山口千乃 10年03月14日放送
The smiths
ひきこもりの青年を
部屋から引っ張りだすのに、
あなたなら、どう声をかけるだろう。
ロンドンの曇り空の下、
一年中、家にこもっていたモリッシーを
ギタリストのジョニー・マーは、
こんなふうに誘った。
いっしょに世界を変えようぜ。
やがて、ロック界のカリスマとなった彼ら、
the smithsといえばご存知の通り。
ほら、世界は変わった。
石村僐悟・一枝夫妻
お返しがないなんて、おかしい。
女性たちの声に応えて
ホワイトデーを考えついたのは、
ある夫婦が営む和菓子屋さんでした。
礼には礼で返す。
ホワイトデーには、
和の心が込められています。
今日、あなたは返しましたか。
小山佳奈 10年03月13日放送
三島由紀夫の酒
当代の流行作家が
新宿や浅草の居酒屋で
文学談義に花を咲かせていた頃。
そんな連中には見向きもせず
銀座の高級ホテルやクラブのバーで
グラスを傾けていた作家がいる。
三島由紀夫。
彼のお酒は
その生き様のように
一分の隙もない。
飲みにいく時はもちろん正装。
決して酔いつぶれることはなく
12時には執筆のために家へ帰る。
三島の美学は
酒をも支配する。
草野心平の酒
蛙の詩人、草野心平。
ゲコゲコと鳴くカエルとは対称的に
本人は下戸どころかお酒が大好き。
ついには自ら居酒屋を開いた。
ただ、そこは詩人。
お品書きも一味違う。
ほうれん草のおひたしは「黒と緑」。
豚のにこごりは「冬」。
特級酒はてっぺんの「天」。
二級酒は「火の車」。
心平さんにかかれば
言葉だって酒の肴。
「じゃぁ今日は
黒と緑と火の車。」
ほら、
もう詩ができちゃいました。
星新一の酒
SF作家、星新一。
彼はひとたびお酒を飲むと
その上品な佇まいからは想像もできないほど
ブラックな冗談を矢継ぎ早にくり出す。
小松左京はあまりに笑い過ぎて
いつもお腹が筋肉痛だった。
しかし次の日。
あれほど腹を抱えて笑った毒舌を
一緒にいた人間は誰も覚えていない。
きれいさっぱり忘れている。
なるほど。
アルコールは
「消毒」ですから。
中上健次の酒
新宿ゴールデン街。
作家仲間が一杯やっていると
ガラリとドアが開いて
どすのきいた声が響き渡る。
「おまえのこの間の原稿、
なんだあれ。」
大きな体から放たれた気は
小さな店を一瞬にして埋めつくす。
文学界の異端児、
中上健次。
誰かれかまわず議論をふっかける。
他人の新聞小説には勝手に赤字を入れる。
それでもみんな
中上のことが大好きで
なじられるのを承知で
足を運んでしまう。
ガラリ。
今でも夜のゴールデン街には
中上の威勢のいい声が
聞こえてきそうな気がする。
赤塚不二夫の酒
赤塚不二夫といえば、お酒。
お酒といえば、赤塚不二夫。
生来の酒飲みかと思いきや
お酒を飲み始めたのは
漫画家になって8年も経った頃。
トキワ荘時代は
酒を飲むより映画を見る
人一倍まじめな青年だった。
まじめにギャグ漫画を描き
まじめに酒を飲んだ。
そうしたら
ギャグ漫画は超一流の芸術になり
下戸は超一流のよっぱらいになった。
赤塚先生。
今ごろ天国では
少し早い花見酒でしょうか。
小津安二郎の酒
映画監督、小津安二郎。
彼は脚本家とともに
別荘にこもっては
映画の構想を練った。
かたわらには
蓼科の銘酒、
「ダイヤ菊」。
一升瓶100本で
映画を一本。
どうりで。
小津映画には
おいしそうに徳利を傾ける
シーンの多いこと。
細田高広 10年03月07日放送
マティス
私が緑でえがくとき、
それは草を意味しない。
青く塗っても、
空を意味するとは限らない。
色彩の魔術師と呼ばれた、
