江口順也 09年12月19日放送
Hiro(EXILE)
景気の二番底に怯える
大企業を尻目に、
今年、あるベンチャー企業が、
日本を騒がせている。
社長が踊り、社員が歌う。
EXILEだ。
ダンサー兼社長のHiroは、
こう信じているという。
会社は、みんなの夢を叶える場所。
劇団を立ち上げ、アパレルを手がけ、
バラエティに出て、
居酒屋や学校までも運営する。
どれも、社員の夢を、
ひとつずつ叶えていっただけ。
永い不況から目を覚ますコツ。
夢は、布団ではなく、会社で見ること。
アシュリー・ヘギ
今年もあっという間だったなんて、
木枯らしに身を縮めてつぶやいていては、
この子に怒られてしまう。
アシュリー・ヘギ。
1年で人の10倍歳をとる難病におかされた女の子。
ネイルを塗りたい。アルバイトもしたい。
17歳の心に、100歳の体が立ちはだかる。
けれど、いつも貪欲に、青春に挑んだアシュリー。
今年、高校を卒業する前に
人生を卒業することになった彼女は、
こんな言葉を置いていった。
人生は、長さじゃない。どう生きるかなの。
みなさん。
2009年は、あと12日も残ってますよ。
忌野清志郎
しゃがれた声で
兄さんはいつも、
こう声を掛けてくれた。
愛してるぜ、ベイビー。
永遠の少年、キヨシロー兄さん。
社会という教室でギターをかき鳴らし、
まっすぐで透明な想いをファンキーに叫び続けた。
その、ラストシャウト。
Ohラジオ、
聴かせておくれ
愛と平和のうたを。
癌におかされた喉で歌い上げた
Rockのタスキは、
しっかりとつながったのか。
ラジオのツマミを
僕らは回しつづけよう。
クレヨンしんちゃん
早く大きくなりたい。
子どもたちがそう思えるような
世の中をつくること。
それが大人の仕事。
クレヨンしんちゃん、
5際のしんのすけは言った。
おら大人になりたい。
大人になってキレイなお姉さんとおデートしたいんだ。
この週末は、
ちょっとオシャレして街を歩きましょ。
三沢光晴
プロレスラー三沢光晴さん、
試合中の事故で亡くなる。
そんなマスコミの報道に、
ファンの誰かが怒った。
事故なんて、言わないでほしい。
まるで不注意みたいではないか。
プロレスで死に、闘いで死んだのだから。
それは戦死だ。
派手なパフォーマンスや
言葉を嫌うかわりに、
相手の技を真正面で受けて倍にして返す。
体で語るレスラーだった。
その最後のボディランゲージを、
まだ誰も、うまく読み解くことができない。
大原麗子
「かわいい」と
「かわいらしい」は、違う。
かわいらしい女といえば、
ずっと大原麗子のことだった。
すこし愛して、ながーく愛して。
この名コピーは、
彼女を人々の記憶に
封じ込めることに成功する。
死んだ女より、
もっとかわいそうなのは、
忘れられた女です。
という詩を書いたのは、
マリー・ローランサン。
その名も「鎮静剤」。
そろそろこの薬が、
麗子さんにも効いてるころだろうか。
名雪祐平 09年12月13日放送
本田宗一郎
おごそかな勲章の授賞式。
何を着て行けばいいでしょう。
男は、白い作業服を着ようとした。
この真っ白なツナギが、技術者の正装だ
さすがに周りから止められ、
ふつうの正装となったのだが。
その男、本田宗一郎。
自動車メーカーの社長である前に、
この国の、
誇りある技術者代表だった。
松本哲也
背番号105
月給20万円
それが読売ジャイアンツ、
松本哲也のスタートだった。
来シーズン2010年は、
背番号31
年俸3000万円
よくある話、かもしれない。
プロ野球の世界だからな。
そうだろうか。
松本選手と同じように、
ぼくたちにも工夫や努力ができる世界がある。
