佐藤延夫 13年7月6日放送


Weird Beard
俵万智さんの記念日2

歌人、俵万智さんは、
神奈川県にある高校の先生だった。

「サラダ記念日」を出版してからの2年は、
歌人と教師、二足のわらじで
24時間営業の店のようにがんばってきたそうだ。

どちらも心のゆとりが必要な仕事。
お昼どきの喫茶店のように、閉館後の美術館のように、
緊張とくつろぎ、両方の時間が必要だと気がついた。
そんな彼女の心を表すような歌をみつけた。

 蛇行する川には蛇行の理由あり急げばいいってもんじゃないよと

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佐藤延夫 13年7月6日放送


Nam2@7676
俵万智さんの記念日3

学生時代、成績優秀だった俵万智さん。
しかし、高校2年のとき成績が、がくんと下がった。
その理由は、失恋。

本人の言葉を借りれば、
「悲しいときはじっくり悲しむ。寂しいときはじっくり寂しむ」
毎日悲しみに暮れて、日記ばかり書いていたそうだ。

そして、ふと自分の置かれた状況に気付く。
恋は、私と彼の間にあるのではなく、私一人の中にあるのだ。
そんな恋の結末は、もちろん歌になっている。

 恋という自己完結のものがたり君を小さな悪党にして

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佐藤延夫 13年7月6日放送


yurayura_naoko
俵万智さんの記念日4

歌人、俵万智さんは
学生時代、実家によく葉書を出したそうだ。

「お父さん、お母さん、太一くん、元気ですか?」

お決まりの書き出しで始まる葉書は、
3日に2枚のペースで投函された。
その内容は、ご本人曰く
とても他愛ないもので、
学校のこと、クラブ活動のこと、アルバイトのことなど
日常のありとあらゆるものを、思いつくままに書き連ねた。

授業の始まる前。喫茶店で誰かを待つ間。
まるで家族とおしゃべりをするかのように、
暇さえあればペンを走らせた。

何百枚と送った葉書は、
お母さんが大切に、箱に入れて保存していた。
そして久しぶりに見返した一枚から、この歌が生まれたという。

 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

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佐藤延夫 13年7月6日放送


Weird Beard
俵万智さんの記念日5

宮城県仙台市で暮らしていた歌人、俵万智さんは、
東日本大震災をきっかけに、この土地を離れた。

幼い一人息子の手を引き、石垣島へ。

一番大切なもののために、
ほかのあらゆるものを、かなぐり捨てる。
そこには並々ならぬ決意が必要だった。
多くの批判にもさらされた。

 子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え

生き方が正直な人でないと、この歌は書けない。

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佐藤延夫 13年7月6日放送



俵万智さんの記念日6

歌人、俵万智さんの「サラダ記念日」が
出版されたのは、1987年のこと。

五・七・五・七・七
学生時代から書き溜めてきたという
愛のかたちや心の模様が、31文字の中で踊った。

あれから26年。
俵万智さんは、140文字のつぶやきも
毎日のように更新している。

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佐藤延夫 13年7月6日放送


shok
俵万智さんの記念日7

歌人、俵万智さんが、お母さんから教わったこと。

たとえば、料理。
もやしのひげ根は必ずとる。
カレーライスのタマネギは、甘みが出るまでゆっくり炒める。
お茶は最後のしずくがエッセンス。
見えないところの手間が大切。

台所に立つ母と娘は、いろんな話をした。
他愛のないうわさ、お父さんの愚痴、ちょっとした相談事。
湯気の立つお鍋の前だと、不思議に会話が弾んだそうだ。

みんなが忙しい毎日を送り、
コミュニケーションが不発に終わりがち。
そんな状況に手を差し伸べてくれるのが手料理であり、
家族みんなで囲む食卓なのかもしれない。

それもお母さんから教わったこと。

 肉じゃがの匂い満ちればこの部屋に誰かの帰りを待ちいるごとし

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薄景子 13年6月30日放送


Weird Beard
プレゼントのはなし 最初のプレゼント

子どもが何気なく言った言葉に
思わず頬がゆるんでしまう。
そんな言葉を集めた新聞の投稿欄に
素敵なエピソードが寄せられた。

「あなたが最初にもらったプレゼントは?」
 というコマーシャルを見て、
「僕が最初にもらったプレゼントは、僕が生まれたこと!」

信じられないほど純粋な子どもの言葉は、
むかし子どもだったことを忘れかけた
大人たちへのプレゼント。

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茂木彩海 13年6月30日放送


Thomas Gehrke
プレゼントのはなし 受け継がれるプレゼント

知らぬ間に両親から受け継いでいた。
その事に気づくのは
意図せず自分に父の癖が出てきたり、
電話の声を母と間違えられたりした瞬間だろう。

作家の吉本ばななは、父で詩人の吉本隆明から
「上手に自分を律する方法」を受け継がせてもらったのだと言う。

作家の生活は自分次第。いつ気を抜くか、追い込むか、
新人のころは勝手がわからず、そのままつぶれてしまう作家も多い。

しかしばななは迷わなかった。

父が夕方になるとフラっと外出していたように、
自然と夕方くらいに落ち着かなくなり、買い物がてら散歩に出かける。
これでバランスを取っているのだ。

そんな素敵なクセを娘にくれた隆明が昨年亡くなった。
その寸前、ばななは言った。

「私はお父さんの娘でいて、
 いやなことが一個も、ほんとうに一個もなかった。
 それはほんとうに幸せなことだったと思います」

親から受け継いだプレゼントを自分のものとして生きていく。
それを、幸せな生き方と呼ぶのかもしれない。

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熊埜御堂由香 13年6月30日放送


through a pin-hole
プレゼントのはなし カード

童話『クマのプ―さん』の中で、
プ―さんが、博識のフクロウに誕生日カードの
代筆を頼む場面がある。
フクロウの呪文のような言葉を、
訳者の石井桃子さんはこんな詩にした。

 おたじゃうひ たじゅやひ おたんうよひ おやわい およわい

白紙のカードに何を書こう?
あなたも、迷ったら
この詩を書きつけてみてはどうだろう。

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石橋涼子 13年6月30日放送



プレゼントのはなし グレン・ミラーとプレゼント

ジャズのビッグ・バンド黄金時代を築いたと言われる
アメリカのミュージシャン、グレン・ミラー。
20代で主催したバンドの解散と破産を経験し、
第二のバンドは、妻の実家まで担保にして資金をつくった。

グレン・ミラーは、天才的に判断がはやく、主張を曲げない。
しかも周囲があきれるくらいの完璧主義。
バンドメンバーのなかには、グレンを尊敬するものと同じくらい
嫌うものが多くいた。

しかし全員が知っていることもあった。
貧しいバンドのためにグレンがいつも奔走していること。
時には自分のお金を出していること。
そして、必ずこのバンドが成功すると信じていること。

ようやくバンドが軌道に乗り始めた1940年のクリスマスイブ。
コンサートを終えたメンバー全員からバンド・リーダーに
プレゼントがあった。

 グレンへ。楽団員より。

それだけ書かれたクリスマスカードが添えられた、ビュイックの新車。

その瞬間、
一部のメンバーに冷血漢とまで言われたバンド・リーダーが
人目もはばからずに涙を流したのだった。

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