アンリ=マティス。
見える色を使わず、
見たい色を使った彼の絵画は、
まぶしいほどに鮮やかだ。
マティスの作品を見た医者は
本気で忠告したという。
サングラスをかけた方がいい。
マティスの絵画に対する、
最高の批評だと思う。
ハンター・S・トンプソン
ジャーナリストは、客観的に語るべし。
ハンター・トンプソンは、
そんな常識をひっくり返した男。
犯罪集団への取材では、
1年にわたって共に行動。
犯罪にも加担し、
最後はボコボコに殴られて逃げ出してくる。
取材というより実体験をもとに書いた記事は、
主観と脚色だらけ。まるで小説だ。
だが、彼は言う。
小説が、フィクションより真実を語ることがある。
当事者だけが分かる感情。
当事者だけが知る空気。
この世界には、「事実」だけ並べても伝えられない、
「真実」がある。
ミシェル・プラティニ
黒人はフランスで
サッカーをするな。
移民のサッカー選手が
活躍し始めたとき、
フランス国内で上がった声だ。
それを、ある選手の一言が黙らせる。
サッカーに人種はない。
下手な白人ほど黒人を差別する。
フランスのスター選手だった、
ミシェル・プラティニ。
彼が引退して、約10年後の1998年。
フランス代表はワールドカップで
初優勝を飾る。
喜び抱き合う選手たちの肌の色は、
実に多様だった。
アフリカ大陸初の
ワールドカップまで、
あと3ヶ月。
チームの絆が、
人種の壁を越える。
もうひとつの闘いに注目したい。
クインシー・ジョーンズ
スリラー。愛のコリーダ。
クインシー・ジョーンズの手がけた音楽は、
聴けばたちまち耳に残る。
だが、いつまでも飽きさせない。
曲づくりの秘訣について、彼は言う。
女性と同じで、2、3日暮らしてみれば分かるんだ。
1日中聞いたとしても、
翌朝起きて聴きたくなれるかどうか。
もしダメなら、その曲とはきっぱり
別れるのだそうだ。
私生活では3度結婚し、
7人の子どもがいる、恋多き男。
クインシーの音楽の先生は、
恋愛だったのだ。
渋沢栄一
日本における資本主義の父、
渋沢栄一は言った。
機械が運転しているとカスがたまるように、
人間もよく働いていればカネがたまる。
人の役に立っていれば、お金はついてくる。
そう考えていた渋沢は、
500以上の会社を設立しながら、
多くの社会活動にも関わる。
日本赤十字社を設立し、
養育院の院長を務め、
関東大震災の際には復興の指揮をとった。
その生き方を見ると、気付かされる。
ビジネスと社会貢献はそもそも同じ意味。
人に役立つためのこと。
企業の「社会貢献活動」、
なんてわざわざ表明する風潮は、
どこかおかしいかもしれない。
ムンク
絵画「叫び」で有名な、ムンク。
彼は女性運が悪かった。
最後の彼女には
「結婚しなければ自殺してやる」
と銃を片手に脅される。
もみ合いの末、大切な指を一本失った。
愛を炎に喩えるのは、正しい。
炎と同じで
山ほどの灰を残すだけだから。
恋愛に懲りたムンクは、事件以降、
女を「恐怖」や「死」のモチーフに選び
何枚もの絵画を描く。
ムンクの恋の燃えカスは、
灰なんかじゃない。
芸術だったのだ。
ジミ・ヘンドリクス
天才ギタリスト、
ジミ・ヘンドリクス。
もっと速く弾ける人も、
もっと正確に弾ける人もたくさんいる。
この場合の「天才」とは、
技術のことじゃない。
ブルースは簡単に弾ける。だが、感じるのは難しい。
ジミヘンだけが感じていた
100%のブルース。
100%のグルーブ。
最先端の技術と機材を揃えた今でも、
未だ人類は追いつけない。
熊埜御堂由香 10年03月06日放送
道具のはなし ポールボキューズの鍋
