小山佳奈 10年02月13日放送
小林秀雄
この世でいちばん難しいのは
人を励ます、ということだ。
入院中の坂口安吾を
見舞った小林秀雄。
ヒロポンの過剰摂取で
病院にかつぎこまれた安吾に向かって
「大馬鹿野郎、大馬鹿野郎」と
何十回も浴びせかけた。
そのとき安吾は
見たこともないほど
ニコニコと笑っていたという。
人を励ますということは
本当に難しい。
アインシュタイン
「死とは、
モーツァルトを
聴けなくなることだ。」
かのアインシュタインが
のこした有名な言葉。
しかしこれ、
実は従兄弟の音楽家、
アルフレート・アインシュタインが
言ったという説もある。
相対性理論とモーツァルト。
この組み合わせの方が
たしかに神秘的でかっこいい。
名言とは
残された者たちの
感傷がつくりだす
のかもしれない。
ネロ
希代の暴君、
ローマ皇帝ネロ。
彼はわざわざ
アルプスから万年雪を
奴隷に運ばせて
はちみつを混ぜて
デザートをつくらせた。
「ドルチェ・ビータ」
それが、
アイスクリームの起源。
苦い歴史でできあがった
甘い禁断。
いまの季節、
こたつに入って食べると
特にいけない味がする。
アラン
フランスの偉大な哲学者、
アラン。
「幸福論」で有名な彼が
初めて結婚したのは77歳の時。
思いをよせつづけた女性と
運命の再会を果たしプロポーズ。
人生の終わりに訪れた
最高の最大の幸福であったはず。
しかし、
あらゆる幸福についての記述がある「幸福論」には
彼自身の幸福については一切書かれていない。
どんな哲学者だって
ほんとうの幸福は
胸にしまっておきたいもの。
エスコフィエ
フランス料理の神様、
オーギュスト・エスコフィエ。
彼がいまだに神様と
いわれる理由は
いくつもある。
多くの文化人をうならせ
時には皇帝さえもひざまづかせる腕。
つくったレシピは5000以上。
貧しい人には無償で料理をふるまった。
でも何より賞賛されるべきは
コース料理という概念を
つくりだしたこと。
おかげで一流レストランでも
限られた予算で
食事ができるようになった。
お会計にびくびくしたくないのは
今も昔も同じ。
宮良長包
「沖縄よいとこ 一度はおいで
さぁユイユイ」
二月の憂鬱に負けそうになったら
沖縄民謡「安里屋ユンタ」を聴こう。
作者の宮良長包は言う。
「音楽は栄養です。」
三線の音はたしかに体にしみこんで
心に春を呼んでくれる。
そういえば沖縄では
すでに桜は満開。
「春夏秋冬 花見て暮らす
さぁユイユイ」
八木田杏子 10年02月07日放送
梨木香歩
怒りにまかせて言葉をぶつけると、
言ってはいけない真実をついてしまう。
それで、すっきりする人がいる。
そこで、後悔する人もいる。
梨木香歩が書く主人公は、
傷つけてしまった人に、こんな風に謝る。
さっきは少し、自分に酔い、
勢いをつけなければ誘惑に負けそうだった。
心の揺れをすなおに言葉にできる人は、
傷つけてしまっても、もっと深くつながれる。
夏目漱石
感性のきめが細かい人ほど、
生きることに足がすくむ。
社会の矛盾、人間の本性
気づかなくてもいいことに
気づいてしまうからだ。
そんな人のために、芸術があると、
夏目漱石は考えていた。
住みにくき世から、
住みにくき煩いを引き抜いて、
有難い世界をまのあたりに映すのが詩である、画である。
あるいは音楽と彫刻である。
簡単に言うとこういうことだ。
芸術は人を幸せにするために存在する。
まど・みちお
不幸をひっくり返して、
幸福にできる人がいる。
詩人まど・みちおは、
苦しみをじっと見つめてから、
それを喜びに変えるための、きっかけを見つける。
妻のアルツハイマーが、重くなっていったとき、
まど・みちおは苦悩する。
毎日欠かさない日記には、
暗い想いが否定的な言葉になって、綴られていく。
それがある日、一変する。
アルツハイマーが、「アルツのハイマくん」に変わるのだ。
そのときから、妻の粗相も自分の失敗も、
すべて笑いのタネになった。
そうして生まれた詩が「トンチンカン夫婦」。
明日は また どんな
珍しいトンチンカンを
お恵みいただけるかと
胸ふくらませている
まど・みちおは、
世界をひっくり返すために、言葉を探す。
外山滋比古
記憶力が悪いのはいいことだ。
