佐藤延夫 13年1月5日放送
佐村河内守さんの生き方4
音楽家を志す少年が、
常に品行方正で、おとなしい性格とは限らない。
中学時代、喧嘩に明け暮れていたのは、
作曲家の佐村河内守さんだ。
音楽なんて女性がやるものだ、という恥じらいから、
学校では楽器を習っていることを隠し通した。
反面、毎日2時間のピアノレッスンのほか、
夜中まで管弦楽の知識学習を続ける。
母から教わることは全て教わったので、すべて独学で。
音楽関係の本を読み漁るほど、彼の心は飢えていた。
そして高校二年のときに、家出を決意する。
広島を出て、東京で音楽を学ぶための家出だった。
洋服上下に、下着と靴下、石鹸をひとつ。
それに五線紙と筆箱を入れると、ボストンバッグは一杯になった。
結局、この家出は未遂に終わったが、
少年のボストンバッグの中には、
「交響曲をやりたい」という夢が詰まっていた。
佐藤延夫 13年1月5日放送
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佐村河内守さんの生き方5
作曲家の佐村河内守さんは、音楽大学を出ていない。
もちろん、これには理由がある。
膨大な量の専門書で独学を重ねてきたので、学ぶことはない。
特定の教授に師事すれば、自分の作風が偏ってしまう。
クラシック音楽の作曲家という壮大な夢を持つ少年は、
音大進学というレールを拒絶し、独学の道を選んだ。
数々のアルバイトを渡り歩き、
時折襲いかかる偏頭痛とも戦いながら、
モグリの作曲家として、少しずつチャンスを手にしていく。
佐藤延夫 13年1月5日放送
佐村河内守さんの生き方6
作曲家、佐村河内守さんは、
35歳のとき、全ての聴力を失ってしまう。
迫り来る絶望と恐怖の中で、彼は、ひとつの試みをする。
ベートーヴェンの「月光」を頭の中で流し、
その旋律を五線譜に書き記す。
あとで楽譜と照合すると、一音も間違っていなかったという。
音を失っても、絶対音感は消えない。
その自信を糧に、彼は音楽の在処を見つけていく。
佐藤延夫 13年1月5日放送
佐村河内守さんの生き方7
「交響曲第1番 HIROSHIMA」
この曲は、作曲家 佐村河内守さんの人生そのもの、なのかもしれない。
被爆二世としての生い立ち。
母とともに、レッスンに明け暮れた幼少時代。
度重なる偏頭痛の発作。
音楽家という夢。
全ての聴力を失う恐怖。
弟の死。
ゲームや映画音楽の作曲。
信頼できる仲間との日々。
二度の自殺未遂。
盲目の少女との運命的な出会い。
枚挙にいとまがないほどの出来事が、
佐村河内さんを支えた。そして苦しめた。
彼は言う。
「闇が深ければ深いほど、祈りの灯火は強く輝く」
この曲は、全ての人に、希望の光を見せてくれる。
絶望という暗闇の奥に、ほんの少しだけ輝いて見える、
小さな暖かい光を。
名雪祐平 12年12月30日放送
百年前の訃報録 ブラム・ストーカー
百年前、その人物が亡くなった。
『吸血鬼ドラキュラ』の原作者
ブラム・ストーカー
この奇っ怪な小説は
演劇化されたことで人気に火がつき、
異例の売れ行きとなった。
ただ、この有名な主人公を創作した
ストーカーの人物像については、
今日まで謎も多かった。
ところが今年、
ストーカーの死後百年の時を超えて、
彼の日記が発見された。
その日記が書籍として2013年春、発売され、
日の目を見ることになった。
まるで百年の眠りから目覚める
ドラキュラのように。
名雪祐平 12年12月30日放送
百年前の訃報録 ハイム
百年前、その人物が亡くなった。
ドイツの詩人 ハイム
こんな詩の一節が残っている。