「私の料理の秘訣がひとつしかなかったとしたら、
それはこの美しい道具だろう」
フランスのリヨンで腕をふるう
84歳の現役天才シェフ、ポールボキューズ。
彼は料理へのこだわりから、鍋までつくってしまった。
工業の街、アルザスで、
祖父の代から台所用品店を経営していた、
フランシス・ストウブ氏と開発した、分厚い鉄の鍋だ。
45年間、ミシュランの3つ星を
維持しつづける彼のそばに、
今日もこの武骨な鍋はどっしり座っている。
道具のはなし 智恵子の千代紙
こころの病に苦しんだ、高村光太郎の妻、智恵子。
光太郎は彼女に、気分転換の道具に千代紙を渡した。
智恵子はたちまち紙絵に夢中になる。
食膳がでると、皿にのる食材を紙絵でつくらないうちは
箸をとらないほどだった。
できあがると、恥ずかしそうな、うれしそうな顔で、
光太郎に差し出した。
智恵子の残した千点以上の紙絵に、光太郎は言った。
これらは、智恵子の詩であり、
生活記録であり、此世への愛の表明である。
妻の千代紙は、夫と心を交わす道具となった。
道具のはなし 恋する道具
ひとは不器用だから、
恋をするにも、道具がいります。
いまは、メール。昔は手紙。
プレイボーイの元祖、光源氏は、
先立たれた妻からの恋文に、
歌を書きつけて、泣きながら燃やしました。
大切にとってあった手紙と妻への思いが
一筋の煙になって天へ届くように。
そんな思いをこめた読まれた歌のしめくくりは、
おなじ雲居の煙とをなれ
(おなじくもゐの けぶりとをなれ)
メールは燃やすこともできないし、
下駄箱にいれることもできません。
恋する道具としては、手紙が一枚上手のようです。
石橋涼子 10年03月06日放送
藤山寛美の岡持ち
アホを演じることにかけては天才と言われた
役者、藤山寛美。
彼が舞台裏で片時も手放さなかった道具は
岡持ちだった。
化粧道具からタバコやのど飴まで、
舞台に立つための必需品がすべて詰まっていた。
役者と名乗ることにこだわった彼の言葉がある。
わしは、俳優やあらへん、役者や。
俳優の俳の字は、人に非ずと書くやろ。
芝居には役者の人間性が出るもんや。
そやから、わしは、人間を演じる、役者や。
彼の中には、人のおかしさや愛しさや、悲しさまでも。
人間を演じるための必需品が
ぜんぶ詰まっていたに違いない。
道具のはなし 御木本幸吉の矢立
道具の使い道は、ひとつではない。
うどん屋から始まり、青物、米、海産物を経て
真珠の養殖で財をなした商人、御木本幸吉。
彼は常に「矢立」を腰にさしていた。
ボールペンが普及し始めた時代に、
墨つぼと筆を携帯するための矢立は、
もはや消えゆく道具だ。
彼は、そんな矢立を愛用する理由をこう語った。
「武士の刀」のように、矢立は「商人の魂」だ。
と。
実際は、新聞社などマスコミが
矢立の物珍しさを面白がって紹介することが多く、
御木本の良い宣伝道具になっていたという。
商人は、道具の使い方も、さすがです。
道具のはなし カーライルとフランクリン
イギリスの評論家、
トーマス・カーライルは
人間は、道具を使う動物である
と言った。
ベンジャミン・フランクリンは
人間は、道具をつくる動物である
と言った。
私はどうだろう?
近ごろ、道具を愛でる動物、
になってはいないだろうか。
ケースに入れたままのとっておきのグラスを出して
今夜は一杯、やってみようと思う。
名雪祐平 10年02月28日放送
ショパン『帰る心臓』
ショパンは、パリで、死んだ。
彼の希望にそって、
心臓だけは
祖国ポーランドに戻った。
帰ることが
かなわなかった故郷へ。
せめてハートだけ、心臓だけは
帰りたかったのか。
Bon anniversaire!