ベストセラーの「思考の整理学」を書いた
外山滋比古は、忘れるチカラを見直している。
忘却をくぐらせて枯れた知識のみが
あたらしい知見を生み出す。
つまり、忘れることで、閃くらしい。
記憶力が悪くて受験で苦しむ人は、
アイデアが閃きやすい体質だ…と思うと
人生の帳尻が合うような気がする。
シューベルト
シューベルトは、
8歳で「野ばら」を書き、
19歳で「魔王」を書いていた。
それでもまだ、
音楽家として認められない彼は、
音楽家として生きる覚悟が揺れていた。
だからといって父親に言われるままに
教員を目指してみても、上手くはいかない。
見かねた親友のシュパウンが、
シューベルトが書いたゲーテ歌曲を、
ゲーテ本人に送ることを思いたつ。
しかし、ゲーテからの返事もない。
それでも、シューベルトは友情に恵まれていた。
部屋も食事も楽譜にかかるお金も
すべて彼の才能を信じた友人たちが援助した。
ゲーテに無視された「魔王」も、
友人たちの頑張りで自費出版できたのだった。
シューベルトの才能を、
ひっぱりだしたのは、友人たちのチカラ。
天才だって、ひとりでは闘えない。
岡本太郎
岡本太郎は、
だれでも岡本太郎になれると思っている。
いや、自分は才能もないし下手だからと言うと、
こんな言葉で返される。
才能なんて、ないほうがいい。
自由に明るく、
その人なりの下手さを押し出せば、逆に生きてくる。
でも、自分は強くは生きられないと答えると、
こう反論される。
弱い人間とか未熟な人間のほうが、
はるかにふくれあがる可能性をもっている。
できない言い訳を、ひとつひとつ潰していくと、
岡本太郎ができあがる。
寺田寅彦
エッセイを書いた最初の科学者
寺田寅彦は、どんなに締め切りが重なっても、
遅れることがない。
執筆の依頼がきて、書きたいと思ったら、
その日のうちに、書き上げてしまうから。
締め切り前に、胃がキリキリすることもない。
なかなか真似できないけれど、
真似してみたいやり方ではある。
佐藤延夫 10年02月06日放送
社長は語る/吉田拓郎(小6)
ヤエヤマアオキをご存知ですか。
ハワイの言葉で「ノニ」。
健康食品として注目されている植物です。
久米島に、ノニを原料にしたジュースや石鹸などを販売する会社があります。
社長は、吉田拓郎さん。
あの人と同姓同名の、小学6年生。
ちなみにお母さんが秘書で、
営業部長はお姉さんです。
そんな社長の夢。
少し大きくて、日本で少し知られていて
3回飯が食べられるぐらいの会社にすること。
この子ども社長は、大人が見失ったものを
ちゃんとわかっている。
社長は語る/松下幸之助
寒いから、下を向く。
景気が悪いから、下を向く。
転んでしまわないように、下を向く。
石橋を叩いても渡らないようなこのご時世。
あまり慎重になりすぎると
目の前にチャンスが訪れても
気付かずに通りすぎてしまいそう。
こんなときこそ真正面を向いて
思い切り走ってみるのがいいのかも。
松下幸之助さんは、こう言っています。
こけたら、立ちなはれ。
この気楽な言葉が、
今の時代を救うヒントのような気がしませんか。
川端康成
仕事でもかまいません。
辛い恋でも、くだらない中傷でも結構です。
何かを忘れるために、雪を見に行きませんか。
きっと心が真っ白になるはず。
たとえば、川端康成の小説「雪国」の舞台となった新潟県湯沢町。
「国境の長いトンネルを抜けると・・・」で有名なあの場所には、
一面の銀世界が広がっています。
そうそう、「雪国」には、もうひとつ有名なフレーズがありました。
なんとなく好きで、
その時は好きだとも言わなかった人のほうが、
いつまでもなつかしいのね。
忘れられないのね。
別れたあとってそうらしいわ。
真っ白な雪を見ても、恋の残り香は消えないかもしれません。
やなせたかし
それは、間近に控えた受験だったり。
終わりの見えない仕事だったり。人生だったり。
毎日頑張ってはいるけれど、
得体のしれない不安に包まれる。
そんなときは、
心の中のモヤモヤが消える魔法の言葉を思い出しましょう。
何のために生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ
何が君の幸せ 何をして喜ぶ
わからないまま終わる そんなのは嫌だ