いま、この背中にある
背番号は何番だろう。
福島智
東京大学教授・福島智は、
9歳で失明し、
18歳で耳が聴こえなくなった。
絶望の中で、おかあさんと一緒に
新しいコミュニケーションの手法を考案した。
指先を点字タイプライターのキーボードに見立てた
“指点字”
指で、やっと世界とつながった。
コミュニケーションは、心の酸素だと思う。
不足すれば、心が窒息するということだ。
この福島の言葉は、
障害の有る無しに関係なく
響いてくる。
ピーター・ドラッカー
会社は誰のためにあるのか。
株主か、経営者か、従業員か。
迷ったら、
経営学者ピーター・ドラッカーの
言葉を思いだそう。
株主のためでなく、
経営者のためでなく、
従業員のためでもない。
会社は、社会が幸せになるためにある。
社会とは、つまり、あなたのこと。
ジャクリーン・ケネディ
ケネディ大統領が撃たれた時、
妻ジャクリーンは隣にいた。
ピンクのシャネル・スーツが
夫の返り血で、まだらになった。
その99分後。
次の大統領の就任宣誓式に立ち会った。
ジャクリーンは血染めのスーツのまま。
彼らが何をやったか、
みんなに見せてやるわ。
テレビ中継されたその姿は、
暗殺者たちへの
毅然とした抵抗だった。
O・ヘンリー
短編小説の名手、O・ヘンリー。
書きに書きつづけ、
残した作品は381編。
なぜ、短編ばかりだったのか。
それは、いつも出版社から
原稿料の前借りをしていたため。
長編より、短編のほうが
すぐ原稿料が入るという理由で
次々と仕上げていった。
借金が、才能を爆発させたのだった。
マーク・トウェイン
アメリカの文豪、マーク・トウェイン。
超人気作家になった彼の原稿料は
単語1つにつき1ドル、
と噂された。
そこで、ある人物が
「これで作品を書いてください」
と1ドルを送った。
人気作家は、
こんな単語1つを書いた原稿を返した。
Thanks.
1ドル以上のユーモア作品かもしれない。
小山佳奈 09年12月12日放送
高田渡 息子
もしも子どもができたとしたら
何をしてあげよう。
フォーク史上最高のシンガーであり、
最高の酔っぱらい、高田渡。
彼は息子に歌を贈った。
「見えるものはみんな人のものだよ
見えないものはぼくらのものだよ」
いま、息子の高田漣は
父と同じくギターを弾いている。
見えなくてかけがえのないものを
たしかに奏でている。
高田渡 反骨
本当の反骨精神とは何だろう。
フォーク史上最高のシンガーであり、
最高の酔っぱらい、高田渡。
反体制をこれみよがしに
カメラの前で叫ぶ人々を横目に
高田は歌った。
「自衛隊に入ろう
自衛隊に入れば この世は天国
男の中の男はみんな
自衛隊に入って 花と散る」
一級の皮肉は
何よりも雄弁だ。
「高田渡 寂しさ」
フォーク史上最高のシンガーであり、
最高の酔っぱらい、高田渡。
寂しがりやの彼は
ツアーに出ても落ち着かず。
吉祥寺に帰ってきては
朝まで仲間とくだを巻く。
そのお酒が彼の体をむしばんで
ついにはどうにもならなくなっても
彼はやっぱり仲間を誘いつづけた。
そんな高田渡の歌は
やさしくて、
やっぱり少し寂しい。
「歩き疲れては 夜空と陸との
隙間にもぐり込んで
草に埋もれては 寝たのです
所かまわず 寝たのです」
「ジャニス・ジョプリン」
ロックの女王、
ジャニス・ジョプリン。
彼女は27年の短い人生にたくさんの恋をした。
しかし本当に愛したのは最後の恋人だけ。
世界を放浪する恋人に何通も手紙を書く。
しかしその手紙はいつも国境ですれちがい
彼が受け取ることはなかった。
雑誌でジャニスの死を知った彼は
レコード屋で彼女の最後の新曲を聴き
さめざめと泣いた。