あす3月1日は、
ショパン200回目の誕生日。
ショパン『祖国の音楽』
ポロネーズ ト短調。
この曲をショパンが作曲したのは、
なんと7歳の時だった。
ポロネーズとは、
祖国ポーランドに伝わる
民族舞曲。
ハタチで祖国を離れた後も
生涯にわたって
ポロネーズを作曲したショパン。
神経質といわれた男が
無条件に愛したポーランド。
祖国とは、親なのかもしれない。
ショパン『天才の初恋』
ワルシャワ音楽院で
10代のショパンは、
音楽の天才と絶賛された。
けれど、
どんな天才にも初恋はせつない。
僕は不幸なことに、
僕の理想を発見したようだ。
発見されたのは、
同じ音楽院で声楽を学ぶ
コンスタンチア・グワトコフスカ。
彼女がショパンに
振り向くことはなかった。
なぜなら、ショパンは
想いを告白するどころか、話しかけることさえ
できなかったのだ。
強烈なナイーヴさが生んだ曲。
♪ピアノ協奏曲 へ短調 第2楽章
片想いは、傑作の素。
ショパン『不幸な幸福』
25歳のショパンは、
16歳の貴族の娘マリアに
心を奪われた。
彼はプロポーズし、
彼女は受け入れたが。
この婚約を、
両親、胸の病、身分の差が
じゃまをした。
不幸が名作を生むのなら。
芸術家にとって、
不幸は不幸なのだろうか。
幸福は幸福なのだろうか。
ショパン『奔放と純情と』
なんて
感じの悪い女なんだろう。
そう思ったら、もう恋の兆候。
奔放な、小説家ジョルジュ・サンド。
純情な、作曲家ショパン。
正反対のN極とS極が
強烈な磁力で引かれ合うように。
二人は強く結びついた。
関係が破局するまで
8年間も続くなど、だれが予想しただろう。
その8年間に、
音楽史に残る傑作が次々と生まれた。
ピアノ音楽史上の傑作とされる、
ピアノソナタ第3番もそう。
♪ピアノソナタ第3番
こんな曲を男に書かせるなんて、
なんて
いい女なんだろう。
ショパン『最期の美女』
ショパンの最期を
看取った
絶世の美女がいる。
ポーランド貴族出身の
ポトツカ夫人。
ショパンとは、
古くから交友があり、
小犬のワルツを贈られてもいた。
しかし、客観的事実が
ほとんどわかっていないため、
二人が恋人だったかも、謎。
永遠の、二人だけの秘めた恋、
なのかもしれない。
ショパン『登竜門』
5年に1度の
ショパン国際ピアノコンクールが
今年開催される。
どんな天才が世界中から
あつまるだろうか。
日本人初の優勝者は出るだろうか。
Bon anniversaire!
今年3月1日は、
ショパン200回目の誕生日。
保持壮太郎 10年02月27日放送
宮本武蔵
天下無双の剣豪、
宮本武蔵。
勝利を追求しつづけた人生が
そこにはあった。
そんな彼によれば
恋愛にも
必勝法があるという。
師曰く、
恋をせば 文ばしやるな 歌よむな。
一文なりと銭をたしなめ。
恋をしたならば、
ラブレターなんて書くな。
歌なんぞ詠むな。
とにかく一円でも多く
お金をためなさい。
どうやら恋愛も、
勝利のためには、
手段を選んではいられないらしい。
ネルソン・マンデラ
期待をしない。
希望をもたない。
そんな人生も悪くない。
けれども
ネルソン・マンデラの人生は違った。
牢獄の中で27年間。
彼は自らの希望のために闘いつづけた。
そして国を動かした。
のちに彼は、
南アフリカ大統領の就任スピーチでこう語った。
わたしたちが怖れているもの。
それは自分が無力だということではない。
わたしたちが最も怖れているもの。
それは自分には計り知れない力があるということだ。
そこには不安がある。
失望への恐怖がある。
そんな人生のなんと素晴らしいことよ。
リー・ストラスバーグ
リー・ストラスバーグの
名前は知らなくとも
彼の教え子の名前なら
あなたも知っているはずだ。
アル・パチーノ
ロバート・デニーロ
ジェームス・ディーン
ダスティン・ホフマン
ジャック・ニコルソン
数々の名優たちが
ストラスバーグの主催する
アクターズ・スタジオで
その演技を磨いた。
主役なんてものは存在しない。
人生には主役なんてない。
誰もが登場人物にすぎないんだ。