若い人ならきっと、
アンパンマンのうたを歌ったことがあるはず。
くじけそうなときには、そっと口ずさんでみましょう。
勇気が湧いてきますから。
今日2月6日は、アンパンマンの生みの親、
やなせたかしさんが生まれた日。
ビスマルク
最近の若い奴は・・・
なんてセリフは、いつの時代にもある愚痴ですが、
現在の若者事情はどうなんでしょう。
仕事をする意味が見いだせない
将来の夢がわからない
マニュアルがないと動けない
どうやら、こんな悩みを抱える若者が多いようで。
ドイツの政治家、ビスマルクの言葉です。
青年に奨めたいことは、ただ3つの言葉に尽きる。
すなわち働け、もっと働け、あくまで働け。
なかなかスパルタですね。
変に悩まずに汗を流すことも、案外気持ち良かったりして。
ブラックジャック
寒くて、朝起きるのが辛い。
このまま眠っていたい。
休んじゃおうかな。
毎朝布団の中で、同じことを考えてしまう皆さんへ。
仮病で休んでしまおうかと、こっそりたくらむ皆さんへ。
かの有名な天才外科医、ブラックジャックは、こう言っています。
仮病は、この世でいちばん重い病気だよ
でも一日くらいなら、許してもらいたいですね。
蛭田瑞穂 10年01月31日放送
武田百合子 1
武田百合子を語る時、まずその職業から、と思うのだが、
困ったことに彼女は肩書を極端に嫌う人だった。
夫、武田泰淳の死後、富士山麓での生活を綴った
『富士日記』を発表し、鮮やかに文壇デビューした後も、
「文筆家」と名乗るのを拒んだ。
ある原稿の肩書が「故武田泰淳夫人」となっていた。
それでは困ると編集者が言うと、彼女は笑って答えた。
じゃあ主婦にしてください
さて、武田百合子を何から語りはじめよう。
武田百合子 2
武田百合子夫妻が富士山麓に山荘を構えたとき、
夫泰淳は、百合子に日記を書くよう勧めた。
彼女は首を横に振って、それを渋った。
しかし泰淳はなおも説得を重ねた。
どんな風につけてもいい。
何も書くことがなかったら、
その日に買ったものと天気だけでもいい。
日記の中で反省はしなくてもいい。
反省の似合わない女なんだから。
後年、武田百合子の名を世に知らしめた『富士日記』は
夫の説得の末に生まれた作品である。
武田百合子 3
戦後間もない東京、神田に
「ランボオ」という名の喫茶店があった。
作家武田泰淳はその店の常連客だった。
泰淳は店の女に恋をしていた。
しかし、その恋の進展ははかばかしくなかった。
女は美人で、まわりにはいつも彼女目当ての客がいた。
あるとき泰淳は、女にチョコレートパフェをおごった。
女はうれしそうにそれを食べた。
アメリカ製のチョコレートパフェは当時高級品だった。
それ以来、泰淳は店に来ると
女にチョコレートパフェをおごるようになった。
好きなものを食べさせて、
自分は黙って、はずかしそうに焼酎を飲んでいる。
そんな泰淳を女はいつしか好きになった。
女の名は、鈴木百合子。
のちに武田泰淳と結婚し、武田百合子となるその人である。
もし、チョコレートパフェがなかったら、
武田百合子という稀代の文章家は
生まれていなかったかもしれない。
武田百合子 4
「美しい」という言葉を簡単に使わない。
武田百合子はそう決めていた。
景色が美しいと思ったら、どういう風かくわしく書く。
心がどういう風かくわしく書く。
「美しい」という言葉がキライなのではない。
やたらと口走るのは何だか恥ずかしいからだ。
美しい文章を書こうと思ったら、
美しいものを美しいと書いてはいけない。
勉強になります。
武田百合子 5
戦後間もない頃、「ランボオ」という喫茶店で
武田百合子は働いていた。
作家たちの溜まり場として繁盛していた店の常連客に、
のちに百合子の夫となる武田泰淳がいた。
痩せて元気がなく、女に話しかけるのが下手な人、
というのが百合子の印象だった。
泰淳からの求婚を受けたときも、
それをありがたく思う気持ちはなかった。
戦争で焼け野原になって、
ずっと酒を飲んでいる百合子に、
先のことは何も考えられなかった。
しかし、ともかく、ふたりは結婚する。
以後泰淳の死まで結婚は25年間続くことになる。
結婚することを、俗にゴールインと呼ぶ。
だが百合子と泰淳、ふたりにとってそれは、
