名雪祐平 19年11月30日放送
水があふれる 腹が減っては
田んぼがほしい。
戦に出かける
兵に食べさせる米を作る
田んぼがほしい。
田んぼには、水がいる。
こうやって、日本の土木技術は
戦国時代に飛躍的に進んだ。
なかでも加藤清正は
「土木の神様」といわれるほど。
田んぼに水を引くための
堰や用水路を数多く整備。
阿蘇山からの水は、
田んぼから地下に浸透し、
良質な地下水を育んだ。
いまでも熊本市民の水源は
100%地下水でまかなわれている。
名雪祐平 19年11月30日放送
tokyoform
水があふれる 水戦争
牛丼一杯つくるために
使う水の量は?
2400リットル。
牛の飼育から、米・玉ねぎの収穫、
原材料製造、調理まで、
お風呂の湯船10杯ほどの水がなければ
牛丼も食べられない。
水不足。
石油のように、いつか水の利権を奪い合う
戦争になるかもしれない。
日本は、じつは牛丼のように
仮想される水の輸入大国。
きょうも、世界中の水を飲んでいる、
あなた。
小野麻利江 19年11月24日放送
葱
紅葉のはなし 紅葉狩りの由来
秋の終わり。
紅葉(こうよう)を見に出かけることを
「紅葉(もみじ)狩り」と言うのを、
聞いたことはありませんか。
これは、平安貴族が紅葉(こうよう)を見に行く時、
「狩りに行く」と、
同じく”山に入る行為”と掛けて
洒落で言ったのが、由来の一つだそう。
かつては、春のお花見を
「桜狩り」と言うこともあったそう。
でも今ではあまり使われず、
秋の風物詩だけに残る、
「狩り」という言葉。
秋の終わり。
落ちた紅葉(もみじ)を手にとって
狩りの成果を自慢し合ってみるのも、
乙なものかもしれません。
薄景子 19年11月24日放送
©︎ Catarina Sousa
紅葉のはなし もみじの由来
秋の紅葉を代表するのが「もみじ」。
その語源は「もみつ」という言葉に由来するという。
「もみつ」には、「揉む」「揉みだす」といった意味がある。
木々が色づくということは、秋の寒さや霜によって
緑の葉が、赤や黄色の色を「揉みだす」と考えられていた。
「揉みだす」という感覚は、
古来から伝わる「草木染」に通ずる。
自然の草木の染料を浸した桶の中で
白い布を揉んで色を定着させるのが草木染。
この布にあたるのが木々の葉で、
赤や黄色の染物として仕上がったのが紅葉、
揉み出したのは山の神々だろうか。
令和初の紅葉も、そろそろ見納め。
一面に色づいたもみじが
山の神々の芸術作品だと考えると
美しい紅葉がますます神々しく思えてくる。
熊埜御堂由香 19年11月24日放送
紅葉のはなし 日野原先生と葉っぱのフレディ
1982年にアメリカの哲学者、
レオ・バスカーリアが書いた童話、葉っぱのフレディ。
春に生まれた葉が、冬に枯れゆき、土に還り、
また新しい葉っぱを生むというストーリーだ。
日本では、2000年に医学博士の日野原重明さんが、
ミュージカルにしたことで、絵本を越えて親しまれるようになった。
日野原先生が、編集者に絵本の舞台化を提案すると、
「では、先生が脚本を書いてください」と言われた。
その言葉を受けて、ご自身が脚本を書いた。
89歳の時のことだ。
秋になって、色どりどりに紅葉した自分や、
仲間をみて、葉っぱのフレディは問う。
いっしょに生まれた同じ木の同じ枝の同じ葉っぱなのに、
どうして違う色になるの?
