大友美有紀 20年9月5日放送
cory ISAKA Yoji
「遊園地がいっぱい」 向ヶ丘遊園
かつて東京の郊外には、
数多くの遊園地があった。
向ヶ丘遊園地も、そのひとつ。
1927年、昭和2年、
小田急線開通と同時に開園した。
今でも駅名は残っている。
多摩丘陵の自然を生かした、
花と緑の遊園地として親しまれた。
観覧車やメリーゴーラウンドの
アトラクションはもちろん、
ばら苑があり、ボートに乗れる池があった。
2002年3月末閉園。75年の歴史だった。
その後、ばら苑は「生田緑地ばら苑」として、
川崎市が管理することになった。
そして、向ヶ丘遊園の跡地の一部に、
藤子・F・不二雄ミュージアムができた。
花と緑は受け継がれ、
こどもたちの夢の場所も、
新たに生まれたのだ。
大友美有紀 20年9月5日放送
「遊園地がいっぱい」 二子玉川園
人気のショッピングタウン、二子玉川。
ニコタマと呼ばれるこの街にも、遊園地があった。
明治時代に玉川遊園地が開園。
浅草花屋敷が運営を担当していた。
今の遊園地とは違い、庭園と遊具がある場所だったとか。
大正時代には近くに二番目の遊園地、
玉川児童園が開園。
昭和に入ると読売新聞と提携し、
よみうり遊園となった。
しかし、戦時中に休園。
戦後1954年、よみうり遊園の跡地に、
二子玉川園が開園する。
豆汽車や飛行塔が人気だった。
少年科学館という施設もあった。
その後、時代の波に勝てず、1985年閉園。
跡地に、テーマパークが開演した時期もあったが、
今では、二子玉川ライズとなり、賑わっている。
ショッピングもできる、映画館もある、飲食街もある。
自然を楽しむ公園もある。
親子でも若者でも、年配の人たちも楽しめる、現代の遊園地だ。
大友美有紀 20年9月5日放送
「遊園地がいっぱい」 多摩テック
東京日野市の遊園地、多摩テック。
子どもが自分で運転できるアトラクションが多く、
人気があった。
多摩テックは、
本田技研工業の系列会社が運営する、
自動車遊園地だった。
子どもたちに小さい頃からエンジンに親しみ、
自ら操る喜びを体験してほしいという思いから、
乗り物には、本物のHonda製のエンジンが搭載された。
惜しくも2009年に閉園したが、
ここで遊んで、レーサーを夢見た子どもも
いたかもしれない。
大友美有紀 20年9月5日放送
「遊園地がいっぱい」 横浜ドリームランド
横浜戸塚区にあった、横浜ドリームランド。
誕生したのは東京オリンピックが開催された1964年。
バッキンガム宮殿のような入り口、
ゴンドラが揺れる大観覧車、
海底探検気分になれる潜水艦、
ボウリング場にプール、21階建のホテル。
欧米にあるような、
子どもだけではなく、
大人も楽しめる遊園地を目指した。
けれども2002年に閉園。
跡地は俣野公園(またのこうえん)となり、
21階建てのホテルは、
大学の図書館として活用されている。
夢の遊園地は、若者の夢を支える場所となった。
大友美有紀 20年9月5日放送
Zengame
「遊園地がいっぱい」 よみうりランド
東京の稲城市と神奈川の川崎市にまたがる、
よみうりランド。1964年開園。
人工スキー場、ジャンプ台、モノレール、
海水水族館がある、特徴的な遊園地だった。
水の中で踊る、水中バレエ団もあった。
時代の流れに合わせて、
アトラクションを変化させ、
ゲームや企業とのコラボレーションを行い、
今でも賑わいを見せている。
ジュエルミネーションと名付けた
イルミネーションも好評だ。
かつての遊園地のワクワク感と、
新しい遊びの楽しみ、どちらも体験できる。
ある意味、進化した遊園地だ。
大友美有紀 20年9月5日放送
Tomohiro Ohtake
「遊園地がいっぱい」 西武園
今年70周年を迎えた、西武園ゆうえんち。
来年、一部リニューアルを行う。
それは
「懐かしさにあふれた、幸せに包まれた世界」への
リニューアルだという。
刺激が強くなりがちな
遊園地のアトラクションと真逆の選択。
遊園地は非日常を楽しむ場所。
懐かしさと幸せが「非日常」になる。
それは、今、この状況のなかで、
多くの人が感じていることに重なりそうだ。
大友美有紀 20年9月6日放送
佐藤延夫 20年9月5日放送
Pink Cow Photography
国民栄誉賞の日 黒澤明
勉強でも、仕事でも、
頑張り続けることって難しい。
ゴールが見えなくて
心が折れたとき、
黒澤明監督の言葉が、
手を差し伸べてくれる。
これでもか、
これでもかと頑張って、
一歩踏み込んで、
それでも粘ってもうひと頑張りして、
もう駄目だと思っても
ズカッと踏み込んで、
そうしていると突き抜けるんだ。
今日9月5日は、国民栄誉賞の日。
黒澤明さんが受賞したのは、1998年のこと。
諦めないのも、才能のひとつ。
佐藤延夫 20年9月5日放送
国民栄誉賞の日 渥美清
目に見えないウイルスに備える。
そんな毎日は、生きることの意味を
あらためて考える機会になった。
とはいえ、生きてるって、なんだろう。
フーテンの寅さんは、こんなことを言っている。
なんと言うかな。
ああ、生まれてきて良かった、
そう思うことが何べんかあるだろう。
そのために生きてんじゃねえか。
今日9月5日は、国民栄誉賞の日。
渥美清さんがこの賞をもらったのは、1996年のこと。
生きる幸せは、ふとした瞬間にある。
佐藤延夫 20年9月5日放送
Mainichi Shimbun
国民栄誉賞の日 長谷川町子
炎上。誹謗中傷。
誰かが誰かを攻撃する。
その様子を対岸から眺める。
SNSは、そんな日常を当たり前にした。
漫画家の長谷川町子さんは、
こんな言葉を残している。
社会の歪みや不安というものを、
私たちは単なる社会問題と見て、
それが自分たちの悪意や、自己中心の大きな集積であることを、
忘れがちであります。
今日9月5日は、国民栄誉賞の日。
長谷川町子さんが受賞したのは、1992年のこと。
およそ30年前の言葉が、この時代に突き刺さる。