ゴールではなく、スタートだった。
武田百合子 6
武田百合子は戦争を経験している。
空襲で家が焼け、親類を渡り歩いた。
裕福だった少女時代から一転、生活は貧窮の底に落ちた。
七月三十日(金) くもりのち晴れ、風涼し
朝起きぬけに、花畑のまんなかで
髪の毛をとかしているといい気持だ。
朝 麦飯、じゃがいもベーコン炒め、さばみりん干し、のり
夕食 麦飯豚ロース
『富士日記』に繰り返し綴られる、平凡な日々。
しかし、平凡な日々の中にこそ、幸せがある。
武田百合子 7
武田百合子の『富士日記』は、
富士山麓に山荘を建てた昭和39年に始まり、
夫武田泰淳が他界した昭和51年に終わる。
13年の間に、溜まった日記帳はじつに12冊。
「長い間よくあきずに書きましたね」
百合子はよくそう言われた。
その度に彼女は胸の内でつぶやくのだった。
私だってキョトンとしているのだ。
よくまあ、この私が書き続けたものだ。
坂本和加 10年01月30日放送
ハチ公と上野博士①
秋田で生まれたハチが
上野博士の住む東京へ
もらわれてきたのは、子犬の頃。
博士は、上野英三郎さんといって、
東大の先生だった。
いまや近代農業土木の祖と言われるくらい、
エライ先生だったそうで。
その博士とハチが
過ごしたのは、たったの1年3ヶ月。
けれど、犬たちにとっては、
それは10年近くの歳月。
忠犬ハチ公の話は、
帰らぬ主人を待ち続けた
かわいそうな話ではない。
それは、我が子のように
深く愛された、犬の話。
ハチ公と上野八重子②
ハチは、子犬の頃から
丈夫な犬ではなかったそうだ。
「ハチはよくおなかを壊すから」といって
上野博士の奥様、八重子夫人は、
付きっきりの看病をよくした。
いつものように見送りにいき、
そのまま博士が帰らぬひとになってからは、
奥様が内縁だったため、
これまでの暮らしができなくなった。
ハチをよそへやったのは、
奥様は犬が嫌いだったから
と言うひとがいるけれど。
そうではなくて、
博士を恋しがるハチを見るのが
誰よりもつらかったから。
ハチ公と小林菊三郎③
植木屋の菊さんは、
2番目のハチのご主人だ。
菊さんは、亡くなった最初の
ご主人のお屋敷の庭師で、
秋田からやってきたハチを
東京駅まで引き取りに行ったのも、菊さんだった。
「ハチはご主人の形見だ」といって、
繋がずに、放し飼いにしたのも、菊さん。
だから、ハチは、
10年近くも渋谷に通いつづけられた。
ハチ公と斉藤弘吉④
もし、斉藤弘吉さんという方が
新聞へ寄稿しなかったら
ハチがこれほど有名になることも、
渋谷に銅像として飾られることも、
なかっただろう。
ハチをずいぶん前から知っていた
斉藤さんは、日本犬保存会の会長だった。
だから、渋谷駅で野良犬のように扱われる
秋田犬をふびんに思ったのだろう。
「いとしや老犬物語」という記事が
新聞に載り、ハチはいつのまにか
「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになった。
ハチ公と安藤照⑤
ハチが新聞に載ってから
日本中がハチ公ブームだった。
銅像は、ニセモノが出回る前にと、
彫像家の安藤照が、大急ぎで作った。
けれど、現在の銅像は
そのときのものではない。
戦時下の金属回収で、ハチ公は
いちど渋谷から姿を消し、
戦後、GHQの後押しと
子どもたちの募金活動により
ハチはふたたび渋谷に帰ってこれた。
忠犬ハチ公⑥
忠犬ハチ公と呼ばれ
一躍有名になった後も、
迎えの時間になれば渋谷駅へ向かい
帰らぬ主人を待っていた、ハチ。
年老いて、足がふらついて
目や耳が悪くなっても。
帰らぬ主人を「わかっていた」と言うひとがいる。
けれど、ハチにとっては、
主人を待つことが、この上ない、しあわせ。
ハチのお墓は、青山霊園にある。
大好きな大好きな、上野博士の隣に。
名雪祐平 10年01月24日放送
スティーブ・ジョブス
iPod、iPhoneが発表されるまで、
世界の多くのメーカーが、
こう考えていたかもしれない。
自分たちの製品が、
いちばん新しいと。
アップルのCEO、スティーブ・ジョブスは
スタンフォード大学の講演で
学生にこんな言葉を贈った。
Stay Hungry,
ハングリーであれ、
Stay Foolish.
