大友美有紀 13年1月6日放送
ドラ猫
「春の七草」セリ
七草粥は、
正月のご馳走で疲れた胃腸を休ませる。
特にセリにはデトックス作用が
あると言われている。
冬の季語に「芹焼」という言葉もある。
川魚や鴨などの癖のある匂いを消すために
セリが使われる。
芹焼や 裾わの田井の 初氷 芭蕉
野趣に富んだ、冬料理の風景だ。
セリの香りが強く漂ってくるようである。
ただし、五月のセリは食べてはいけない。
セリによく似た毒草・ドクゼリが芽を出しているからだ。
似ているが、作用は真逆。ご注意を。
大友美有紀 13年1月6日放送
k-maru
「春の七草」ナズナ
七草粥の日、地方によっては「七草もらい」という風習があった。
七歳の子が七日に、近隣七軒をお盆を持って回り、
家々の雑炊をもらって食べる。
子どもの無病息災を願ってのことだろう。
七草のひとつ、ナズナは子どもに親しまれている草でもある。
ペンペン草とも三味線草とも呼ばれ、
子どもの頃、その茎を振って「ペンペン」と音がするのではないか、
と試した人もいるだろう。
けれども、そんな小気味のよい音はしない。
すこし裏切られた気分だった。
その実の鞘の部分が、三味線のバチのカタチに
似ていることからきた呼び名だ。
妹(いも)が垣根 三味線草の 花咲きぬ 芭蕉
早春に芽吹くその姿は、ういういしく、
幼子の生き生きとした姿をも思わせる。
ナズナというの名前には、
「撫菜」(なでな)、撫でて汚れをはらう、
と言う意味もあるようだ。
それもまた、新年の始まりにふさわしい。
大友美有紀 13年1月6日放送
norak
「春の七草」ゴギョウ
七草粥に入れる七草のひとつ、ゴギョウ。
ハハコグサの別名でもある。
茎や葉がやわらかい白毛におおわれている。
その様子が母親が小さな子どもを包み込むように
見えるところから、ついた名だとも言われている。
茎の先端に小さな黄色い花が、ひしめき合って咲く。
つつましく、花の季節は長い。
老いて尚 なつかしき名の 母子草 高浜虚子
密集して花咲く姿から、
父に先立たれた母子が、
寄り添ってくじけずに生きている姿をも思わせる。
大友美有紀 13年1月6日放送
あうる
「春の七草」ハコベラ
春の七草のハコベラは、ハコベのこと。
古い歳時記には「野原や道ばたでよくみかけるナデシコ科の雑草」とある。
野原という場所は、東京ではほどんど出会うことはないが、
可憐な白い花をつける姿は、野原の化身のようでもある。
鳥やうさぎの餌にもなる。
カナリヤの 餌に束ねる はこべかな 正岡子規
英語では、チックウィード、ニワトリの雑草と言う名がついている。
日本でもヒヨコグサ、スズメグサと言われることもある。
それがどうして、七草の仲間入りをしたのか。
昔から薬草として使われていたらしい。
ミネラルなどの栄養を豊富に含んでいるようだ。
昔はハコベの汁に塩を加えて焼き、粉にしたものをハコベ塩といい
歯磨きに利用したらしい。
弱々しくみえて、生命力のある植物なのかもしれない。
石垣に はこべの花や 橋普請 永井荷風
大友美有紀 13年1月6日放送
風々堂くも
「春の七草」ホトケノザ
七草のホトケノザ。キク科の植物。
円座をなして地面にはりつくように映えている。
その中心には、黄色い花が咲く。その姿からついた名前
野寺あれて 跡にやはゆる 仏の座 貞徳
実は、ホトケノザはもうひとつある。
茎の先端を囲むように葉がつき、赤紫の小さな花が幾つもつく。
シソ科の植物なので、七草にいれると、味わいが変わってしまう。
七草のほうのホトケノザは、田平ら子(たびらこ)とも言う。
お間違えなく。
大友美有紀 13年1月6日放送
風々堂くも
「春の七草」スズナ
スズナは、鈴の菜と書く。カブのことである。
その根が鈴のように見えたことからついた名だという。
神を呼ぶ鈴、と言われてもいる。
すずなと言ひ すずしろといひ 祝ひけり 下村梅子
カブはジアスターゼが豊富。疲れた胃を休めてくれる。
七草は、細かく刻んで、柔らかく炊いたごはんと、コトコト煮る。
その時間も滋養になる。
大友美有紀 13年1月6日放送
どら猫
「春の七草」スズシロ
大根、冬によく似合う野菜である。
ブリ大根、おでん、ふろふき大根、湯気と出汁、温かい夜を思わせる。
その大根は、春の七草ではスズシロ、と呼ばれる。
清らかに白い、と書く。汚れのない新春を迎えるにふさわしい名だ。
もともとは野生の大根を用いたようだ。
宮中で昔、元日に鏡餅の上に置いたので、鏡草とも言われていた。
大根を 刻む刃物の 音つづく 山口誓子
七草は、六日の晩に叩いておくもの、だそうだ。
せり なずな ごぎょう はこべら
ほとけのざ すずな すずしろ
これぞ ななくさ
佐藤延夫 13年1月5日放送
Mourner
佐村河内守さんの生き方1
今までピアノを習った人なら、
誰でも一度は開いた、おなじみの教本がある。
赤のバイエルと、黄色のバイエル。
広島に住む、才能豊かな四歳の少年は、
この二冊をわずか四ヶ月でマスターした。
いつもお母さんは隣に座り、
ミスタッチをすると、竹の物差しで手を叩いたという。
それでも少年は、ピアノを弾ける喜びに包まれていた。
作曲家、佐村河内守さんが思い出すのは、お母さんのこんな言葉だ。
基本をおろそかにして、この先泣くのは、あなたです。
それは、全ての人生に通じる、愛の鞭。
佐藤延夫 13年1月5日放送
alika89
佐村河内守さんの生き方2
作曲家の佐村河内守さんが
幼少時代に感銘を受けた曲は、
ベートーヴェンの「悲愴」だった。
叱られることを覚悟で、
「この曲を教えてください」と頼むと
いつも厳しいお母さんの表情が和らいだという。
朝6時から、復習レッスンを一時間。
学校から帰宅して5時から6時までレッスン。
夕食後に課題練習とレッスンを2時間。
こんな暮らしを続ける少年に、
練習曲とは大きく違う「悲愴」の音色は、
とても優しく聞こえたに違いない。
佐藤延夫 13年1月5日放送
K YR
佐村河内守さんの生き方3
作曲家、佐村河内守さんとお母さんの
二人三脚のレッスンは、何年も続いた。
小学二年生になると、一年かけてバッハ作曲の「インベンション」を学び、
三年生では「ソナタ」と「コンチェルト」へ。
難関だったソナタを全て制覇した夜、
いつも標準語で指導するお母さんが、こう言ったそうだ。
今日までよう頑張ったね。
明日であんたは、お母さんを抜くじゃろう。
もうお母さんがあんたに教えてあげられることは、なくなったんよ。
標準語は、指導者としての言葉。
広島弁は、優しい母からの言葉。