小野麻利江 11年6月19日放送



1 友達について パリス・ヒルトン

洋服を選ぶときに、
ダサいのとオシャレなのを2つ選ぶの。
それで、友だちに聞くのよ。
「どっちがいい?」って。
それで、ダサいほうを選んだ人とは、
関係を絶つの。

つねに世界を騒がせるセレブ・
パリス・ヒルトンが、
ある時、そんなことを言ったという。

(自分のセンスを疑わない。)
彼女の生き方は、ここまでくると、潔い。


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薄 景子 11年6月19日放送



2 友達について 糸井重里

わざわざ口にはしないけれど、
記憶のどこかにしまってある。
そういうことを、糸井重里さんは
風がふくように、さらりとついてくる。

彼のつぶやき本から、
こんな言葉を見つけた。

冬の教室の、日だまりでのむだ話を、
いまの時代でも、
中学生や高校生たちはやっているのだろうか?

オレンジ色の光につつまれた放課後、
なんであんなに話すことがあったんだろうと
不思議なくらい、毎日だらだらしゃべっていた
あの頃がよみがえった。

糸井さんは言う。

大事なことは、ただひとつなのだ。
それは、「ともだちであること」だけなのだ。

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熊埜御堂由香 11年6月19日放送



3 友達について 山口瞳と向田邦子

1980年、直木賞、選考会。
はじめて選考委員になった、山口瞳は
先輩作家たちの前で思いきって、言った。

向田邦子はもう、51歳なんですよ。
そんなに長くは作家として
書き続けられないんですよ。

選考委員は一同、驚いた。
え?50代?もっと若く見えるぞ?

上手いけど、小味だ、
小説家としては、駆けだしだ、
という一部の反対がふっとゆらいで
向田は、直木賞を受賞した。

山口は受賞の記者会見で、
向田邦子さんは私より小説が上手です、
と笑いをとった。でも、本心だった。

その後も、彼女におせっかいなアドバイスを続けた。
例えばこんな風、「あ・うん?そんなのダメだ。
タイトルは一度でおぼえられる簡単なものにしろ」
そのたびに、向田は微笑みながら聞いていた。

向田邦子が、飛行機事故にあった通夜のあと
山口瞳は仲間と軍歌、「戦友」を歌った。
気づいたらひとりで、声をはりあげて歌っていた。
モノを書く、という戦いを生き抜く。
そういう覚悟でふたりは結ばれていたのだ。



4 友達について やなせたかし

アンパンマンの作者、
やなせたかしは言った。

ぼくらはしょせん
罪の子で
完全なひとはひとりもいない
もしいたとすれば友にしたくない

アンパンマンは、こげたマントで、
自分の顔を食べさせては、パワー不足で失速して、
なんだか、少しかっこわるい。
けれど、決してくじけない。
そうして、彼は
「子どもたちのヒ―ロ―」ではなくて、
ともだちになっていったんだ。

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石橋涼子 11年6月19日放送



5 友達について 金田一京助と石川啄木

言語学者・金田一京助と石川啄木は
10代の頃からともに文学の道を志した友人だった。
金田一が文学の道をあきらめたのは、
言語学に情熱が移った一方で、
啄木にかなわないと思ったためとも言われている。

なかなか売れない啄木のために
資金援助を続けた金田一だったが、
自分だってあまり裕福なわけではない。

あるときなどは、命の次に大切にしていた
愛蔵書をまるごと売り払って、啄木への援助金とした。
本当は、本への未練があったのだが、
その金で昼間から啄木といっしょにビールを飲み、
お互いの門出を陽気に祝ったのだという。

啄木は生来の我儘と浪費癖から、
多くの友人を失った。
金田一とももちろんケンカをした。
しかし啄木が亡くなる前に真っ先に枕元に呼んだのも、
真っ先に駆け付けてくれたのも、金田一京助だった。

金田一は、晩年、
啄木とのおかしな友情についてよく語った。
特に好んだのが、昼下がりにふたりで飲んだ
ビールの話しだったという。



6 友達について ジャイアン

お前のものは、俺のもの。
俺のものも、俺のもの。

この有名なセリフが生まれたときの話を
ご存知だろうか。

それは小学校の入学式の朝。
のび太がうっかり無くしてしまったランドセルを
ジャイアンは泥だらけになるのも構わず、
必死になって取り戻してくれた。
驚きと喜びで泣いてしまったのび太に
ジャイアンは照れ隠しであの名台詞を言ったのだった。

お前のものは、俺のもの。
俺のものも、俺のもの。だろ?