バカであれ。
いま、世界でも
最高レベルの
経営者からの言葉。
ユル・ブリンナー
テレビ画面から、
このまえ肺癌で死んだはずの俳優が
語りかけてくる。
私はいま、この世にいないが
みなさんに言っておこう。
タバコは吸うな。
何があってもタバコだけは吸うな。
ヘビースモーカーだった俳優、
ユル・ブリンナーが
死を目前に撮影にのぞんだテレビCMだった。
全米が度肝を抜かれた。
1980年代の
禁煙運動を象徴する出来事だった。
ヴァネッサ・パラディ
1987年に14歳で歌手デビューし、
フランスで一気に大スターになった
ヴァネッサ・パラディ
成功した彼女は、こう言った。
お金には興味ないの。
でも、お金のことを考えなくてすむなら、
お金を持ってるのも悪くないわね。
手に入れたのは大金だけではない。
最もセクシーといわれる男、
ジョニー・デップとの間には
二人の子どももいる。
人生は、ちょっと不公平かも。
細川ガラシャ
細川ガラシャは、
ラテン語の聖書を読めるほど
知的な女性だった。
父は明智光秀。
本能寺の変から、娘の運命も翻弄され、
やがて、死を選ぶ日が来る。
その辞世の句。
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の
花も花なれ 人も人なれ
ガラシャとは、
ラテン語で“神の恵み”の意味という。
白石一郎
海、という字がついた
タイトルの本は売れない。
そう編集者は言った。
そんな馬鹿な。
長崎県壱岐で育った作家、
白石一郎は反発した。
白石は7回も直木賞候補になりながら
落選しつづけ、
実に8回目に受賞となる。
候補作で、
海の字がつく小説は3つもある。
受賞作『海狼伝』は、
海洋歴史小説の傑作。
海の字がつくベストセラーとなった。
白石一文
こんども、父は謝っている。
直木賞受賞の知らせを
一緒に待ってくれた編集者に、
またこんども、父は。
直木賞なんか、なければいいのに。
落選しても、落選しても、父は書いた。
その姿が、
息子を小説家にしたのか。
父、白石一郎は
8回目の候補で直木賞受賞。
息子、白石一文も
落選を経験し、この冬、受賞。
直木賞を好き、くらいは言おうか。
息子は思った。
トルストイ
ロシアの文豪トルストイは、
82歳にして家出した。
もう、うんざりだ。
作品の版権に強欲な妻と
ののしりあう日々は。
家出したまま、肺炎で亡くなった。
最期の言葉は、
妻を私に近づけるな。
文豪は逝き、そして、版権だけが残った。
小山佳奈 10年01月23日放送
サイモン&ガーファンクル
二人は怒っていた。
自分たちの曲を
プロデューサーが無断で
ロック調にアレンジして
発売してしまったのだ。
一人は大学に戻り、
一人は母国に戻る。
その曲があっという間に
全米ナンバーワン・ヒットに。
サイモン&ガーファンクル、
「サウンド・オブ・サイレンス」。
そういえばいまだに
彼らはライブでこの曲を
アコースティックバージョンで
歌うことの方が多いとか。
その人間臭さもまた魅力。
吉行淳之介
作家、吉行淳之介は、
女性の気持ちがよくわかっている。
女優、宮城まり子の部屋に
初めてやってきたときに
本棚を見てつぶやく。
「僕の持っている本と似ているね」
その一言で、37年間、
彼女は彼から離れられなくなる。
男が女を口説くとき、
大仰な愛の言葉は必要ない。
皆川明
色と線を無限に組み合わせ
一枚の布に物語をつむぐ。
テキスタイルデザイナー、
皆川明はこう言う。
「短期間で魅力がなくなるのは
デザインの力が弱いからだと思うのです。」
そんな彼のブランド「mina」は
必要があれば、
何年前のコレクションの服でも
修繕を引き受ける。
「100年後にも愛される服。」
彼の辞書に、
ファストファッションなんて
文字はない。
ジョー・ストラマー
パンクというものが、
労働者階級の特権だとしたら、
彼はパンクではないかもしれない。
