茂木彩海 13年3月10日放送


florence craye
出発のはなし7 スナフキン

スウェーデン語で、
「嗅ぎたばこのあいつ」の意味を持つスナフキン。

トーベ・ヤンソンが描くその自由気ままな生き方に
つい憧れてしまう大人も多いかもしれない。

そんな彼から、この春旅立つあなたへメッセージ。

 長い旅行に必要なのは
 大きなカバンじゃなく、口ずさめる一つの歌さ。

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茂木彩海 13年3月10日放送


Alé
出発のはなし8 パウロ・コエーリョ

ブラジル、リオ・デ・ジャネイロを代表する作家
パウロ・コエーリョ。

大学の法学部を突然やめたかと思えば、世界中を旅し、
帰国後はレコードの作詞をはじめるも、とつぜん仕事を放棄。
再び旅に出たのち、現在は小説家として活動している。

そんな彼の言葉。

 一本の道を決めるということは、

 ほかの道をあきらめるということだ。
 
まだ人生はまるごと残っている。

目的地をひとつにする必要なんかない。
どこに到着するか楽しみにしながら踏み出す、
そういう出発があってもいい。

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佐藤理人 13年3月9日放送



アーリーロケットメン①「王冨」

1500年頃の中国に、
人類初の宇宙旅行を計画した男がいた。
名は王冨(ワンフー)、明の高級官吏だ。

2つの凧で引っ張り上げた竹製の椅子に座る王冨。
椅子の後ろに取り付けた47基の火薬ロケットに
47人の男たちが火をつけた。

バーン!