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薄 景子 11年6月19日放送



7 友達について ゲーテ

ドイツの文豪、ゲーテは言った。

空気と光と、そして友達の愛。
これだけが残っていれば、気を落とすことはない。

気づけばみんな、カタチがない。
気づけばみんな、お金で買えない。

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小野麻利江 11年6月19日放送



8 友達について 盛田昭夫

井深大(いぶかまさる)らとソニーを創業した、盛田昭夫。
人とのコミュニケーションを大切にし、
そのための努力を怠らなかった。

オフィスのコンピュータには、
7000人にものぼる友人や知人の
趣味や誕生日を、インプット。
何かあるたびに必ず、カードや礼状を送った。

またある時は、コミュニケーションの本質を、
「電波」にたとえて説明した。

相手の電波が何チャンネルに合っているかを知って
その電波を出せば、ちゃんと受信する。

いかにも「ソニーの父」らしい、行動や発言だ。

しかし、そんな盛田は、
友情について、こう語る。

友情とは、二つの肉体に宿れる一つの魂である。

盛田の「人づきあいのテクノロジー」の中には、
大きな大きな、ハートがあった。

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八木田杏子 11年6月18日放送



ルイス・キャロルとアリス

不思議の国のアリスは、
ひとりの少女のために紡がれた物語。

当時10歳の実在の少女アリス・リデルに
「何かお話を聞かせて」とせがまれて、
ルイス・キャロルは、思いつくままに話しはじめた。

目の前にいるアリスがはっと息をのみ、
ころころと笑うために。

ルイス・キャロルの想像力は広がっていく。
人間のような動物たちが、
不思議な物語をくりひろげていく。

その3年後、物語は本になり出版されたが
即興のストーリーを書き留めるように頼んだのも
アリスだった。

不思議の国のアリスは
最初の出版から150年にもなるが
いまだに音楽、絵画、文学など芸術の世界に影響を与えつづけている。



ロミオとジュリエット

ロミオとジュリエットは、もしかすると
悲劇ではないのかもしれない。

シェイクスピアの四大悲劇といえば、
ハムレット、オセロー、マクベス、リア王。
ロミオとジュリエットは、そこには入らない。

純粋なまま美しく終わる恋は、
悲劇ではないのかもしれない。

家族からの圧力や
すれ違いから生まれる亀裂で、
恋心が擦り切れていくほうが悲劇なのかもしれない。

ロミオとジュリエットのように
美しく終われない物語を、私たちは生きていく。

いつ終わるかわからない物語を、
ハッピーエンドにしたいと願いながら。



チャップリン

喜劇王とよばれたチャップリンは、
幼い頃はまさに悲劇の主人公だった。

芸人だった父は酒におぼれ、
女優だった母は精神の病を患う。

食べるものも乏しい家で、
母が披露してくれる芝居や朗読に、
チャップリンは魅了された。

やがて彼も、喜劇やものまねで、
笑いをとるようになる。

5歳で初舞台を踏んだ彼は、
12歳になると新聞で名子役と評されるほどになる。

悲劇を生きぬいたチャップリンは、
こんな言葉を残した。

人生は近くで見ると悲劇だが、
遠くから見れば喜劇である。



まど・みちお「ぞうさん」

誰もが口ずさんだ童謡、「ぞうさん」。

リズム感のいいやさしい言葉に、
詩人まど・みちおの想いが宿っている。

ぞうさん ぞうさん お鼻が長いのね
そうよ 母さんも長いのよ

小ゾウは、長い鼻をからかわれても、
大好きなお母さんの長い鼻を思い出して、
むしろ誇らしそうにする。

この歌は、
「ゾウに生まれてうれしいゾウの歌」だと
まど・みちおは語る。

違いがあるから素晴らしいのに、
人と比べて一喜一憂してしまうのは、
もったいない。
その想いから、「ぞうさん」はうまれた。

まど・みちおの童謡が心地よく響くのは、
しらずしらずのうちに、
その想いを感じているからかもしれない。



まど・みちお「散歩」

詩人まど・みちおは、ゆっくり歩く。

家からポストまで、
さぁっと歩けば20分ほどの距離を、
あっちを見たり
こっちを見たりしながら
一時間かけて歩く。

まど・みちおには、世界はこう見えている。

いつも通っている道、
見慣れた景色だと思っても、
もうほんとに驚くことばかり。

アリだってちゃんと
影を連れて生きてるのを発見したときは、
なんだか花束でももらったみたいな気分でした。

いつもの道を、ゆっくり歩く。
そんな贅沢を味わってみませんか。

せめて、お休みの日だけでも。



葛飾北斎

葛飾北斎は、
30回も名前を変えている。

自らの過去にとらわれない
新たな作品を世に送りだすために。
思うまま生きるために。
北斎は名前を変えていく。

美人画、風景画、漫画。

筆のおもむくままに、
湧き上がるものを表現するには、
30もの名前が必要だった。

明日は、日曜日。
仕事も本名もお休みにして、
新しい名前を使えるとしたら。
さて、何をしましょう。



白雪姫

白雪姫は、過ちを繰り返したから、
王子様に出会えた。

魔女が化けたお婆さんから、
ドレスを飾る美しい紐を買って、
胸をきつく締めあげられる。
毒のある櫛を使って、倒れてしまう。
小人に助けてもらっても、また騙されて、
毒りんごを食べて死んでしまう。