「Cry baby, cry baby, cry baby,
Honey, welcome back home.」
帰ってきて。
たったそれだけの言葉が
届かなかった。
それが、
女王という称号への代償だとしたら、
世界は悲しすぎる。
「コートニー・ラブ」
ラブという名前を持ちながら、
愛で人を救えなかった女性。
コートニー・ラブ。
夫のカート・コバーンは
カリスマの重圧に耐えきれず
ドラッグに溺れ自ら命を絶った。
コートニーは歌う。
「もしあなたが私と一緒に
この世界を生きてくれるというのなら
あなたのために死んであげる。」
その覚悟は
たしかに本物だったはずなのに。
神様は人間に、
どれほどの愛を要求すればいいんだ。
「ジャニス・イアン」
ジャニス・イアン、
「at seventeen」。
「美人でもなく醜い私は
他の人へのうらやましさで一杯になりながら、
たった1人だけで愛の語らいをつぶやく、
そんな17歳でした。」
自分のすべてが足りなくて
自分のすべてが腹立たしくて。
年を重ね、
たいていのものは
受け入れてしまえるようになった今、
ときどきあの頃に戻ってみたいと思う。
中村直史 09年12月06日放送
ジュール・ヴェルヌ
未来ニュースです。
世界のCO2排出量が産業革命以前のレベルに戻りました。
未来ニュースです。
貧困のために命を落とす子どもの数がゼロになりました。
未来ニュースです。
世界で最後のひとつとなっていた戦争がついに終わりました。
・・・そんな都合のいい未来なんて来るはずがないでしょ。
そう思った方に。
19世紀のSF作家、
ジュール・ヴェルヌが残した言葉を送ります。
人間が想像できることは、必ず人間が実現できる。
「林家彦六」
「笑いとは視点のずれである」
と言った人がいた。
なるほど
うまいことを言う。
そしてあの人のことを思い出した。
落語家、林家彦六(はやしや ひころく)。
生涯現役をモットーに
80を超えても
精力的に高座に上がった。
こころもとない語り口に
客も楽屋の仲間たちも引き込まれた。
ある日の彦六師匠。
「なんでモチはくさるんですかね」
という何気ない弟子の質問に
ボソリと答えた。
ばかやろお、早く食わねえからだ。
ほんとだ。
笑いとは視点のズレである。
「フルトヴェングラー」
ひとりひとり違う人の出す音が
重なって、
ひとつになって、
それってすごいと思わない?
オーケストラの素晴らしさを
わかってほしくて
熱く語ったら、
その相手はポカンとしていた。
感動とは人間の中にではなく、人と人の間にあるものだ。
20世紀の偉大なる指揮者
フルトヴェングラーの言葉を引き合いに出しても
その人はまだポカンとしていた。
しょうがないからオーケストラを
見に連れて行ったら、演奏後
きみの言ってたことはまだわからないけど、音楽が素敵なことはわかった。
とその人は言った。
あなたもコンサートホールに出かけてみませんか。
うまく言えないのが残念ですが、いいものですよ。
「アントニオ猪木」
燃える闘魂。
そんな形容詞をもつ
男のこと。
ビジネスで取り扱うものにも
アントニオ猪木らしさが貫かれている。
刺激的な辛さの調味料「タバスコ」。
じつは、猪木の会社が
輸入代理店を務めたことで
日本中に知れ渡った。
私をミスタータバスコと呼んでください。
そう言われてみれば。
頬に張り手をされながら
「ゲンキデスカー」
と問われているような味覚。
・・・と言えなくもない。
「フンデルトヴァッサー」
なにかを きらうことは
なにかを あいすることの
うらがえし
日本語で「百の水」 という 意味の名をもつ
オーストリアの芸術家
フンデルトヴァッサー
「ちょくせん」が だいきらいだった