そんな彼の教えは、
幾人もの魅力的な主役を
スクリーンへと送り出していった
ハル・ベリー
女優、ハル・ベリー。
2001年、
アフリカ系アメリカ人女性として
初めてアカデミー主演女優賞を受賞。
けれども僕たちが
彼女の本当の偉大さを知ったのは
それから2年後のことだ。
その年、
不幸なことに
彼女の主演作が
最低な作品に贈られる映画賞
ゴールデンラズベリーアワードを
受賞することになった。
なかば冗談として行われたラズベリー賞の授賞式。
なんとそこには、
ハル・ベリー本人の姿があった。
そればかりか彼女は、
左手にオスカー像、
右手にラズベリー像を握りしめて
スピーチをし、
あげく涙まで流してみせた。
偉大なる女優の
すばらしい演技に
観客たちは万雷の拍手でこたえた。
伊丹十三
男は、
51歳にして
映画監督になった。
彼は映画監督である前に、
俳優だった。
エッセイストだった。
雑誌編集者だった。
デザイナーであり
イラストレーターであり
CMプランナーでもあった。
ドキュメンタリー作家と
呼ばれたりもしていた。
だからだろうか。
伊丹十三が撮る映画は、
いつも
あちこち
普通じゃなくて
なんだかとても
おもしろかった。
柳宗理
柳宗理のつくるやかんは、
やかんらしいカタチをしている。
けれどもそれはとても美しい。
やかんが美しいなんて
思ったこともなかった。
そんなことに気づかされるくらいに。
彼は言う。
本当の美は、生まれるもので、つくり出すものではない。
柳宗理のつくるやかんは、
やかんらしいカタチをしている。
だからこそそれは
とてもとても美しい。
坂本和加 10年02月21日放送
蕎麦と当麻庄司①
重ねたセイロを「手持ち・肩持ち」で
自転車にまたがり、蕎麦を運ぶ。
昔ながらのスタイルで出前中の蕎麦屋を、
つい最近、青山で見かけたのだから、驚く。
カブの後ろに装着する
あの「出前機」が普及してからは、
こういった光景も、事故も、ずいぶん減った。
発明者は、当麻庄司。
目黒にあった蕎麦屋の主人だ。
この発明で、当麻は紫綬褒章を受章した。
蕎麦とライ・クーダー②
江戸蕎麦の老舗といえば、のれん御三家。
更科なら白、砂場なら黄色、
藪なら緑がかった蕎麦を出す。
もちろん、汁の濃さや味も変わる。
中でも藪は、出前に適さない蕎麦だから
忙しい職人や通行人が相手だった。
もし東京で、その味や風情を楽しむなら、
「神田 やぶそば」がいい。
むかしライ・クーダーがここへきて、
「シンギング・ソバ!」と感激した蕎麦。
なぜ、シンギングなのか。
野暮は言わずに。どうぞ、お店へ。
蕎麦と落語家、林家彦六③
お蕎麦の「にっぱち」は、
つなぎの割合のことだと思われているが、
じつは「かけそば一杯」が、16文だったことから
「ニハチ、ジュウロク」で
「にっぱち」になったという説が、
どうやら近ごろでは有力らしい。
落語に「時そば」という
有名な演目があるが、
どうせお金を払うなら、
やっぱり、うまい蕎麦だろう。
「蕎麦は、
当たりはずれが多いから気をつけろ」と
言ったのは、今は亡き林家彦六師匠。
たしかに、扇子で蕎麦をたぐるのも芸のうちなら、
うまい蕎麦を知っていなければ。
さすがは彦六師匠…と思いきや、
本人はコーヒーやカレーなどの洋食を
好んでよく食べていたそうだ。
もとより、有名な落語家になるほど、
蕎麦を人前で食べるのを嫌がるのだそうだ。
それはじろじろ見られることよりも、
まずい蕎麦でも、うまそうに食べなきゃならないことのほうが、
ほんとうは、つらいからかもしれない。
蕎麦と松平治郷④
東京から遠くはなれた島根県もまた、
うまい蕎麦のみつかる土地だ。
出雲蕎麦の文化を運んできたのは、
松江7代目藩主、松平治郷。
江戸で覚えた蕎麦が、忘れられなかったのだ。
茶の世界では不昧公の名で知られるこの殿様は、
とっても風流で、オシャレに生きた。
茶を立て、道具求めて、蕎麦を食い、
庭を作りて、月花見ん、このほか大望なし、大笑、大笑。
蕎麦と夏目漱石⑤
東京で生まれ育った文豪、
夏目漱石も、蕎麦はよく食べていたようで