ザ・クラッシュのボーカル、
ジョー・ストラマー。
彼は中産階級の出身だったし、
父親は外交官だった。
ただやみくもな怒りの暴走では
世界は何も変えられない。
音楽にできることは何か。
ライブ中にウイスキーの空ボトルを投げつけられた彼は、
笑ってこう言った。
「こんなことぐらいしかできないのか。」
そして、
降り注ぐウイスキーのボトルにも、
彼は笑って歌うことをやめなかった。
林正之助
吉本興業二代目社長、
林正之助は商いの天才だ。
1959年。
新しい舞台を始める際、
作家の原稿料に悩む
社員を叱りつけた。
「書いたことある人間に
書かせるから高いんや。
うちの社員なら金がいらんやろ。
おまえが書け。」
その舞台はじわじわと評判になり、
50年たった今でも、
大阪の土曜のお茶の間を沸かせる
「吉本新喜劇」となる。
無茶もあるいは
商才のひとつ。
西健一郎
色割烹「京味」の亭主、西健一郎は
初物好きのお客をこう諭す。
「早ければいいってものじゃない。
美味しいものと、
変わったものは違います。」
素材の一番美味しい時期を知って、
料理を作る。すなわち、
「味を迎えに行く。」
脂のよくのったブリ大根、
ぷりぷりのカキと味噌の土手鍋。
さぁ今日は、
どんな冬を迎えに行こう。
細田高広 10年01月17日放送
コーヒーに魅せられて ジャン=ジャック・ルソー
哲学者ジャン=ジャック・ルソーは、大の珈琲好きだった。
珈琲を切らしたときは窓を開けて
ご近所の家が珈琲豆を煎る香りを楽しんだという。
そんなルソーが、死ぬ間際に残した言葉。
あぁ、これで珈琲カップを手にすることができなくなった。
珈琲との別れ。それは一番大切な、
考える時間との別れを意味していた。
珈琲は、人間の思考を助ける「思考品」なのだ。
コーヒーに魅せられて 服部良一
大のビール党だった作曲家服部良一は、
ある日、大好きなビールを題材に曲をつくることを思い立つ。
タイトルは、「一杯のビールから」。
しかし、できあがった歌詞を手にして、服部は驚いた。
「一杯のコーヒーから」に、変わっていたからだ。
これは、作詞家の藤浦洸が、
ビールを飲まないコーヒー党だったことによる。
昭和14年。日本でコーヒーが曲のタイトルになった、
最初の事例と言われている。
一杯のコーヒーから、小鳥さえずる春も来る。
さぁ、熱いコーヒーを入れて、春を待ちましょう。
コーヒーに魅せられて T.S エリオット
わたしは、私の人生を、コーヒースプーンで測ってきた。
人の孤独を描きたかった詩人エリオットは、
単調で鬱屈した日々を、コーヒー豆を掬う動作の繰り返しに喩えた。
ひとりで飲み続けるコーヒーは、
ただ、苦いだけのものかもしれない。
「かもめ食堂」という映画は、私たちに
コーヒーを美味しく飲む秘訣をアドバイスしてくれる。
コーヒーは、他人に入れてもらった方が美味しいんだ
大切な人にコーヒーをいれてもらう幸福を知っていたら。
コーヒーを愛することが、
人と過ごす時間を愛することだと知っている人なら。
コーヒーは「孤独」の喩えにはなりえない。
コーヒースプーンで測る人生は、幸せだと思う。
コーヒーに魅せられて ジェームス・マッキントッシュ
今日、1月17日はセンター試験。
受験の本番がいよいよ始まりました。
眠い目をこすりながら勉強中の受験生のみなさんに、
『名誉革命史』を書いた
イギリスの下院議員、ジェームス・マッキントッシュ
の言葉を送りたいと思います。
人間の意思の力は、
その人が飲んだコーヒーの量に比例する。
努力とコーヒーは、きっと皆さんを裏切りません。
珈琲に魅せられて ジム・ラヴェル アポロ13号船長
「ヒューストン、問題が発生した。」
ジム・ラヴェル船長らを乗せたアポロ13号が、
トラブルに気付いたのは、
地球からおよそ321,860km離れた地点。
酸素タンクが突如、破裂したのだ。
少しでも電力を節約するために電気は切られ、
船内の気温は氷点下近くまで下がった。