なぜなら 彼が あいする自然
のなかに けっして存在しないものだから
直線は神への冒涜であり 不道徳である
じじつ
かれの描いた絵も つくった建物も
こどもがひいたような線に あふれ
いろんな いろたちが
おどっている
死ぬまで ずっと しぜんのいちぶで ありつづけた
フンデルトヴァッサーに
ありったけの敬意を表して
直線的ではない読み方
で
お送りしてみました。
「三遊亭圓朝」
ある時、
落語の国に住まわれる、
落語の神様がこう言った。
「このままでは落語が絶滅だ、
ちょっくら地上に行ってなんとかしてくるか」
そうして
明治の日本に降り立った一人の男。
落語家、三遊亭圓朝(さんゆうてい えんちょう)のことを思うと
そんな想像をしてしまう。
「芝浜」「死神」「牡丹燈籠」「四谷怪談」・・・
100年以上も
人をとりこにする
名作中の名作たち。
その多くを、即興でつくったなんて。
やはり人間わざとは思えない。
「林房雄」
もし、あなたのご主人が
あなたをほっぽらかしにして
魚釣りばかり行ってるとしたら。
そして、そんなご主人のことを
理解できずにいるとしたら。
小説家、林房雄(はやし ふさお)が残した
言葉をぜひ知ってほしいと思います。
釣り師は 心に傷があるから釣りに行く。
しかし、彼はそれを知らないでいる。
妻よ、
聞こえましたか。
来週末も行かせてください。
佐藤延夫 09年12月05日放送
「モーツァルトが遺したもの/東山魁夷(ひがしやまかいい)」
昭和を代表する画家、東山魁夷の作品「緑響く」。
そこに描かれているのは、
信州、奥蓼科にある御射鹿池(みしゃかいけ)の風景。
キャンバスを埋め尽くす緑の山々は水面に映り込み、
白い馬が一頭、ためらいがちに、ゆっくり歩を進める。
東山魁夷は、
モーツァルトのピアノ協奏曲ケッヘル488番第2楽章を聴いて
この情景が浮かんだそうだ。
森林は、オーケストラ。
白馬は、ピアノの旋律。
この世には、見て感動できるモーツァルトも遺されている。
今日、12月5日は、
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが亡くなった日。
「モーツァルトが遺したもの/谷川俊太郎」
詩人、谷川俊太郎の作品「ふたつのロンド」は、
自身の思い出話から始まる。
六十年生きてきた間にずいぶんピアノを聴いた
古風な折り畳み式の燭台のついた母のピアノが最初だった
浴衣を着て夏の夜 母はモーツァルトを弾いた
ケッヘル四百八十五番のロンド ニ長調
子どもが笑いながら自分の影法師を追っかけているような旋律
ぼくの幸せの原形
彼が詩の中に込めたもの。
それは、音楽がもたらす幸せにひそむ寂しさと、死だった。
優雅さの中に、悲しみがある。
だから私たちは、モーツァルトの曲を聴くのかもしれない。
今日、12月5日は、モーツァルトが亡くなった日。
「モーツァルトが遺したもの/中原中也」
僕はもうバッハにもモーツアルトにも倦果てた。(あきはてた)
詩人、中原中也の作品「いのちの声」が発表されたのは、結婚した翌年のこと。
恋人の長谷川泰子とは、とうの昔に別れ、違う女性と一緒になっていた。
中也がモーツァルトを聴いていた、というのは有名なエピソードだが、
ある頃から、陽気な音楽にはもう飽きたよ、と漏らしていたそうだ。
長谷川泰子と別れた小林秀雄もまた、
モーツァルトの弦楽五重奏曲ト短調を聴いて、
「かなしさは疾走する」と評した。
モーツァルトの曲は、昔の恋を思い出させる魔法。
そんなふうに思えてしまう。
今日、12月5日は、モーツァルトが亡くなった日。
「モーツァルトが遺したもの/立原正秋(たちはらまさあき)」
