大友美有紀 13年3月3日放送


thefoxling
「凜とした女」キャサリン・ヘップバーン

今日は、おひなさま。女の子のお祭り。
女優が憧れる女優がいた。
キャサリン・ヘップバーン。
1930年代、当時の女性としては珍しく、
パンツスタイルを貫き通し、
「スカートが好きな殿方は、ご自身ではくとよろしいわ」
と言い放った。

出演していたミュージカルが大ヒットしていた時、
友人の脚本家にもう一度見に来てほしいと何度も電話をした。
もう何度も行ったと答える友人に

 今ほど良いのはみてないわよ。
 私は前よりずっと良くなっているの。
 他のみんなも素晴らしいの。

常に自分を高め続け、完成を求め、
そして思いやりがある。
憧れられる理由がある。

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大友美有紀 13年3月3日放送


Brian Stansberry
「凜とした女」堀文子

女子の節句。雛祭り。
戦後間もない頃、女が入れる学校は、
「女子」と名のつくものばかり。
それは差別的な扱いだった。
科学者になりたかった女学生、堀文子(あやこ)は、
美には差別がないと思い、美術学校へ進む。
やがて画家として生きていく。

昭和36年、堀は各国を放浪する旅に出る。
西洋文化や西洋思想がどんな風土から生まれるのか、
日常の暮らしを見たかった。
この旅で、ものを考え、感受性を磨くには、
自然の中で暮らさなければいけないと痛感する。

 自然を尊敬して、動植物から驚きと感動を
 もらっていないと、わたくしはだめなんです。
 絵が生気を失う。

堀は、自分には画風がない、と言う。

 逆上するほど興奮したものしか描きません。
 過ぎ去った自分の作品を追わないようにしています。

彼女は、1ミリでも上昇して死にたい、と考えている。

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大友美有紀 13年3月3日放送


Nemo’s great uncle
「凜とした女」尾中千草

桃の節句のひなまつり。
草月流の華道家・尾中千草(おなか せんそう)は、
美は心、お花は心をいける、という。
ところが4〜5年前から「美は心」の意味が
わからない若い人が増えてきた。

 神様、つまり人間を越えた存在が
 わからないのかもしれません。
 本当の美を手にしているのは、神様だと思う。
 だから美は一生つかまえられないものなんです。
 でも、その綺麗なものに
 手を伸ばし続けている人生というのも、
 幸せかもしれませんよ。

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大友美有紀 13年3月3日放送



「凜とした女」高野悦子

雛祭りの原点は、平安時代の
宮廷貴族の幼女の遊び「ひいな」だとされている。
「源氏物語」などにも登場する。

岩波ホール総支配人・高野悦子にとって
「源氏物語」は特別な存在だ。
1950年代、高野はパリの国立高等映画学院に留学していた。
大河小説というジャンルは19世紀にフランスで
誕生したという授業があった。
高野は、フランスの友人たちに、
日本で11世紀にすでに源氏物語という大河小説が
誕生している、と語る。
その作者は、女性だとも。

 すると彼らの態度がガラリと変わりました。
 もしかすると、わたくしもすごい芸術家なのかも、と。
 パリでわたくしが学んだのは、
 結局、日本人としてのプライド、
 日本の伝統や芸術に対する誇りでした。

帰国すると、高野は岩波ホールの立ち上げに携わる。
最初の上映企画は「戦後日本映画史」だった。

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大友美有紀 13年3月3日放送


Y.Hazama
「凜とした女」小泉清子

21世紀になっても、ひな人形は着物姿。
最近は着物を着る若い女性も増えてきた。
鈴乃屋創業者・きものデザイナー、
小泉清子(きよこ)の着物への思い。

 着物をもっともっと多くの人に着てもらいたい。
 デザインのほとんどが花鳥山水なの。
 世界に類を見ない日本の美しい四季を
 先人は着物に染め、愛でて、
 心豊かな生活を送ってきたんです。
 着る人も見る人も幸せな気持ちになれる。 

