と言ったのも人間、やっぱり違った、と言うのも人間。
当の冥王星は、悠久の時間の中、ただ巡る。人の手の届かぬ天空の果てを。
田中真輝 20年1月19日放送
NASA
検証不可能な宇宙
1908年の今日は、
日本天文学会が設立された日。
最新の理論物理学では、宇宙は1つではなく、
複数存在するという「マルチバース理論」なるものが
提唱されている。それが意味するのは、宇宙の全体像は
観測によって検証することができない、という事実。
果たして、理論は正しくとも、検証ができないものを
実在すると言えるのか。
理解が進むほど、わからないことが増えていく。
宇宙はまだまだ限りなく遠く、広い。
福宿桃香 20年1月18日放送
Rahul Narain
占いのはなし おみくじ
1月といえば初詣。初詣といえばおみくじ。
この年明けに、今年の運試しをした人も
多いのではないだろうか。
おみくじの原型が誕生したのは1100年ほど前。
「元三大師百籤」と呼ばれるそれは
100本の棒の中から1本を引き、
同じ番号の漢詩で吉凶を占うというもので、
現在も多くの寺院でこの方法が受け継がれている。
和歌山の熊野那智大社もその一つだが、
特筆すべきはその大きさ。
なんとおみくじ筒が133cmもあり、
参拝客は体全体を振ったり、ジャンプをして棒を取り出す。
ビッグなおみくじの大吉は、特別いいことがありそうだ。
福宿桃香 20年1月18日放送
占いのはなし タロット占い
78枚のカードで運勢を占うタロット占い。
占いの中でも格式高いイメージがあるが、
元々はギャンブル用のカードゲームとして
誕生したものだった。
最古のものは
15世紀半ばにイタリアで制作されたカードデッキ。
当初は貴族のために画家が1枚1枚手書きしていたが
木版画の量産品が出回るようになると、
ヨーロッパ全土へ広がっていった。
人々がタロットの絵柄に意味を持たせ、
未来を知る手がかりとして扱い始めたのは1780年代―
そう、フランス革命の真っ只中だ。
占いはいつだって、不安と表裏一体なのだ。
福宿桃香 20年1月18日放送
占いのはなし 星座占い
もっとも身近な占いのひとつ、星座占い。
そのルーツは紀元前2000年から続く占星術にある。
古代バビロニアでは、
星が神様からのメッセージだと信じられていた。
人々は惑星の配置や動きとともに
その時々の自然現象を粘土板に記録。
それを繰り返すことで、
天体は、決まった出来事の予兆として
占いへと取り入れられていったのである。
紀元前3世紀ごろの粘土板には、次のような記録がある。
「木星が現れる時はお金持ちになり、長生きできる」
驚くことに、現在でも占星術の世界で
木星は成功を司る星とされている。
2020年の一年間は、山羊座のそばに木星がいるそうだ。
福宿桃香 20年1月18日放送
占いのはなし 手相占い
古代インド発祥の手相占い。
その歴史は古く、日本には、
平安時代に中国を介して仏教とともに伝わった。
現在でも手相を信じる人は多く
手相を変える整形手術が存在するほどだが、
実は今から500年ほど前にも、手相を自ら変えた人物がいた。
その人物とは、天下統一を掴みとった男―
そう、豊臣秀吉である。
彼が変えたのは、手のひらの中心に縦に伸びる運命線。
秀吉の運命線は、
なんと中指の第一関節近くまでまっすぐに伸びていた。
手相学を信じていた彼は、
あるとき運命線を刀で彫って伸ばしたのだ。
文字通り、運命を自ら切り開いたわけである。
ちなみに秀吉の手相は、
静岡の久能山東照宮で見ることができる。
様々な勝負が待ち受ける2020年、
唯一無二のその手相に、パワーをもらうのも悪くない。