大友美有紀 13年6月2日放送



「ターシャ・テューダー」シンプルな暮らし

代表的な絵本「コーギービル」シリーズの世界について、
ターシャー・テューダーは、ひとつの理想として描かれるほど
完全な世界ではないと言う。
けれども、今はもう見ることのできないひとつの時代、
1800年代のアメリカの田舎が表現されている。
人々はシンプルな遊びを楽しみ、よく働き、
シンプルな暮らしをしている。

 貧しい人々は、娯楽的な楽しみを味わうために
 よりいっそう、自分たちの想像力や
 内に秘めた力に頼っていたんです。

今の私たちが失った世界、でも、もういちど見習いたい世界がある。

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大友美有紀 13年6月2日放送


Marty.FM
「ターシャ・テューダー」美しい考え

美は見るものの目に宿る。
自給自足で暮らした絵本作家ターシャは、
皆が美しいものに囲まれるために
庭に植物を植え、芸術作品を購入すべき、
とは言っていない。

 ただ、皆さんに、自分のまわりを美しい考えで満たし、
 そして、親しい人々に対して、
 愛と優しさのこもった行動をとることをおすすめします。

もちろん魅力のないつまらない暮らしを避ける努力はしたほうがいい。
けれど、解決方法がみつからないとしても、
考えや行動を美しくすることはできるはず。

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大友美有紀 13年6月2日放送



「ターシャ・テューダー」ターシャのように

ターシャ・テューダーのようになりたい、という人が数多くいる。
けれどもターシャの息子、セスは、実際の彼女の人生は、
困難に満ちていたと言う。

 人里離れた場所に住み、
 文明の利器や携帯電話を持たず、
 買い物のための便利な交通手段を持たず、
 1日に2回ヤギのミルクを搾り、
 家畜小屋を掃除して、
 4人のこどもを育て、芸術の世界で成功するために
 一生懸命仕事をし、お金の心配をし、
 40代で離婚するとしたら、それほど魅力的ではないでしょう。

ターシャのように生きたかったら、なぜそうしないのか。
それは、自分の生き方ではないから。
みずから選びとる暮らしこそが、その人の美しい暮らしだから。

2008年6月、ターシャ・テューダーは、病院ではなく
自分が愛した家で、ゆっくりと死を迎えることを選んだ。

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佐藤延夫 13年6月1日放送



写真の日/福沢諭吉

一万円札を見ると必ずそこにいるのは、福沢諭吉。
この肖像画は、56歳のときの写真を元に描かれた。

和服姿で一点を見つめる諭吉さんは、
真面目で、煩悩の欠片もなさそうに見える。
しかし、彼の若かりしころの写真が、
福沢諭吉という人物の真実を教えてくれる。

西洋風の机に頬杖をつき、けだるい顔でうつっているのは
オランダへ留学したときの写真。
アメリカ留学中には、
美しい少女とツーショット写真を撮っていた。

今日は、写真の日。
あなたらしい一枚を、残してください。

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佐藤延夫 13年6月1日放送



写真の日/プルースト

フランスの作家、マルセル・プルースト。
裕福な家庭に生まれた彼は、
華やかな社交界に出入りしながら
作家活動を続けていた。

美食家で、浪費家で、繊細な心の持ち主。

そんなプルーストが夢中になったのは、
当時、世の中に普及しはじめた写真だった。
いつしか熱狂的なコレクターになり、
自分の軍服姿の写真が欲しくて、志願兵として1年だけ軍隊に入ったという。

今日は、写真の日。
たまにはカメラをぶらさげて、出かけてみませんか。

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佐藤延夫 13年6月1日放送



写真の日/ニコライ二世

帝政ロシア最後の皇帝、ニコライ二世。

彼がまだ皇太子だった1891年、
日本に訪れた際、巡査に斬りつけられている。
大津事件の被害者として、
歴史の教科書でもおなじみの人物だ。

髭をたくわえ、冗談の通じなそうなニコライ二世だが、
こんなチャーミングな写真が残っていた。

パイプをくわえ、友人の背中に乗り
まるで飛行機のように両手を広げている。

今日は、写真の日。
カメラの前では、少々おどけたほうがいい。

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佐藤延夫 13年6月1日放送



写真の日/南方熊楠

博物学者、生物学者、民俗学者。
南方熊楠には、肩書きが多い。

それもそのはず、彼は、いわゆる天才で
本を読むだけで中身がすべて覚えられた。
この特殊な能力を、写真記憶というそうだ。

熊楠さん、実際の写真のほうもお好きだったようで、
たくさんの紙焼きを残していた。

アメリカ留学の前に撮影した一枚は、
ちょっと気取ってコートを羽織り、
フロリダの写真館では、紋付袴でカメラの前に立った。
日本に帰国してからも、故郷で、旅先で、
家族や仲間と、たくさんの写真を撮っていた。

写真記憶という頭の中の画像とは違い、
思い出の写真なら、いつまでもみんなの心に残り続ける。

今日は写真の日。
たまには昔のアルバムでも、めくってみませんか。

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佐藤延夫 13年6月1日放送



写真の日/田中光儀

日本人を撮影した最も古い写真は、
ペリーによって、もたらされた。

黒船に乗っていた写真家、
エレファレット・ブラウン・ジュニアがうつしたのは、
田中光儀(たなかみつよし)という男。
浦賀奉行所の与力で、ペリーとの交渉にあたっていた人物だ。

被写体となった田中さんは、緊張した様子で
浮かない顔をしているように見える。
もしかしたら、魂を抜かれるのでは、
と心配していたのかもしれない。

今日は、写真の日。
カメラの前では、なるべく、笑ってください。

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佐藤延夫 13年6月1日放送



写真の日/上野俊之丞

長崎の御用商人、上野俊之丞(うえのしゅんのじょう)は、
オランダから献上されたカメラで、一枚の写真を撮った。

モデルは、薩摩藩の第11代藩主、島津斉彬。

1841年の6月1日。この日が、
初めて日本人が銀板写真の撮影に成功した日として、
写真の日に制定された。

残念ながらその後、
日付が間違いであったことが判明した。
それでも写真の日は、6月1日のまま続いている。

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佐藤延夫 13年6月1日放送



写真の日/徳川慶喜

野心家なのか。
臆病者か。
策略家なのか。
それともただの優柔不断か。

江戸幕府、最後の将軍、徳川慶喜。
彼ほど評価の分かれる人物もなかなかお目にかかれない。

戊辰戦争で敗れ、新政府軍が実権を握ると、
慶喜公は、今の静岡県、駿府に移った。
そして彼は、趣味に生きた。
そのひとつが、写真だった。

清水の波止場、農民の姿、のんびり座る猫、鉄橋を走る列車。
舶来物の写真機を手に入れ、
自由気ままに被写体を探したという。

ただ時代が許してくれなかっただけで、
もしかしたらこれが、彼の望んでいた生き方だったのかもしれない。

今日は写真の日。
ファインダーの向こうに、何が見えますか?

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