鎌倉から江ノ電に乗り
20分ほど揺られると、
腰越(こしごえ)駅に辿り着く。
ここは、作家、立原正秋が暮らした小さな街。
魚屋の店先を覗くのが、彼の日課だった。
鵠沼海岸に越したのちも
四季折々の魚を愛し、こんな文章を残した。
ある朝十時に起きて酒をのんでいたら、
モーツァルトのピアノ協奏曲ニ短調がきこえてきた。
私は前夜の残りの鮟鱇を肴に酒を酌みながら、
モーツァルトと鮟鱇はよく合う、と思った。
この冬、鮟鱇とモーツァルトの相性を試してみるのも良さそうだ。
今日、12月5日は、モーツァルトが亡くなった日。
「モーツァルトが遺したもの/アカデミー賞」
奇妙な笑い方をする、荒唐無稽なモーツァルト。
彼の才能を嫉む宮廷音楽家サリエリ。
この二人の人間模様を描いた映画「アマデウス」は、
第57回アカデミー賞のタイトルを8部門受賞した。
主演男優賞にノミネートされたのは、
モーツァルト役のトム・ハルスと
サリエリ役のフランク・マーリー・エイブラハム。
その栄冠に輝いたのは、
映画の中で、悔しそうな表情ばかり浮かべていた、
エイブラハムのほうだった。
モーツァルトを毒殺した疑いがかけられ、
悪役に仕立てられたサリエリも
このときばかりは、晴れやかな笑顔を見せた。
さてモーツァルト本人は、草葉の陰で何を思うやら。
1791年の今日、12月5日は、
モーツァルトが亡くなった日。
「モーツァルトが遺したもの/ラウル・デュフィ」
20世紀に活躍したフランスの画家、ラウル・デュフィは語る。
私の眼は醜いものを消し去るようにできている
デュフィは、生涯にわたりモーツァルトを敬い、
彼をモチーフにした十数枚の絵を残している。
色彩豊かに描かれたデュフィの作品は、
美しく、また、奥深い。
モーツァルトの遺産は、パリで静かに眠っている。
今日、12月5日は、モーツァルトが亡くなった日。
厚焼玉子 09年11月29日放送
秋の色1 金色の小さき鳥
11月はどんな色、と、訊かれたら
なんと答えればいいだろう。
庭の花はほとんど枯れた。
今年は山の紅葉を見ることもなかった。
でも…
ああ、そうだ、と与謝野晶子は思ったに違いない。
金色の ちひさき鳥の かたちして
銀杏散るなり 夕日の岡に
大空に両手を広げたイチョウから
金色に輝く鳥が舞い降りて来る。
なんと華やかな秋の色だろう。
まだ間に合う。
冬の扉が開く前に
すぐそばにある秋を見に行こう。
秋の色2 石鹸の泡つぶ
秋になって
草が色づくことを草紅葉(くさもみじ)という。
ヨモギ、エノコログサ、チガヤ、メヒシバ
青々と繁っていたときは雑草とひと言で片づけていたのに
秋の色に染まったとたん
思わず足を止めて、名前を知りたくなる。
そんななかに
ひとり秋の色にも染まらず花をつけている草を
北原白秋は見つけた。
秋の草 白き石鹸(しゃぼん)の泡つぶの けはひ幽(かす)かに 花つけてけり
赤や黄色のなかに
消え入りそうな白い花を咲かせる草は
どんな名前を持っているのか知りたい。
秋の色3 さびしき青
同じ景色のなかで
同じ季節を過ごしているのに
私は本当にあの人と同じものを見ているのだろうか。
あの人と寄り添っているのだろうか。
ふとそんなことを考えて寂しくなってしまうのも
冷たく乾いた秋風のせい。
わが妻よ わがさびしさは青のいろ 君がもてるは 黄朽葉(きくちば)ならむ
若山牧水のさびしい心は青の色
そして妻は枯れた落ち葉の色。
冬の寒さがやってくる前に
すれ違った心と心をもう一度近づけて
あたためておきましょう。
秋の色4 野菊のうた
露が凍って霜のようになったものを「露霜」という。
露霜にあたると花も葉も色あせてしまうけれど
それもまた美しいと思う心が日本人にはあった。