恐怖と寒さに襲われた乗組員たちを、なんと言って励ますべきか。
ヒューストンは熱を込めて宇宙の仲間たちに伝えた。
君たちは今、熱いコーヒーへの道を歩いているのだ。
そのメッセージは、カフェインより強く
疲弊した乗組員たちの目を覚ました。
無事に地球に戻ってから、彼らはきっと珈琲を飲んだのだろう。
宇宙一、美味しい珈琲を。
コーヒーに魅せられて バルザック
死ぬまでアイデアが尽きることが無かったという、
文豪バルザック。
彼の創作活動は、珈琲に支えられていた。
夜中に50杯以上の珈琲を飲んでは、
原稿を書き、推敲を繰り返したというのだ。
コーヒーが腹中に入ると、即座に活気が出てくる。
ちょうど戦場における軍隊のように
いきいきとしたアイデアが生まれ、
記憶の中に眠っていたものが、
つぎからつぎへとその姿をあらわしてくる。
この世界には、
珈琲がなければ生まれなかった
アイデアが、きっと山のようにある。
コーヒーに魅せられて タレーラン
人は何故、珈琲を、
毎日飲んでも飽きないのだろうか。
皇帝ナポレオンに仕えた外交官、
タレーラン・ぺリゴールは、愛する珈琲をこう表現した。
悪魔のように黒く、地獄のように熱く、
天使のように純粋で、恋のように甘い。
悪魔と天使と地獄と恋が束になってかかれば
なるほど、飽きることはない。
江口順也 10年01月16日放送
勝新太郎
「男の意地」で、
ネットを検索しても
出てこないけれど。
あれは確かに、
役者という
生き様を商売にしてきた男の
意地だった。
癌にのどを犯されて、
休業を余儀なくされた勝新太郎。
復帰初日の記者会見。
医者に止められたから禁煙した。
もう煙草は吸っていない!
そう言ってカツシンは、
その場で1本、美味そうに火をつけた。
アイザック・ニュートン
およそこの宇宙における
すべての物質には、
互いに引き合う力が働いている。
アイザック・ニュートン、
万有引力の法則。
それは、
太陽と地球のあいだにも。
地球とリンゴのあいだにも。
つまり、ボクとキミのあいだにも?
なんて考えていたら、
ニュートンが最後にたどり着いた
答えがあった。
天体の動きはいくらでも計算できるが、
ひとの気持ちは、とても計算できない。
恋に法則は、
自分で見つけないと
ダメみたいだ。
二宮金次郎
年が明けると。
こどもの頃は、
よく先生や親に促されて答えていた、
「今年の抱負」。
大人になって、
すっかりおざなりになってしまったけれど。
かつて小学校で毎日会っていた、
二宮金次郎さんの意見を聞いてみよう。
聖人は欲が大きく、
凡人は欲が小さい。
今年は、ちょっと欲深く、
いってみましょうか。
山口千乃 10年01月16日放送
明石家さんま
こどもの名前には、
親の人生観がにじみ出る。
「生きてるだけで丸儲け」
そんな意味を込めて、
娘にIMARUと名付けたのは、
芸人、明石家さんま。
さんまさんがいつも
笑いにあふれている理由が
ちょっとだけ分かったような。
アルベルト・アインシュタイン
あなたのコレクションはなんですか。
ある女性は、靴を。
あるこどもは、あき瓶のふたを。
ある資産家は、アートを。
しかし、
ある発明家いわく、
みなが共通して集めているものがあるという。
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。
アルベルト・アインシュタイン。
彼の発明は、
非常識な発想からうまれた。
さあ、偏見を捨てて、常識のカラをやぶろう。
尾崎豊
思春期を卒業しても、変わらない感情がある。
時折、抱えてしまう、
ぶつけようのない怒りや、やりきれない嘆き。
そんな時、ふと口ずさんでしまうのは。
尾崎豊の歌だ。
誰にもしばられたくないと
逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜
そっか。
みんな、今と10代を、
行ったり来たりしてるんだ。