佐藤日登美 19年12月8日放送
kyu3
こわい お化け屋敷プロデューサー
遊園地の中では地味な存在だったお化け屋敷を、
大人気アトラクションに変えた男がいる。
お化け屋敷プロデューサー、五味弘文。
彼のお化け屋敷の中では、お客さんも演出の一部だ。
例えば、リアルな赤ちゃんの人形を渡され、出口まで届ける。
呪いの歯を素手で抜く。
靴を脱いで暗闇の中を歩く。
そこには物語があり、それを知った上で進むことで恐怖が倍増する。
五味はお化け屋敷に「ストーリー性」という概念を組み込むことで、
新たなエンターテイメントを生み出した。
佐藤日登美 19年12月8日放送
こわい お化け屋敷プロデューサー
「人をいかに怖がらせるか」
そのことばかりを考えている男がいる。
お化け屋敷プロデューサー、五味弘文。
企画したお化け屋敷がオープンすると、
彼は裏でじっとお客さんの反応を見る。
期待通り驚いてくれると喜び、怖がってくれないとへこむ。
なぜ怖がってくれなかったのか。
どんなタイミングで人は不安になるのか。
考え続けることで「恐怖」の本質が見えてくる。
そこで見出したものを、またお化け屋敷に取り入れていく。
怖いと叫ぶお客さんたちを見る彼の顔は、いたずらっ子のようだ。
星合摩美 19年12月8日放送
pinguino
こわい スティーブン・キング
モダンホラーの帝王「スティーブン・キング」
初の長編小説「キャリー」が映画化されると、
たちまちその名は世に知れ渡った。
以後45年、50本以上にわたる小説が映画化されてきた。
物語の多くは平凡な町、平凡な家庭が舞台。
彼が描く恐怖は、平凡な日常に潜む。
この冬はスティーブンキング原作の映画が、
立て続けに公開されている。
もしあなたが毎日を平凡だと感じていたら、映画館へどうぞ。
恐怖の世界の主人公になれるかも。
星合摩美 19年12月8日放送
Sugar Pond
こわい 怖いもの見たさ
怖いけど見たい!
いわゆる「怖いもの見たさ」のワケは、
私たちの本能にあるらしい。
見てはいけないものを、見たくなる。
この心理は「カリギュラ効果」と呼ばれている。
鶴の恩返しで、開けてはいけないふすまを開けてしまうのもコレ。
人類は逃げずに、見て知るところから、
災害や病気などの恐怖と戦ってきた。
もしかすると「怖いもの見たさ」は、
人類最強の武器なのかもしれない。
大友美有紀 19年12月7日放送
与謝野晶子 いとはん
今日、12月7日は与謝野晶子の誕生日。
晶子の本名は「志よう」だが
「日」が3つの漢字、水晶の晶の漢字をあて、
晶子というペンネームが生まれた。
与謝野晶子、といえば、
情熱に身を任せた奔放な女流歌人、
自分の意思を貫くスーパーウーマン。
そんなイメージがある。
もともとは堺の和菓子屋のお嬢様だった。
誰かと一緒でなければ外出も許されない。箱入り娘。
その箱がきゅうくつで「志よう」は、
晶子になったのかもしれない。
大友美有紀 19年12月7日放送
与謝野晶子 みだれ髪
今日は、与謝野晶子の誕生日。
明治34年に出版した第一歌集「みだれ髪」は、
世に衝撃を与えた。
やわ肌、唇、乳ぶさという言葉の数々。
恋心を、情愛をほとばしるように歌う女性など、
この時代にはいなかった。
歌集を出す前から、
晶子は「みだれ髪の君」の愛称で呼ばれていた。
油をつけて髪を結うのを嫌い、いつもほつれ髪が、
2、3本、額にかかっていたからだった。
与謝野鉄幹はその「みだれ髪」を愛おしく思い
歌をおくっていたという
大友美有紀 19年12月7日放送
与謝野晶子 君死にたもうことなかれ
今日は、与謝野晶子が生まれた日。
与謝野晶子といえば、「みだれ髪」であり
「君死にたもうことなかれ」だ。
日露戦争に出征した弟を思い、
明治34年に発表した詩だった。
その内容から、世を害する思想、
国賊だと弾劾された。
批判に対し、晶子は、弟を命を思う、
まことの心を歌ったと主張した。
実は、この詩は、歌集「恋衣」に収録され、
当時一般の人の目に触れることは少なかった。
反戦の歌として広く知られるようになったのは、
第2次世界大戦後のことだ。
「まことの心」は時を超えても人の胸を打つ。
大友美有紀 19年12月7日放送
与謝野晶子 明るみへ
今日は与謝野晶子の誕生日。
第1歌集「みだれ髪」で世に衝撃を与え、
その後も次々と作品を送り出した。
晶子の評判が上がるにつれ、
夫であり、師でもある与謝野鉄幹の作は、
古いと評されるようになった。
主催していた「明星」は廃刊。
女性関係も激しくなった。
離縁してもおかしくない夫婦の危機に、
晶子は夫を家から追い出す代わりに、
外遊に出すことにした。
しかし、資金がない。
晶子は金屏風に自らの歌を百首書いて
売り出すことを考えた。
そうして渡航費用を貯め、
鉄幹はヨーロッパに旅立っていった。
やっとの事で送り出した後、
晶子はさみしくなるのである。
こんなはずではなかった。
「明るみへ」という小説に、
その心情が綴られている。
その後、晶子もヨーロッパに渡るのだ
大友美有紀 19年12月7日放送
与謝野晶子 つまらない話が嫌い
今日は、与謝野晶子の誕生日。
晶子と鉄幹の間には11人の子がいる。
鉄幹は、金に無頓着。
常に借金があり貧しかったが、
それを感じさせることはなかった。
次男の秀(しげる)は、
母はつまらない話が嫌いだったという。
女中への愚痴や人の噂話ではなく、
面白い話、美しいもの、豪華なもの、
おいしいもの話が好きだった。
その人生は決して穏やかでなかったはず。
だからこそ、明るく美しいほうへ
心を向けていたのだろう。
佐藤延夫 19年12月1日放送
映画の日 銀座シネ・ラ・セット
有楽町の駅前。
細いビルの入り口は、
夢への扉そのものだった。
その映画館は、銀座シネ・ラ・セット。
ロビーは細長く、
座席数も少ないが、
不思議な一体感があった。
まるで観客が一丸となって
「映画を見るぞ!」
という気合いでみなぎっているようなシアターだ。
そんな小さな幸せに満ちた映画館は、
2004年に閉館した。
ありがとう。銀座シネ・ラ・セット。
今日12月1日は、映画の日。
あの日。
あの人と。
あのシアターで見た映画は、
思い出の中から消えることはない。永遠に。