親友のダニエルが答える。
今まで受けてきた太陽、風、月の光、星明かり、
なにひとつ同じ経験はないからさ。
医師として数々の命を見つめてきた日野原先生が紡ぎ直した
ミュージカル版は、多くの感動を呼びブロードウェイでも上演された。
日野原先生は、その後、105歳で亡くなるまで、命について発信を続けた。
はらりと地に落ちた紅葉する葉を、手にする。
その色に、心を奪われるのは、命の輝きが込められているからだ。
若杉茜 19年11月24日放送
紅葉のはなし 尾崎紅葉
紅葉は世界中で愛される美しい風景だが、
紅葉やその地を愛するあまり自分の名前も紅葉にしてしまおう−−−−
という人はそういないだろう。
明治期に活躍した文豪・尾崎紅葉は、その奇特な人物だ。
東京・港区の芝に生まれ、
生まれ故郷にある増上寺の紅葉山にちなんで
ペンネームを紅葉とした。当時そこには紅葉館という料亭があり、
そこで紅葉は他の文豪たちとの親交を深めたという。
紅葉館は東京大空襲で焼失し、
その跡地には、赤い東京タワーが建っている。
石橋涼子 19年11月24日放送
紅葉のはなし 石橋涼子
フランスの作家で哲学家でもある
アルベール・カミュ。
読後感が決して明るくはない不条理文学と、
トレンチコートにくわえタバコで気難しい顔をしたイメージだが、
彼自身の言葉には、生きることに前向きな輝きがある。
カミュが生まれ育ったのは、
地中海に面し、自然に恵まれたアルジェリアだ。
家は貧しかったが、たっぷりの太陽と海に育まれたことが
彼の根底にある。
今は11月も末、
木々の葉も黄色やオレンジを経てすっかり赤くなり
本格的な寒さが身に沁みる季節に
美しくも温かい、カミュの言葉を贈ります。
“L’automne est un deuxième printemps où chaque feuille est une fleur.”
秋は、すべての葉が花になる、二番目の春である。
石橋涼子 19年11月24日放送
Steppschuh
紅葉のはなし 落ち葉
昔むかし、英語を話す国々には
秋という単語が存在しなかった。
日本ほど四季がはっきりしていないため、
暑い「夏」と寒い「冬」を表す言葉しかなかったのだ。
それでも木々は芽吹き、葉っぱは色づき、枯れれば散っていく。
当たり前のように繰り返される自然のサイクルに
16世紀の人々は、そろそろ名前をつけたいと考えた。
こうして
春は「葉っぱが生える」Spring of the leafを略してSpringに、
秋は「葉っぱが落ちる」Fall of the leaf を略してFall
になったという。
そう、Fall、秋は落ち葉の季節だ。
小野麻利江 19年11月24日放送
紅葉のはなし もみじの天ぷら
「もみじの天ぷら」
それは、紅葉と滝で有名な、
大阪府箕面(みのお)市に古くから伝わる
お菓子のこと。
箕面市にある箕面山には
古くから修験道の道場がある。
1300年前、修行をしていた行者が
滝に映えるもみじの美しさに心打たれ、
持っていた灯明の菜種油をつかって
天ぷらを作り、旅人に振舞った。
それが、「もみじの天ぷら」の
発祥と言われている。
長い時を経て、つくり方や味に
改良が加えられているが、
原材料は、いたってシンプル。
小麦粉、砂糖、ゴマ、
そして、もみじの葉。
茂木彩海 19年11月24日放送
篁(たかむら)
紅葉のはなし 秋の女神
秋を表す季語の中に、
お姫様の名前があるのはご存知だろうか。
その名を「龍田姫」。
秋の紅葉を司る女神と言われ、
はるか昔の奈良時代、五行思想にもとづいて
東西南北にそれぞれ女神を配したことに由来する。
秋は西にあたり、西に位置する竜田山が紅葉の名所であったことから
龍田姫は秋に紅葉をもたらす女神とされた。
緑の葉を真っ赤に染め上げる
龍田姫の仕事ぶりには今も昔も目を見張るものがあるようで。
古今和歌集で、在原業平はその見事さをこう詠んでいる。
ちはやぶる神世も聞かず竜田川
からくれなゐに水くくるとは