多くの作品に蕎麦の描写を書き残している。
熊本から上京してきた『三四郎』は、
蕎麦屋で日本酒を飲むことを覚えたし、
かの『坊っちゃん』も、
道すがら見かけた蕎麦屋が
どうしても素通りできなくて
つい暖簾をくぐってしまうほどの蕎麦好き。
けれど、『我が輩は猫である』の登場人物、
迷亭先生はちょっと違う。
通人ぶった蕎麦講釈をのたまう、鼻つまみ役だ。
あげくに、つけすぎたワサビにむせてしまい、
迷亭先生は、作者・漱石にやり込められてしまう。
それは、蕎麦をたぐることに粋を見いだし、
知識をひけらかすスノッブたちに閉口する、
漱石なりのアンチテーゼのようにも思える。
甘党で知られる漱石にとっては、
されど蕎麦より、たかが蕎麦。
うまければそれで結構、と思っていただろうから。
蕎麦と宮沢賢治⑥
宮沢賢治もまた、蕎麦好きの文人。
「原稿料が入ったら、BUSHへいきましょう」と
うれしそうに、友人を誘った。
賢治が蕎麦屋をBUSHと呼ぶのは、
店名が「やぶ屋」だから。
そこの天ぷら蕎麦が、
賢治の大のお気に入りだったようで、
サイドメニューは酒でなく、サイダーを頼んだ。
天ぷら蕎麦、15銭。サイダー、23銭の時代に。
「やぶ屋」は、現在も
賢治の故郷、花巻市にある。
名物は、わんこそば。
天ぷら蕎麦はサイダーより、今は高い。
蕎麦と片倉康雄⑦
蕎麦職人の世界で、
きっと片倉康雄を知らないひとはいない。
片倉は、蕎麦職人も通う
手打ちの名店、一茶庵の創業者。
師を持たず、まったくの
独学で蕎麦料理を完成させた。
片倉が目指したのは、
毛のように細い、蕎麦の味。
それは、片倉の幼い頃、
大好きだった母の打ってくれた、蕎麦だった。
江口順也 10年02月20日放送
クリスト
ときに人間は、
情けないほど鈍感で。
なにかを失って初めて、
その尊さや意味に気づく。
そんな性を、逆手に取った芸術家がいる。
包むアーティスト、クリスト。
その作風は、ひとことで言うと「梱包」。
パリのポン・ヌフ橋、
ドイツの旧国会議事堂、
マイアミの島々、
オーストラリアの海岸。
彼は、美しい大自然や巨大な建築物を
布ですっぽり覆い隠して、
ものの本質を私たちに突きつけてきた。
そんなクリストが、
いま、いちばん梱包したいもの。
きっとそれは、地球に違いない。
江國香織
むかし、炊飯器の広告で、
「お米が立っている」
というコピーがあったけど。
この本の言葉たちは、
まさにジャーの中のごはんそっくりに
ぎっしり立っている。
作家の江國香織さんは、
ある新聞の書評欄に、そう書いた。
ことばは、おこめ。
ひと文字、ひと文字、
よく噛み締めて、味わえば、
新しい私が作られる。
それがきっと読書の醍醐味。
醍醐味の味(み)は、
味(あじ)という字だ。
中村俊輔
芸術的なフリーキックや、
精密機械のようなパスとは別に。
中村俊輔にはもう一つ、
だれも持っていない武器がある。
15年間書き続けた、
サッカーノートだ。
自分の弱点を毎日丹念に書き付けた12冊のノートは、
戦友であり、辛口の専属コーチ。
苦しい時ほどページをめくり返し、
危機を乗り越えてきた中村は、
現在、スペインのリーグでプレイをしている。
その舞台は、今から5年も前に、
未来の目標として、
ノートに書き込まれた場所だった。
勝 海舟
勝海舟は、交渉の達人だった。
大奥の最大権力者である
天璋院篤姫が、プライドを傷つけられて
カンカンに怒ったある日のこと。
勝にとって彼女は、
今で言えば、社長の奥様。
その篤姫が、
怒りのあまり自害するといってきかないときに、
勝はスキを見て、こう申し出た。
あなたが亡くなれば、
私だって、ただじゃ済みませんので、
すぐさま、お隣りで切腹します。
すると大変お気の毒ですが、
私とあなたは心中とか何とか言われますよ。
篤姫は、さっきまでとは違う意味で、
顔を真っ赤にして、ふりあげた刀を下ろしたそうだ。
この勝負、勝の勝ち。
ブルース・リー
TVのインタビューで、
達人は、こうみんなに語りかけた。
こころを空っぽにして
形をすてろ 水のように
水は流れることも
