名雪祐平 13年5月26日放送
johnm2205
チューリップバブル 狂い咲く人1
この花の球根を1個、ください。
はい。1億円になります。
1634年のオランダ。
世界初のバブル経済事件
「チューリップバブル」が起こった。
チューリップに人気が集中。
人々は競って球根を買い、すぐ高値で売り抜けた。
特に美しいセンベル・アウグストゥスという
チューリップの球根は、たった1個で
労働者の年収の20倍で取引された。
球根1個で豪邸1軒が買えた。
人々は、庭に植えたチューリップを
盗まれまいと、
毎晩見張り、眠れなくなった。
名雪祐平 13年5月26日放送
チューリップバブル 狂い咲く人2
チューリップの球根は、
小さなタマネギのよう。
イギリスの植物愛好家が
オランダの友人の家を訪ねた。
その家で愛好家は“小さなタマネギ”を発見し、
ほう、珍しい品種だ。
中身はどうなっているのだろう。
と、皮をむいてしまった。
友人は激怒した。
なぜなら、それはタマネギではなく、
金貨2000枚ぶんで取引可能な
チューリップの球根だったのだ。
1963年のチューリップバブル。
しかし、突然売れなくなった。
そこから一気に暴落が始まった。
いや、元に戻ったのだ。
球根は球根に、
タマネギ並に、なった。
名雪祐平 13年5月26日放送
元禄バブル イヌノミクス1
江戸幕府5代将軍は
お犬様、徳川綱吉。
世はデフレ。
幕府財政は赤字つづきで
江戸城の蔵の金銀は底をついていた。
金がほしい。銀がほしい。
将軍は恒例の
日光東照宮への参拝にも行けずにいた。
綱吉は、勘定吟味役という役所の
荻原重秀に財政立て直しを命じた。
重秀は金銀改鋳という
画期的な政策を行った。
徳川家康の時代に作られた金貨・銀貨を回収し、
金銀の含有量を減らして
貨幣を増やしたのだ。
増やしたぶんが幕府の収入となり、
その額は500万両、5000億円という
うなるような利益となった。
まさに、濡れ手に粟(泡)。
江戸はデフレから脱却し、
元禄バブルによる、きらびやかな元禄文化が
華ひらく。
名雪祐平 13年5月26日放送
元禄バブル イヌノミクス2
お犬大好き将軍
徳川綱吉。
幕府の重役、荻原重秀に
財政の立て直しを命じ、
市中に出回る金貨と銀貨を回収した。
2両ぶんの金銀で、なんと3両を作り、
差し引き1両を幕府の利益とした。
貨幣の信用がガタ落ちしないのか?
重秀の決意の言葉が残っている。
貨幣は国家が造る所
瓦礫を以ってこれに代えるといえども
まさに行うべし
しかし、世はデフレ経済から一転、
じゃぶじゃぶ出回った貨幣で
激しいインフレが発生したという。
これは、300年前の話。
さて。歴史は繰りかえすのだろうか。
名雪祐平 13年5月26日放送
うさぎバブル 赤目の人々1
明治6年、東京で
風変わりな法律ができた。
『兎取締ノ議』
うさぎを飼うと、
1匹につき月1円の税金が課税された。
当時1円あれば
米30kgも買えるほどの重税。
しかも年間ではなく月々の負担だった。
そんな法律ができるほど
貴族や平民にいたるまで、
日本人がうさぎに熱狂していた。
うさぎは高く売れる。
うさぎは儲かる。
人々は血眼で兎を追った。
二兎を追い、四兎得ようと。
四兎を追い、八兎得ようと。
ところが法律によって
一兎ずつ、
高い税金がかかるようになってしまった。
うさぎはよく子どもを産む。
10匹産めば、
10匹の丸儲けだったのが、
10匹の丸損になったのだ。
名雪祐平 13年5月26日放送
うさぎバブル 赤目の人々2
明治5年。
東京に空前の
うさぎバブルが発生した。
珍しい種類のうさぎは高額で売買された。
白い平凡なうさぎは毛に色をつけ、売られた。
人々は血眼だった。
田畑を売ってでも、うさぎを手に入れろ!
娘を売ってでも、うさぎだ!うさぎだ!
人なんか欺してでも・・・。
大きな社会問題になり、
つぎの年から
うさぎを飼うと重い税金がかけられるようになった。
『兎取締ノ議』
税金を払いたくない人々は
うさぎを殺して食べた。
その毛皮を服にして、ぬくぬくと寝た。
名雪祐平 13年5月26日放送
そのまんま狸
うさぎバブル 赤目の人々3
消えたうさぎ。
明治6年、行き過ぎた
うさぎの投棄ブームを冷ますために
1匹につき高い税金をかけられた。
うさぎに血眼だった人々は
一気に冷めた。
うさぎを殺して食べたり、捨てたり。
うさぎの鍋を出す屋台が多く出たりした。
ブームもおさまり、
数年後には課税も廃止された。
その途端、何が起こったか。
人々は第2次うさぎブームを
起こしたのだ。
得をしようと。
損をうめようと。
うさぎの長い耳は
人間のどんな言葉を聞いていたのだろうか。
名雪祐平 13年5月26日放送
はじけないバブルはない ドラッカーほか
球根、うさぎ、株式、土地、IT、石油・・・
人間が繰りかえしてきたバブル。
それでも人間は懲りない。
たとえ、バブル崩壊後の世界恐慌や
失われた何十年で痛い経験をしても。
この3人の忠告を
いまのうちに聞いておこう。
バブル時に、物ごとを
よく見せるのは簡単である。
そのため、怪しげなものまでトップにのぼる。
私が経験したバブルは4、5回におよぶ。
経営会社 ピーター・ドラッカー
バブルはヒステリーのうちにはじめ、
暴落はパニックで幕を閉じる。
投資家 ジム・ロジャース
バブルがいつ崩壊するか予測するのは
誰にもできない。
ただ、過去のバブルは例外なく
はじけている。
経済学者 ジョン・ケネス・ガルブレイス
蛭田瑞穂 13年5月25日放送
Naomi Ibuki
STAR WARS EPISODE 1977①
1977年5月25日、「スターウォーズ」の公開初日を
ジョージ・ルーカスは憂鬱な気分で迎えていた。
ルーカスにとって、それまでの4年間は悪夢の連続だった。
予算をめぐる攻防。脚本の変更。現場でのアクシデント。
「時代遅れのSF映画」という批評。
関係者の多くが映画は失敗に終わるだろうと予想していた。
その日のディナーは、ハリウッドの外れにある
安いハンバーガーショップ。
店へ向かう途中、ルーカスと妻は驚くべき光景を目にした。
そこには映画館を取り囲む長い行列ができていた。
蛭田瑞穂 13年5月25日放送
STAR WARS EPISODE 1977②
少年時代のジョージ・ルーカスにとって
最大のヒーローはテレビ番組のフラッシュ・ゴードンだった。
筋骨隆々の主人公フラッシュ・ゴードンが宇宙を舞台に
悪の帝王と戦う。その姿に少年は心を躍らせた。
ルーカスは語る。
僕が人生の最初に影響を受けたのは
「フラッシュ・ゴードン」だった。
ものの見方、ものの解釈の仕方を
僕はこのテレビ番組から学んだんだ。
この体験がのちにルーカスを
「スターウォーズ」の製作に駆り立てることになる。