佐藤理人 13年4月13日放送
ブリア・サヴァラン④「グルメの定義」
辞書をひいても
グルメの意味は載っていない。
18世紀フランスの美食家
ブリア・サヴァランは言った。
辞書制作者は
あの優雅で繊細な快楽をご存知ない、と。
彼の考えるグルメ、
フランス語で「グルマンティーズ」の定義。
それは、美味しい物を
情熱的・理性的に愛し続ける心。
健やかな肉体と旺盛な食欲は、
国を潤し、経済を動かし、
ときには一国の命を救うことさえある。
1815年。ナポレオン戦争で勝利を収めた
ドイツ、イギリス、ロシアなどの戦勝国は、
フランスにこぞって多額の賠償金を要求した。
一時はフランスの命運もここまでかと思われた。
しかしすっかり美食の虜になった
戦勝国の兵隊たちはパリの街で連日、
大量のワインやご馳走を平らげた。
結果、フランスは支払った以上のお金を
すっかり回収してしまった。
サヴァランは言う。
国の盛衰はその食べ方にかかっている。
美味しい物を愛する気持ち。
国でも家庭でも、
その効力にきっと違いはありません。
佐藤理人 13年4月13日放送
ブリア・サヴァラン⑤「食卓の快楽」
食卓こそは人がその初めから
決して退屈しない唯一の場所である。
18世紀フランスの美食家ブリア・サヴァランは、
著書「美味礼讃」の中でそう述べた。
食べる喜びは動物でも味わうことができる。
しかし食卓の快楽は人間だけが味わえる喜びで、
場所やゲストなど様々な要因に左右される。
中でもゲストの選択には
細心の注意を払わなければならない。
彼は言う。
会食者はいずれも
いっしょに同一の目的地に着くべき
旅人同士の心持でなければならない。
悲しい顔をした者が混じっていては
到底食卓の快楽は味わえない。
何を食べるかより
誰と食べるかの方が、
ずっと大切なんですね。
佐藤理人 13年4月13日放送
ブリア・サヴァラン⑥「肥満」
どんなものを食べているか言ってみたまえ。
君がどんな人か当ててみせよう。
これはフランスが生んだ偉大な食通、
ブリア・サヴァランの最も有名な言葉。
でもその人の好物がでんぷんと小麦粉、
砂糖を多く含んでいたら。
さらにビールに目がなかったら。
性格はともかく、体型を当てるのは難しくない。
サヴァランが活躍した18世紀、
肥満はすでに深刻な社会問題だった。
まして美食大国フランスのこと。
彼には太り過ぎに悩む知人が500人もいた。
病気になり、生きるのに支障が出るほど太っても、
その多くは食生活を変えようとしなかったという。
恐ろしきはフランスの美食か、
それとも人間の食欲か。
佐藤理人 13年4月13日放送
ブリア・サヴァラン⑦「ダイエット」
ダイエットは18世紀のフランスで
既にブームだった。
かの国が生んだ世界的食通ブリア・サヴァランは、
著書「美味礼賛」の中で
痩せるためのルールを3つ挙げる。
食べ過ぎないこと。寝過ぎないこと。
適度な運動を心がけること。
しかし食欲と睡眠欲は我慢するのが難しいし、
運動も結局続かない。
そこで彼は確実な方法を提案した。それは、
でんぷんや小麦粉でできた食べ物を断つこと。
つまり今でいう「炭水化物ダイエット」。
しかしこれは人々の猛反発を招いた。
美食の国フランスの人々にとって、
一切のパンやお菓子を諦めることは、
何より酷な話だったのである。
実はサヴァランも肥満に苦しんだ一人。
彼は自らの知識を駆使して、
見事ダイエットに成功する。
しかしそれには30年もの月日を要した。
かくして彼は悟る。
ダイエットに一番必要なもの。
それは勇気である。
楽してやせる方法を人類が発見する日は、
いつか来るのだろうか。
大友美有紀 13年4月7日放送
よっちん
「自由律俳句・尾崎放哉」一人
咳をしても一人
寂しい句である。けれど、あっけらかんとしている。
作者は尾崎放哉。自由律俳句を極めた表現者。
東京帝国大学卒業、生命保険会社勤務。
エリートサラリーマンだった。
束縛された人生を嫌い会社を辞め、妻と別れ、
自由を求め、寺男となり、一人きりであることを望んだ。
たった一人になり切って夕空
4月7日は放哉忌。
大友美有紀 13年4月7日放送
「自由律俳句・尾崎放哉」帽子
自由律俳句の尾崎放哉。
帽子が嫌いで嫌いでしかたなかった。
学生時代は、いつも着物の懐に押し込んでいた。
厳格な父のもとに育った彼は、
帽子を、頭を押さえつける不自由なもの、
と感じていた。
冬帽かぶってだまりこくって居る
そのうえに或る、空を望む気持ちがあった。
大空の ました帽子かぶらず
帽子に象徴される、束縛があって、
そこから逃れようとする表現が生まれてくる。
大友美有紀 13年4月7日放送
「自由律俳句・尾崎放哉」即物的
入れものがない両手で受ける
放哉の句は、即物的で客観的だ。
ひとりよがりや自己陶酔を嫌い、
感情や抽象的な表現を削り落とした。
理屈も嫌い、ぐずぐずしたことも嫌い。
自分がいかに大胆で、きっぱりした性格かを
友人、知人に表明している。
あらしがすっかり青空にしてしまった
すたすた行く旅人らしく晩の店をしまう
削ぎ落としたからこそ、
「すっかり」「すたすた」に放哉の感情が表れる。
ツイッターやフェイスブックでのコミュニケーションに
慣れ始めた私たちも、簡潔にして、なお、心を伝える、
放哉の表現に学ぶところがあるだろう。
大友美有紀 13年4月7日放送
「自由律俳句・尾崎放哉」母
尾崎放哉は、鳥取の士族の出の家に
生まれた。
裁判官書記の父は、非常に厳格。
それを支える母は、慈愛に満ちていた。
待望の跡継ぎとして、甘やかされ、
大切に育てられた。
漬物桶に塩ふれと母は産んだか
孤独を求める放哉の、甘えん坊が見えている。
大友美有紀 13年4月7日放送
きんちゃん
「自由律俳句・尾崎放哉」山と海
分け入っても分け入っても青い山
種田山頭火、尾崎放哉と並び称される自由律俳句の詩人。
山頭火の山好きに対して、放哉は海が好きだった。
何か求むる心海へ放つ
海は慈母のように自分をあたたかく包んでくれる。
海を見ていると心が休まると言う。
山頭火が自らを追い込むように放浪に出たのに対し、
放哉は束縛から逃れ、自由と孤独と安住の地を求め彷徨った。
晩年、彼が移り住んだ庵は、全て海のそばだった。
障子あけて置く海も暮れ来る
放哉は、山頭火より3歳年下であったが、
14年も早く亡くなっている。
放哉へのオマージュともいえる、
山頭火の句がある。
鴉(からす)啼いてわたしも一人
孤独の魂は、孤独を惹き付ける。
大友美有紀 13年4月7日放送
Molly Des Jardin
「自由律俳句・尾崎放哉」窓
海が好きだった尾崎放哉は、
心を解き放ってくれるものとして、
窓も好んだ。
窓あけた笑い顔だ
晩年の作。
子どもを詠んだとも、
笑い合う気持ちを詠んだとも
解釈されている。
この句のリズム、その開放感を
楽しむだけでいいのかもしれない。