伊藤左千夫が「野菊の墓」のなかで
野菊にたとえた民子は
なにもかもあきらめて心を石のようにして
嫁に行ってしまうけれど
その嫁入り先での暮らしぶりについて
左千夫は何も書いていない。
ただ民子が亡くなった後の
みんなが後悔するさまを描くことで
民子が弱っていく様子が想像できるようになっている。
伊藤左千夫が歌に詠む野菊はかわいそうだ。
秋草の いづれはあれど 露霜に 痩せし野菊の 花をあはれむ
露霜にあたって
花の色が褪せ、葉が茶色になっても
野菊は辛抱強く立っている。
枯れた枝の先に花を残していることもある。
忘れないで、という野菊の声が聞こえる。
秋の色5 白壁の柿
緑の竹林、白い壁、赤い柿の実
会津八一が絵のような秋の風景に出会ったのは
平城京の西のはずれ、秋篠寺のあたり。
夏におとずれた奈良を
どうしてももう一度見たくなって
病気の躯をおして出かけた。
奈良のお寺の仏さまはいずれも古い友人のようなもの
病気の躯でも慈悲深く迎えてくださるだろう…
そんな気持で出かけた八一が見つけたのが
命が照り輝くような柿の実の色。
まばらなる 竹のかなたのしろかべに しだれてあかき かきの實のかず
その秋の色はずしりと重い。
秋の色6 白い芒
島木赤彦は柿の実の赤い色が好きだった。
赤彦ではなく柿人(かきびと)という名前を使ったこともあったし
その住まいは柿の陰と書いて「柿陰(しいん)山房」と名付けていた。
けれども、その庭に柿の木はない。
芒(すすき)の穂 白き水噴くと見るまでに 夕日に光り 竝(なら)びたるかも
この芒の穂の上に垂れ下がる柿の色は
赤彦の心のなかだけにある。
秋の色7 燃え上がる公孫樹
もしもイチョウの木がなかったら
秋はどんなにか寂しいだろう。
でも野生のイチョウは日本にはいない。
仏教とともに中国から持ち込まれ
人の手で植えられて広まったのだ。
イチョウの生命力はたくましい。
2億年も昔から地球に存在しつづけているイチョウは
恐竜とともに滅びることもなく生きながらえ
いまでは世界中に子孫を増やしている。
その寿命も2000年と気が遠くなるほど長い。
病を得た中村憲吉にとって
そんなイチョウはあまりにもまぶし過ぎた。
燃えあがる 公孫樹(いちょう)落葉の金色に おそれて足を 踏み入れずけり
けれども
45歳で亡くなるまでに3000首を超える美しい歌を詠んだ
中村憲吉の生涯もまた
金色に輝いているのではないだろうか。
坂本和加 09年11月28日放送
長く生きる① きんさん ぎんさん
赤ちゃんがかわいいのは、
ひとりでは生きていけないから。
そして、年を取れば取るほど、
ひとはまた、かわいくなる。
100歳でスターになった、
双子のおばあちゃん「きんさん ぎんさん」は、
それを証明してくれた。
けれど、2人は声をそろえて。
「若い頃は、もっと、かわいかった」。
長く生きる② 鈴木大拙
年々増え続ける自殺者のニュースを聞いたら、
禅学者、鈴木大拙は何を思うだろう。
長く生きること。
それは、80や90になってはじめて、
わかることがあるということ。
だからあなたも、できるだけ長生きなさい。
著書を英語で書いて、
世界に日本の禅文化を伝えた、
鈴木大拙は、96まで生きた。
「大巧は拙なるに似たり」
長く生きる③ 白川静
白川静は、漢字を愛し、
生涯をその研究に捧げたひとだった。
その偉業は「字」を知るための「書」と書く、
「字書」3部作を完成させたことで名高いが、
ユニークな学説を唱えたことでも知られる。
たとえば、「ラク・楽しいという字は、
神様を楽しませるために振った鈴から生まれた」。
漢字の成り立ちには、
いつも民族信仰があると考えた