水は砕くこともできる
友よ、水になれ
ブルース・リー。
型を繰り返し、型を重んじることで
カンフーの道を極めた男は、
型から自分を解き放つことの
たいせつさも知っていた。
それは、どんな道にも通ずる哲学。
アンリ・マティス
むずかしい解説や論評を前に
アートにひるんでしまったことがある人には。
マティスの絵をおすすめしたい。
彼は、こんなことを言っている。
私は人々の疲れをいやす、
よい「肘掛けイス」のような芸術を
目指したい。
肩の力を、ゆっくり抜いて。
ただ感じるままに眺めればいいのだ。
中村直史 10年02月14日放送
恋について/ロマン・ロラン
好きな人に
好きということを、
ためらっている人へ。
ノーベル文学賞作家
ロマン・ロランから、
激励のメッセージが届いています。
恋は決闘です。右を見たり、左を見たりしていたら敗北です。
右も左も見ないとなると、
真正面から
ぶつかるしかない。
勝利を祈ります。
恋について/白洲正子
いい男にめぐりあえない、
と言う人がいた。
それは残念。
でももし、
いい男がいるのに
気づいていないのだとしたら、
もっと残念。
では、いい男の見極め方とは?
骨董の目利きとしても一流だった
随筆家、白洲正子はこう言っています。
モノも、人も、「本物」は物欲しそうな顔をしていない。
どうです?
あなたの知っている
だれかの顔、
思い浮かびましたか?
恋について/エカテリーナ2世
気に入った異性は
いくらでも
手に入れることができる。
もしそんな立場にいたとしたら、幸せだろうか。
ロマノフ朝の第8代ロシア皇帝
エカテリーナ2世。
生涯に数百人の愛人を持った、
と言われている。
ただ、その中で本当に愛した男はただひとり。
映画のタイトルにもなった、陸軍主席大将ポチョムキンである。
生涯で1000通を超える
ラブレターを交換しながら、
ポチョムキンは、
いつしかエカテリーナ2世に対し
彼女好みの若い男を見つくろう役となる。
愛する男を愛するだけでは
足りないなんて
ちょっと悲しい気もする。
恋について/若山喜志子
若山牧水は
旅する歌人だった。
だから、
牧水の妻、若山喜志子は、
旅人を待つ歌人になった。
彼女がこの世でいちばん
好きだったのは夫の足の音(あのと)、
つまり足音。
いそいそと大地踏みならし来る君の足の音(あのと)より世に恋しきものはなし
あなたのオフィスや
教室にもいませんか。
足音だけで気づいてしまう人。
恋について/元良親王
いつの時代も面倒である。
好きになってはいけない人を
好きになってしまうのは。
その人は、こともあろうか
天皇が愛する女性に恋してしまった。
元良親王という悩める男の
究極の面倒な恋。
だが、そんな面倒な恋心が、
1000年以上も歌い継がれることになった。
百人一首に出てくるあの歌だ。
わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢わむとぞ思ふ
逢ってしまえば、
罰を受け生きてはいけぬだろう。
しかし逢わなければ、
恋しさで生きていけぬだろう。
どうせ身を滅ぼすのなら、
あなたに逢おうと思う。
こんな話が、
子どもの遊びにも
使われているなんて、
ずいぶん粋な国だ。
恋について/フランソワーズ・ジロー
ピカソが絵を描き続けた原動力は、
恋愛だった。
精力的に作品を送り出しつづけ、
精力的に女性を手に入れた。
そしてそのすべての女性が
ピカソから逃れられなくなった。
ただ一人を除いて。
フランソワーズ・ジロー。
ピカソを捨てた唯一の女性。
私は愛の奴隷にはなっても、あなたの奴隷にはならない。
屈辱もまた
ピカソにとって
創作意欲となりえたのだろうか。
恋について/恋愛部長
今日、意中のあの人に
思いを告げ、
そして叶わなかった
すべての女性へ。
多くの迷える女性を叱咤してきた
カリスマブロガー、
「恋愛部長」はこう言っています。
一度脈なし、と思ってても、その後の出方次第では、逆転は可能。
なぜなら、
人の気持ちなんて5分で変わるから。
今日はまだスタートです。
信じてみませんか。