煙が晴れたとき、そこにあるのは
粉々になった椅子の残骸だけだった。

駆け寄った人々は口々に言った。

王冨は天国へ行ってしまった。

科学的に計算すると、
その火力で天国に到着するのは約7分後。
しかし彼の場合、7秒もかからなかったに違いない。

月面の、とあるクレーターに、
この無謀かつ勇敢な挑戦者の名が付けられていることは、
あまり知られていない。

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佐藤理人 13年3月9日放送



アーリーロケットメン②「セレービ」

キリストに会いに行って参ります。

男はそう言って空へ飛び立った。

17世紀のオスマン・トルコ。
王の娘の誕生パーティを、
大型花火による人間飛行で盛り上げることになった。

そこに名乗りをあげたのが国一番の技術者、
ラガーリ・ハッサン・セレービだった。

7枚の翼と1.2トンの火薬を乗せたロケットは、
トプカピ宮殿の屋根から
ボスポラス海峡に向かって約300メートル飛んだ。

落下するかに見えた瞬間、セレービは見事な翼さばきで、
無事、王の待つ宮殿の庭に着陸。

群衆の歓声を浴びながら、王に言った。

陛下、キリスト様からよろしくとのことでした。

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佐藤理人 13年3月9日放送



アーリーロケットメン③「ロー」

弾丸人間

の異名を持つアメリカのスタントマン、
ロドマン・ロー。

彼は高層ビルや自由の女神から
パラシュートで飛び降りるだけでは飽き足らず、
20キロ先の町までロケットで飛ぶことを計画。

しかし彼のロケットは、
大量の火薬を積んだだけの巨大な筒。
案の定、大爆発を起こした。

奇跡的にかすり傷で済んだ彼は、
すぐに再挑戦したがったと言う。

どうやら肝っ玉まで弾丸だったらしい。

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佐藤理人 13年3月9日放送



アーリーロケットメン④「キバルチッチ」

ロケットエンジンの理論を発見したのは、
皇帝の暗殺者だった。

ロマノフ王朝の皇帝アレクサンドル二世を
三度も付け狙って暗殺した過激派グループ
「人民の意志」の一員、ニコライ・キバルチッチ。

彼は処刑を待つ牢獄の中で、
火薬を段階的に爆発させれば、
ロケットを加速できるとひらめいた。

これこそ現代のジェットエンジンに使われている、

徐燃式爆発

と呼ばれる技術。

アレクサンドル二世は、
ロシアの自然資源を開発するために
優秀な科学者の育成に尽力した皇帝だった。

皮肉にもキバルチッチは、
その政策によって育てられた
爆破のスペシャリストだったのである。

彼の才能と執念深さを研究に生かしていれば、
と思わずにはいられない。

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佐藤理人 13年3月9日放送



アーリーロケットメン⑤「ツィオルコフスキー(前編)」

幼い頃に聴力を失ったことが、

ロケットの父

コンスタンチン・ツィオルコフスキーを本の虫にした。

孤独を癒すために読んでいた物理や天文学の本は、
やがて彼の生きる原動力になった。
着るものも食べるものも構わず、
頭の中は常に大空と宇宙のことでいっぱい。

独学で研究を続けた彼は、ライト兄弟が空を飛ぶ20年も前に、
宇宙を飛ぶロケットの理論を発見していた。

当時の飛行研究家は皆飛ぶことだけを考えていたため、
機体を軽い木や布で作るのが常識だった。

しかし既に宇宙を見据えていた彼は、
エンジンを乗せるには頑丈な金属の機体が必要と考え、
飛行船の模型を作って政府に助成金を申請した。

しかし役人たちはその模型を、

風のオモチャ

と言って相手にもしなかった。

世界初の飛行船「ツェッペリン号」が誕生したのは、
それから10年も後のこと。

健康な目や耳を持っていても、
何も見えず、聞こえない人のなんと多いことか。

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佐藤理人 13年3月9日放送



アーリーロケットメン⑥「ツィオルコフスキー(後編)」

宇宙への行き方も、
ロケットの作り方もすべてわかっている。
しかし彼は地球から一歩も動けなかった。

ロケットの父、
コンスタンチン・ツィオルコフスキー。

ロケット作りの理論や公式を
数多く発見したにもかかわらず、
使える研究費はわずかな奨学金のみ。
何一つ形にできないまま月日だけが過ぎていった。

1917年、ロシア革命が成功すると、
彼は科学アカデミーの正会員に選ばれた。
生活費も研究資金も
ソ連政府から充分に保障されたが、
すでに60歳。宇宙に行くには年を取り過ぎていた。

その代わり彼の周りには、
いつも若い学者が大勢集まって、
教えを請うようになった。

地球は人類の揺りかごである。
しかし人類はいつまでも
揺りかごに留まってはいないだろう。

ツィオルコフスキーの言葉通り、
ユーリ・ガガーリンが
人類史上初めて宇宙へ飛び出したのは、
その言葉の主が亡くなってから
26年も後のことであった。

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佐藤理人 13年3月9日放送



アーリーロケットメン⑦「コロリョフ」

第二次大戦後の空をどう守るか。

アメリカは飛行機を。ソ連はロケットを選んだ。
それが宇宙競争における両国の明暗を分けた。

1957年、ソ連のミサイル開発のリーダー、
セルゲイ・パヴロヴィッチ・コロリョフは
世界初の人工衛星「スプートニク」を打上げ、
そのわずか1カ月後には、ライカという犬を乗せた
「スプートニク2号」の打ち上げに成功する。

しかし彼の名は決して脚光を浴びることはなかった。
共産党の機関紙に

 K・セルゲーエフ

の名で記事が載ることがあったが、
それがコロリョフの偽名だった。

CIAに暗殺されることを恐れての配慮だったと言う。

文字通り、宇宙競争は命がけ、なのだ。

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大友美有紀 13年3月3日放送


キノッピー
「凜とした女」朝倉摂

今日はひなまつり。
女の子の節句。
凛とした女がいる。
舞台美術家、朝倉摂。
日本アカデミー賞はもちろん、
都民文化事業賞、紫綬褒章、
など数多く受賞している。
少女の頃は、夢中で絵を描いていた。
自分が寝ている間にも、海の向こうでは
ピカソが絵を描いているんだから負けていられない、
と考えて、眠らずに絵を描いていた。

 本当に、好きでコツコツやってきただけ。
 生きているかぎり、自分がやりたい事をやるより、
しょうがないですから。

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