村山覚 19年8月24日放送
日本酒の親戚
日本酒は、原料のお米を磨く割合によって
味と呼び名が変わってくる。
お米を50%以上磨いて、雑味やたんぱく質などを
減らしてつくった大吟醸は華やかな香りが特長。
今の季節、キリッと冷やして楽しんでいる方も多いだろう。
中には90%以上磨いたような日本酒もあるというが
磨きが少ないものにもお米の旨みやコクがあり、
好みは人それぞれ。
ところで、米を磨く工程でできるたくさん米の粉が
どう二次利用されているかというと‥‥
お煎餅やあられ、麺類に形を変えたり、
化粧水の原料になったり。
時には、横断歩道などの白い塗料に使われることも。
おいしい日本酒を飲んでほろ酔いの帰り道、
横断歩道を見かけたらご注目を。
藤本宗将 19年8月24日放送
SV01改
日本酒の多様性
日本酒のラベルを見ると、
精米歩合という数字が書かれている。
精米とは、酒の雑味をなくすために米粒の周囲を削り、
中心部の心白だけになるまで磨くこと。
大吟醸ともなると50%以下になる。
ついには昨年「0%」の日本酒まで登場した。
正確には0.85% なのだが、
精米歩合は小数点以下を切り捨てるため、0%表記となる。
かかった精米時間は5,297時間34分。
じつに7ヶ月を経てたどりついた究極の大吟醸酒だ。
ところがその一方で、
「低精米酒」というトレンドも生まれている。
大吟醸とは真逆の試みだ。
こちらは精米歩合96%というものまで現れた。
ほぼ玄米に近いが、これもまた旨い。
精米歩合の数字を競う時代は終わった。
日本酒の世界も「多様性の時代」なのだ。
福宿桃香 19年8月24日放送
ノンアルコールへの挑戦
日本酒のアルコール分は、ビールのおよそ3倍。
ゆえに、ノンアルコール日本酒の開発は他の酒類に比べ困難を極めた。
金沢の老舗酒蔵・福光屋も、
開発に乗りだしたひとりだった。
最大のハードルは、アルコール自体が持つ辛みの再現。
度数が高いお酒になればなるほど
それがそのまま味の特長となっているためだ。
何を入れれば日本酒の味に近づけられるのか。
何かを入れた時点で、あの味にはならないのではないか。
研究は、10年近くつづいた。
そしてついに、2012年。
日本酒と同じ米と米麹のみを原料に
麹菌、乳酸菌、酵母を使って3度異なる発酵をさせることで、
アルコールを入れたときに近い旨みやふくらみ、酸味などの
複合的な味わいを引き出すことに成功した。
どんな人にも、どんな時にも、日本酒を楽しんでもらいたい。
世の中のノンアルコール日本酒の数々は、
日本酒を愛した職人たちの情熱の証なのだ。
仲澤南 19年8月24日放送
とみたや
松と日本酒
松の木が日本酒を飲む、
という話をご存じだろうか。
東京都葛飾区にある、柴又帝釈天。
ここでは毎年2月頃、
寒肥(かんごえ)という行事が行われる。
境内にそびえる瑞龍松(ずいりゅうまつ)の根元に、
寒い時期の特別な肥料として日本酒を与えるのだ。
一斉にまかれる日本酒に、
辺りにはそれだけで酔えそうなほどの香りが漂うという。
木にお酒とは意外な組み合わせに聞こえるが、
実は日本酒のアルコールと糖分は
松の根を温めるとともに、菌の働きを活発にしてくれるそうだ。
おかげで、瑞龍松は樹齢500年近いにもかかわらず
今でも青々とした葉を茂らせている。
人だけでなく木にとっても、
酒は百薬の長なのかもしれない。
もちろん、適切な量であれば。
礒部建多 19年8月18日放送
omoon
祭りの意味
日本では一年を通して、多くの祭りが行われる。
しかし、四季によって「祭り」の意味は変わる。
春は、豊作祈願。
夏は、作物が損なわれないように「風除け」や「虫送り」。
秋は、収穫に対する感謝祭。
冬は、田の神をねぎらい、新年を迎えるための新春祝い。
一貫して、農耕と結びつくが、
夏の祭りには、「厄除け」や「鎮魂」を意味したものが多い。