白川静がいちばん好きだった漢字は、
「ユウ・遊ぶ」という字。
96歳で亡くなった漢字の神様は、
きっといまごろ、天国で遊んでおられる。
長く生きる④ 親鸞聖人
他力本願という言葉は、
れっきとした、仏教の言葉。
極楽浄土に行けるのは、自分の力ではなく、
他力、つまり仏さまのお力であるという意味だ。
ほんとうはありがたいはずなのに、
違った意味で受け取られることが多い。
他力本願は、親鸞聖人のお言葉。
90歳で入滅し、その30年後に
弟子たちによりまとめられた「歎異抄」は、
「異なるを、嘆く」と書く。
歎異抄は、親鸞聖人のため息
そのものなのかもしれない。
長く生きる⑤ まど・みちお
まだ読み書きを習い始める前の、
小学校にも上がっていない子どもたちに
いちばんなじみのある100歳の有名人。
それはきっと、詩人・まど・みちお、だと思う。
つくった詩は、数え切れない。
「ぞうさん」に、「やぎさんゆうびん」も。
日本人みんなが歌える童謡は、まどみちお、作。
最新刊は4年前に、出版された。
「おじいさん詩集だ」というけれど、
そこにあるのは、少年のようにチャーミングで、
おおらかな表現に満ちた、変わらぬ世界。
つい先日(11/16)、まどさんは100歳になった。
まどさん。どうぞお元気で。
このメッセージを「やぎさんゆうびん」で
お届けできたらと思います。
長く生きる⑥ 杉田玄白
はかないもののたとえ、
カゲロウは、たった数時間で命を終える。
一方で、ひとはいつの時代も
不老長寿を願ってやまない。
江戸時代の医師、杉田玄白は、
長寿について、こう記している。
長生きしても、たいして
驚くようなことはないわけで、
無理に長生きを願うのは、無益である。
当時から長寿で知られた杉田先生は、
よっぽど「長生きの秘訣」を聞かれるのが、
お嫌いだったらしい。
長く生きる⑦ 宇野千代
イギリスで、400歳の貝が
みつかったというニュースが流れた。
女文士、宇野千代が生きていたら、
うらやましいわ、と言うかもしれない。
彼女自身、98まで生きたのに。
なんだか私、死なないような
気がするんですよ。(はははは は)
晩年の宇野千代、お気に入りの言葉。
長く生きる⑧ 小倉遊亀
枯れることは、老いること。
けれど、枯れなくては
うまみを増さないものがある。
それは、梅干し、かつお節。
小倉遊亀(ゆき)は100歳をすぎてなお
絵筆をとり続けた日本画家だった。
一枚の葉っぱが手に入ったら、宇宙全体が手に入る。
まだ日本画家になる前、小倉は
同じ日本画家の大家、安田靫彦(ゆきひこ)に
もらった言葉を矜恃に生きた。
作品の味わいは、枯れてこそ。
江口順也 09年11月22日放送
ソクラテスの夫婦論
学生のころ、
教科書で習った哲学は、
さっぱりだったけど。
ひとつだけ気になる言葉があった。
ともかく結婚せよ。
もし良い妻を持てば、幸せになるだろう。
もし悪い妻を持てば、哲学者になるだろう。
ソクラテスの名言。
あれは、どういう意味だったんだろう。
わが妻に聞いてみたら、
そこの洗濯物たためば分かるんじゃない?
と、返された。
今日は、いい夫婦の日です。
世界一の権力者
NYのとあるパブで、Mr.Aが謎かけを出した。
世界でいちばんの権力者は?
そりゃぁ大統領だろうと、
Mr.Bは答えた。
するとAは、こんな小話をはじめた。
ねぇあなた、同窓会でジョンに会ったの。
彼はいま、何してるんだ?
小さな会社勤めよ。
キミは私と結婚してよかった、何しろ大統領夫人だ。
違うわ、私と結婚してたら、彼が大統領だったわ。
腹を抱えて笑う、Mr.B。
と、Bの胸元で、携帯電話が鳴った。
Aの携帯にもメールが届いた。
嫁さんからだ!