手を尽くしても生き返らなかった白雪姫を
七人の小人がガラスの棺に納めたとき
王子さまがやってきて
白雪姫は息をふきかえす。

過ちを3回も繰り返して、
やっと王子様に出会えた、白雪姫。

賢いお姫様だけが、
幸せになれるわけではないのだ。

過ちを悔いる夜は、きっと
白雪姫がなぐさめてくれる。

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三國菜恵 11年6月12日放送



あの人の師/井上雄彦

漫画家・井上雄彦。
彼の師匠は、あの『シティーハンター』の作者・北条司だった。

20年もの間〆切を守り、
机の上で肉体と精神をつかい果たす姿をずっと見てきた。

『スラムダンク』がヒットして
師匠にほめられたときのことを、彼はこう語る。

職人に誉められるなんて、とても嬉しかった。



あの人の師/角田光代

小説家、角田光代(かくた・みつよ)には
ちょっと変わった師匠がいる。
それは、プロボクサーの輪島功一(わじま・こういち)さん。

角田さんは、大失恋をきっかけにスポーツジムに入門。
それがたまたま、輪島さんのジムだった。

輪島さんは、
毎日、練習生たちの靴をきれいに並べる。
毎回、気持ちの良いあいさつを返してくれる。

角田さんはその行動に、ひそかに尊敬の念を寄せていた。

彼女が輪島師匠からもらったことばに、こんなものがあるという。

おんなじことを嫌がらずに繰り返しやった人と、やらなかった人とでは、
得られるものがぜんぜん違うんだ。

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中村直史 11年6月12日放送



あの人の師/笑福亭鶴瓶

恐ろしくて、おもしろい師匠だった。
六代目笑福亭松鶴(しょうふくていしょかく)。
弟子のひとりに、あの笑福亭鶴瓶がいる。

弟子をとりたくない松鶴に
最初は居留守を使われながらも、
なんとか面会を許された若き鶴瓶。
向かい合った偉大な落語家の唇に飼い犬の毛が一本
ついているのを見逃さなかった。

師匠が恐ろしいことは知っている。
初対面の緊張もある。
しかし、心の中の声がこう叫ぶのを無視はできなかった。

その毛をとれ。とったらおもろいから、その毛をとってまえ。

突然手を伸ばし「犬の毛がごっつう気になるんで」という鶴瓶に、
松鶴は一言「おもろいやっちゃなあ」。
晴れて、入門は許された。
師匠を心から慕った鶴瓶。
今も、あの犬の毛に感謝しているに違いない。

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三島邦彦 11年6月12日放送



あの人の師/萩本欽一

コメディアン、萩本欽一。
浅草の劇場で働き始めて5ヶ月目、
父親の家が火事になった。
当時まだ見習いの欽ちゃんの月収は3千円。

しばらくは違う仕事に就こう。
そう決めて、師匠の池信一へ申し出た。

数日後、師匠から呼び出された。

お前な、ここにみんなが出してくれた金がある。 

4万5千円。一年分の給料より多い金額。

  すごいだろ、みんなが500円ずつだしてくれた。
  そうじのおばちゃんも500円だしたんだぞ。
この4万5千円を使い切るまでは、ここにいな。

その日、大泣きをした欽ちゃんが、やがて、日本中を笑顔にすることになる。



あの人の師/大杉勝男

その日はきれいな月が出ていたという。

1968年9月6日、
後楽園球場では東映フライヤーズと
東京オリオンズの試合が行われていた。
試合は両者譲らず延長戦。
11回の裏、大杉勝男(おおすぎ かつお)に打順が回ってきた。
大物ルーキーとしてプロ入りし、3年目でレギュラーを獲得したものの、
ここしばらくはスランプに苦しみ、この日もここまでノーヒット。

そんな大杉のもとへ、打撃コーチの飯島滋弥(いいじま しげや)が近寄った。
飯島は、バックスクリーンの上にぽっかりと浮かんだ月を指差して言った。

 あの月に向かって打て。

「この言葉で、ホームランの打ち方がわかった。」後に大杉はそう語る。

大杉の打球は、月に向かって高々と舞い上がり、
美しい放物線を描きながら歓喜に湧くスタンドに突き刺さる。

後に2度のホームラン王になる強打者が誕生したきっかけは、
師がくれた、わかりやすく、美しい、たったひとつの言葉だった。

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