例えば日本三大祭りの祗園祭は、
疫病や災厄から暮らしを守るための厄除けとして始まった。
日本各地で行われる盆踊りは、
盆に帰って来る先祖の霊を迎える鎮魂の儀式である。
華やかさの裏にある、
先人たちの切なる願いに想いを馳せれば、
夏祭りの尊さに、改めて気づかされる。
礒部建多 19年8月18日放送
Yoshi Canopus
ししの踊り
岩手県各地に伝わる
郷土芸能、鹿踊り(ししおどり)。
鹿という漢字を当ててししと読むのは
かつて日本で山の獣の肉のことを「しし」と
呼んでいたからだと言われている。
角の生えた面をかぶって
人がシカになりきって
激しくも美しい舞を踊る。
着物を着て、太鼓を叩きながら
長い黒髪を揺らし
大地を踏み鳴らして踊る。
シカになりきることで
肉をくれる獣たちに感謝し
また肉をいただけるよう祈願し
魂を供養するのだ。
人と獣の間には
境界などない。
人もまた自然の一部に過ぎない。
鹿踊りを見ていると
そんな不思議な気分になる。
澁江俊一 19年8月18日放送
田附宏秀
たちねぷた
たちねぷた
という祭りの名を
聞いたことがあるだろうか?
青森市のねぶたは
おそらく見たことがあるだろう。
あのねぶたが立ち上がった…
そんな姿を想像してみてほしい。
それが、たちねぷただ。
高さはおよそ20m。
青森県五所川原市の祭りである。
明治から大正にかけて
どんどん高さを競い
山車が巨大になっていったが
やがて街に電線が張りめぐらされ
たちねぷたは、一度は消え去った。
それが1996年
わずか一枚の写真をもとに
およそ80年ぶりに
市民たちのボランティアにより見事に復活。
今もなお多くの人々を魅了している。
ヤッテマレ ヤッテマレ
たちねぷたに鳴り響くこの掛け声こそ、
地元の人々の誇りなのだ。
礒部建多 19年8月18日放送
消えた花火師
夏といえば、花火大会。
令和になった今でさえも、
「玉屋」の掛け声を耳にすることがある。
「橋の上 玉屋玉屋の声ばかり なぜに鍵屋と 言わぬ情無し」
これは、花火師である玉屋の人気を裏付ける狂歌である。
当時の玉屋人気は相当なものであり、
浮世絵の画題として描かれる花火も、
ほとんどが玉屋のものだったとか。
しかし天保14年、
玉屋は失火によって全焼、
街並みを半丁ほども焼失させてしまい、江戸から追放処分に。
わずか一代で家名断絶となってしまう。
人々を虜にする魅力。
あっという間に消えゆく儚さ。
ふと思う。
玉屋こそが、花火のようだと。
松岡康 19年8月18日放送
郡上市観光課
終戦の日の盆おどり
日本三大盆踊りの一つ、郡上おどり。
数万人もの人が、午後8時から翌朝5時まで徹夜で踊り続ける。
太平洋戦争中、このような盆踊りも次々と規制され、
郡上おどりも例外ではなく、規模が縮小された。
8月15日、終戦の日。
この日、郡上おどりは玉音放送のため休止となっていた。
夕方、街にだんだんと人が集まり、盆踊りが始まった。
踊りの輪は次第に広がり、二百三十人ほどが
午後十一時半ごろまで踊り続けたという。
辛く、長かった戦争。
終戦の日、彼らはどの様な思いで踊ったのだろうか。
奥村広乃 19年8月18日放送
kazutan3@YCC
わっしょい
「わっしょい わっしょい」
お神輿を担ぐ時の、あの威勢のよい声。
この掛け声の由来は諸説あるという。
お神輿はみんなで一つになって背負うもの。
みんなが「和して背負う」。
そこから「わっしょい」に転じたという説。
お神輿に神様が降りてきてくださったという意味の
「和上同慶(わじょうどうけい)」の
「和上」が変化したという説。
ヘブライ語の「主の救いが来る」を意味するフレーズに
由来するという説。
なんでも「わっしょい」に発音が近いのだとか。
「わっしょい わっしょい」
理由はわからずとも
声に出せば元気が出てくる。
なんとも不思議な言葉である。