死に行く者は立ち上がろうとするが、
突然死んでしまう。
命はどこに。
その目は曇ったガラスのように、
暗く陰鬱だ。
目覚めている者も悲しみにうちひしがれ、
重い悪夢から覚めようと
青ざめたまぶたをぬぐう。
これは予言か。呪いだったのか。
この詩を書いてからまもなく、
ハイムは友人と二人、湖にスケートに出かけた。
氷が割れ、ハイムは冷たい水中に沈み、
突然、死に行く者になったのだ。
24歳という若さで。
詩に書いたような死に方で。
名雪祐平 12年12月30日放送
百年前の訃報録 カルブレイス・ロジャース
百年前、その人物が亡くなった。
アメリカ大陸横断飛行に成功した
カルブレイス・ロジャース
出発から30日以内の横断成功には
新聞社からの懸賞金5万ドルが
かけられていた。
しかし、ロジャースは49日間かかってしまった。
その間、17回もの着陸失敗事故により、
部品の修理を繰り返した。
交換した主翼は18枚、脚そり20本、エンジン2台。
ゴールの西海岸に着いた時、
残っていたオリジナルの部品はわずか2点だけだった。
それだけ墜落しても生還した
不死身のロジャース。
人気者となり、
スポンサーの飲料メーカーが奮発したおかげで、
懸賞金に2万ドル上乗せした賞金7万ドルを手にした。
名声も富も得たロジャースが
墜落事故で死亡したのは
そのわずか5カ月後のこと。
原因は、部品の故障ではなかった。
一羽のアヒルと衝突し、
真っ逆さまに墜落したのだった。
名雪祐平 12年12月30日放送
百年前の訃報録 ジャック・フットレル
百年前、その人物が亡くなった。
アメリカの天才ミステリー作家
ジャック・フットレル
『思考機械』シリーズを発表し、
その人気は『シャーロック・ホームズ』に
匹敵するほどだった。
絶頂期だった37歳の時、
イギリスからアメリカへ帰るために、
大きな客船に乗った。
船の名前は、タイタニック号。
沈没する大混乱の中、
フットレルは自分の命よりも
妻を助けようと救命ボートに押しやった。
そして、天才作家は
6編の未発表原稿とともに零下2度の海に消え、
帰らぬ人になった。
名雪祐平 12年12月30日放送
百年前の訃報録 池辺三山
百年前、その人物が亡くなった。
明治時代のジャーナリスト 池辺三山
朝日新聞の主筆として
明治政府首脳にも忌憚なく意見する公明正大さと、
あたたかい人柄で人々を惹きつけた。
三山を慕って朝日新聞に入社した夏目漱石は
新聞連載によって長編『虞美人草』を書き上げた。
明治45年、母を亡くした三山。
葬儀に参列した漱石は、
「帽もかぶらず、ぞうりのまま質素ななりをして
ひつぎの後に続く」
という憔悴した三山の様子を見ていた。
三山は喪に服すため肉食を断った。
卵も魚も口にせず、
墓参りと写経の日々を送った。
その栄養不足が命取りとなった。
三山には脚気と心臓の持病があったのだ。
いつものように近所の寺の
母の墓を参って帰宅後、
心臓発作で急死。享年49歳。
文章は平明で達意であるべし
三山のこの持論は、
新聞が今日まで発展する基礎となっている。
名雪祐平 12年12月30日放送
百年前の訃報録 明治天皇
百年前、その人物が亡くなった。
明治天皇、崩御。
幕末に満14歳で即位し、
59歳の最期まで
明治という新しい時代を天皇であり続けた。
第4次伊藤博文内閣が倒れ、
伊藤が辞任する際には
こんな言葉を投げかけた。
卿等(けいら)は辞表を出せば済むも、
朕は辞表は出されず
君主の責任と孤独がにじみ出る言葉。
夏目漱石は崩御した天皇に
こんな句を詠んでいる
厳かに 松明振り行くや 星月夜