それが平和な世の中に通じる。
着物をつくり、広めるのは、自分の使命だという。

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大友美有紀 13年3月3日放送


htibor
「凜とした女」石井幹子

ひなまつり。
あかりをつけましょ、ぼんぼりに。
国際的に活躍する照明デザイナー・
石井幹子(もとこ)は、
光のもつ力は偉大だと言う。

 光自体は、どんな光も美しい。
 そんな美しい光によって、
 みんなが幸せに包まれる社会をつくる。
 それが私の仕事。

 
ベルリン・ブランデンブルク門に平和の文字を
東京タワーに復興へのメッセージを
光で描いたのも石井である。

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大友美有紀 13年3月3日放送



「凜とした女」ドリス・ドラッカー

ひな飾りのお内裏さまとおひな様は、理想の夫婦のようにも見える。
「もしドラ」で再び注目されたピーター・ドラッカーと、
その妻ドリスのように。

二人はフランクフルト大学の同じゼミの学生だった。
そしてロンドンで運命的な再会を果たす。

ドリスが地下鉄の駅のエスカレーターを下りていると
反対側から上ってくる人が手を振っている。
それがピーターだった。
ドリスは上りエスカレーターに乗り換え、
ピーターは下りに乗り換える。
そんなことを2、3回繰り返したあと、
二人はようやく落ち合うことができた。

 ドリスにはいつもびっくりさせられ通しだ。
 60年一緒に暮らしていても、ドリスが
 次に何をするか予想もつかない。
 それが結婚生活が、
 結婚当日と同じぐらい新鮮である理由だ。

とにかく二人は愛し合い、おとぎ話のように
いつまでもいつまでも幸せに暮らしたのだった。

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佐藤延夫 13年3月2日放送



刑事コロンボとカミさん

「うちのカミさんがね」
という台詞でおなじみ、刑事コロンボ。

作品の中で、カミさんが登場するシーンはただの一度もないが、
俳優ピーター・フォークのカミさんなら、
実際に何度か出演している。

その人の名前は、シェラ・デニス。
コロンボのカミさんに負けず劣らず個性的だそうで、
ピーター・フォークは、こんなコメントを残している。

「コロンボの聡明さには太刀打ちできないが、
 カミさんの話、これに関しちゃ、うちのカミさんの足下にも及びませんな」

カミさんの愚痴を言う人にかぎって、案外幸せそうだったりする。

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佐藤延夫 13年3月2日放送



刑事コロンボとレインコート

刑事コロンボといえば、
その代名詞にもなっているのが、よれよれのレインコートだ。

最初のエピソードを撮影する直前のこと。
スタイリストの用意した衣装を見て、
俳優ピーター・フォークは愕然とする。

普通のスーツとコート、色違いのセーター、シャツ、ネクタイ。
種類は豊富だが、見る人の記憶に残りそうなものが
ひとつもなかったからだ。

そして彼が選んだのは、自前のレインコート。
いつか役に立つだろうと、マンハッタン57番街で買ったものだった。

クローゼットで眠っていたレインコートは、
コロンボと一緒に、27年間も働き続けることになった。

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佐藤延夫 13年3月2日放送



刑事コロンボとプジョー

刑事コロンボは殺人課の刑事だが、
パトカーには乗らない。

初めてコロンボの愛車が登場するとき、
俳優ピーター・フォークは、
どの車にするか選んでおいてくれ、とスタッフに言われたそうだ。
ガレージに並ぶ何十台もの車。
そのほとんどが真新しくて、高級な車もあった。
でも、乗り手を語るような特別な一台は、なかった。

ガレージを出ようと振り返ったとき、一台の車が目にとまる。
それは、日に焼けてすっかり色褪せた、グレーのプジョーだった。

コロンボは、おんぼろのプジョーを
生涯のパートナーに決めた。

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