そう言って二人は、慌てて家へ帰っていった。
今日は、いい夫婦の日。
ナポレオン&ジョセフィーヌ
3つのキスを贈る。
キミの心に、くちびるに、そして瞳に。
戦場からのラブレター攻撃で、
あこがれの女性を攻め落とした、
ナポレオン。
しかし、愛を勝ち取ってわずか二年。
妻への手紙は、こうも変化する。
お前を憎む。
夫のために、たった5行の手紙すら書こうともしない、
薄情なお前を…
ナポレオン閣下、
男と女は、結婚してからが本当の戦いなのです。
今日は、いい夫婦の日。
山口千乃 09年11月22日放送
John & yoko
ジョン・レノンが最後に遺した曲は
愛する妻にむけた、
とても優しいラブソングだった。
GROW OLD WITH ME
一緒に年を重ねよう。
ダコタハウスの寝室で、
この曲をヨーコに披露してから
たった一ヶ月後。
2人のラブソングは、銃弾の音にかき消された。
今日は、いい夫婦の日。
大切な人の声に、耳を傾けよう。
植村直己&公子夫人
冒険家、植村直巳。
命がけの挑戦を続ける中、
日本に残してきた夫人との唯一の連絡手段は、
手紙でした。
北極横断の532日間。
夫人にあてた手紙は、105通。
君の作ってくれたおしんこが食べたい。
と甘えてみたり、
迷惑をかけたけど、かんべんして。
と謝ってみたり。
最後は、いつも
元気で。
と、締めくくる。
何気ない言葉の中にも、
暗号のように
愛って隠れているんですね。
今日は、いい夫婦の日。
夕張夫妻
すべてを失ったとき、頼りになったものは、夫婦の愛でした。
北海道夕張市。
財政破綻で、
巨額の負債を抱えた田舎街に
たったひとつ残った財産とは。
シャッターが目立つ商店街で、
老夫婦が手を取りあって営むおまんじゅう屋さんに
答えはありました。
長年の愛です。
2007年、離婚率が日本一低いことに気づいた夕張市は、
夫婦円満の街を宣言。
市役所で交付される夫婦円満証をもらいに
全国から観光客が訪れ、
街は少しずつ活気づいてきました。
今日は、いい夫婦の日。
夕張市役所へは、駅から車で3分です。
龍馬とお龍
坂本龍馬は、
日本の歴史にだけでなく
夫婦の歴史にも革命をもたらした。
1866年、龍馬30歳。
背中に受けた刀傷を癒しに、
妻を連れて、温泉の旅へ。
ここから、日本人の新婚旅行が始まった。
今日は、いい夫婦の日。
小山佳奈 09年11月21日放送
「黒澤明 ノート」
天才に努力されたら
凡人はふて寝するしかない。
だが決まって天才は
努力家だったりする。
映画監督、黒澤明は
膨大な量の本を読み
片端からノートに取る。
創造とは記憶です。
自分の経験や記憶が
足がかりになるんであって
無から創造できるはずがない。
おっしゃる通り。
やっぱり凡人は
ふて寝するしかない。
「黒澤明 ビフテキ」
ビフテキの上にバターを塗り
その上に蒲焼きをのせたような映画
1953年。
映画監督、黒澤明が
誰も見たことのない日本映画をつくろうと
頭に描いたイメージはこれだった。
ビフテキが時代劇。
バターがアクション
蒲焼きが人間ドラマ。
そう。
日本映画史上最高傑作、
「七人の侍」は
構想の時点ですでに
誰もが満腹になる
準備はできていた。
「黒澤明 主人公」
主役だけが主人公ではない。
どんな人間だって
ある角度から見れば、
そいつは主人公なんでね。
黒澤明は言う。
だから彼の映画には
どんな端役の百姓にも
名前と年齢がある。
だから存在感のある役者を
キャスティングする。
人生に端役なんてない。
「黒澤明 出会い」
映画監督にとって
つくることだけが才能ではない。
出会うことも才能。
鎖につながれた猛獣がいる。
黒澤明は通りすがりのオーディションで
異様なものを見つけた。
「笑ってみて」と言われて
「おかしくないので笑えません」。
憮然と答えるその猛獣の名は、
三船敏郎。
一度はオーディションに落ちた三船を
黒澤が拾い上げた。
その瞬間、
黒澤映画の半分は
出来上がった。
「黒澤明 三船」
時には狂った獣のように。
時には無邪気な子犬のように。
黒澤映画に出てくる三船は
縦横無尽に跳ねる、駆ける、笑う。
時にはカメラも追いつけない。
その予測不能の動きが
黒澤映画に命を吹きこむ。
黒澤はこう言っている。
映画は時間の芸術であり、
時間とは“動き”である。
“動き”がなければ映画は成立しない。
「黒澤明 スピーチ」
1990年、
映画監督、黒澤明は
史上3人目となるアカデミー特別名誉賞を受賞した。
映画人生62年目を迎えた80歳の黒澤は、
その壇上でこう言った。
ぼくはまだ、映画がよく分かっていない。
ひとついえることは
黒澤は映画に関していえば
世界一、強欲で貪欲な監督である。
そしていまでも
黒澤の大きすぎる背中を
世界中の若者が追いかけている。